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28:ああ、痛いな。

 真っ白な閉塞感のある場所に、椅子だけが置かれている。金銀細工に宝石がちりばめられ、何とも趣味の悪い装飾過多の椅子だ。

 行儀悪く椅子の座面に足を乗せて、私は顔を伏せた。膝を抱え込み、背を小さく丸める。

 不意に、細い指先が私の肩に触れた。


「――よ、気分はどうだ」


「とても清々しいよ、晴れ晴れとした気分だ。何もかもが終わったのだからね」


「その割には随分と暗い声だ。顔は分からんが、どうせみっともない表情になってるんだろ」


「おや、自称イケメンに対してその言い草は酷くないかい?」


「自称って言っちゃったなオイ」


 こつ、と硬い音は彼女の靴音だろうか。肩に置かれた手は軽いが、しっかりと掴んでいる。

 目蓋を堅く閉じて、口元だけはへらへらと笑みを浮かべる。口先ばかりは、明るい声色を垂れ流す。


「あれだけ醜態をさらせば、テオドールも私に幻滅しただろう。誰も悲しむ人はいない、ハッピーエンドじゃないか」


「あっそ」


「ただ、思いの他痛かったなあ。首を全力で切ったが、意外と即死しないのだね」


「まあ生首でも生体反応がしばらくあるって聞くしな」


「失血のショックでさっさと気を失ってよかったよ。おかげで痛みに耐える時間が少なく済んだ」


「そう。……それで?」


 彼女の平淡な声に、私の頬がひくりと引きつる。何を言っているのだろう。何もかもが終わった、それだけだ。続きなどどこにもない。

 考え続ける必要など、もうないはずだ。

 ああ、肩が重い。


「満足したか?」


「……最後のあの顔、見たかい? テオドールの奴、酷く傷ついた顔をしていたよ。馬鹿だね、自分が王様になるチャンスだっていうのに」


「ああ、声が少し明るくなった。悪くない気分?」


「まあね。ちょっと、ざまあみろって感じだ」


 私が傷ついていたことに、最後の最後でようやく気付いてしまったテオドール。本当に馬鹿だ、気づかなければよかったのに。

 ははっ、悔やむだろうな。あの子は優しい子だから、悲しむだろう。

 うん、悪くない。悪くないよ。半年ぐらいは泣いて後悔してくれ。それから、忘れて幸せになってくれ。


「……ヴィヴィアンヌも、シャンゼリンも、知るだろうね」


「そうだな。弟くんなら彼女たちには話すだろう。シャンゼリンは特に傷つくだろうな。数日前に命を賭して救ったばかりだっていうのに」


「あははっ、そうだね。悪いことをしてしまったかな」


 いや、最初から最後まで、私が悪いだけなのだけども。

 しかしあれがなければ、シャンゼリンは妖精としての自分を見失ったままだった。うん、悪くない結果だ。最終的には、彼女も笑って思い出してくれるだろう。


「……仕方ないよ。今更、命を賭けられた程度で私が救われるとでも? むしろあのまま彼女が死んでいたら、私は逃げることすらできなくなっていただろう」


 逃げ道を塞がれたところで、笑って正しく歩めるわけがない。

 私は正しい道の歩き方なんて知らないんだから。狂った皇太子が王座に向かって追い立てられるだけだ。


「まったく、放っておいてくれればよかったんだ」


「それが本心か?」


「……ああ、そうさ。皆、気づけばよかったんだ。私はどうしようもなく平凡な人間で、王になれる器じゃない」


 頑張れば大概のことはそこそこにできた。それなりの才能はあったのだろう。

 けれど、それはあくまで凡愚の努力だ。天才の片手間にすら劣る。


「努力は無意味か。亀だって兎を追い越せるだろう」


「兎が勤勉な努力家である場合、亀に勝ち目があるのかい? そんな勝負をして憐れまれるくらいなら、最初から競わなければいい」


「なるほどね」


 はあ、と大きなため息が聞こえた。ああ、彼女にも呆れられてしまったか。何だか少し寂しい気もするな。

 彼女は私そのものではないけれど、おそらく最も私の理解者足りえる存在だろうから。その彼女にすら見放されるのか。


 そして彼女はしばしの沈黙の後、声に怒りを込めて吐き出した。


「あんたはまだ、その無駄な演技を続けるのか。こんなところでまで、よくやる」


「……何を言っているのか、よく分からないな。私はもう王子様を演じてはいないよ」


 肩が痛い。ぎしり、と彼女の指に力が込められている。

 どういうことだろう。私がまだ嘘をついているとでもいうのだろうか。少なくとも、私にその自覚はないのだが。


「面倒だな、全く。ちょっと顔上げろ」


「おや、遂に君も私の美貌の虜となったのかな。しかし生憎だが気乗りしないのでお断りだ」


「自称イケメンじゃなかったのか」


「多少はイケメンでもあると思うね」


 言葉遊びか、と小声で彼女が呟く。

 何だろうな、彼女とは心の深いところが繋がっているからか、声以外のもので会話をしているような不思議な気持ちだ。実際、何語で会話しているのかも分からないし。


「ははっ、こうして話すのも存外悪くないね。これで最後になると思うと寂しいな」


「最後とは限らないだろ。奇跡でも起これば蘇るかもしれない、何せここは都合の良い乙女ゲームの世界なんだから」


「……もしも生き返ったら、その場でもう一度首を掻っ切ってやるさ。延長戦なんて望んじゃいない」


「ああそう、ならいいや。じゃ、いらないならくれよ」


 は?

 頭の中が真っ白になる。意味が理解できない。呆然とする私に、彼女は淡々と言葉を続ける。


「そんなにテオフィルがいらないなら、わたしにくれよ。わたしが上手く生きてやる。あんたの頭の中で揺蕩うのも飽きたし、代わりに王子様をやるのも悪くない」


「そ……っ」


 そんなことできるのか。何故それを今になって言うんだ。いや、どうしてそんなことを。

 ぐるぐると感情の整理がつかず、言葉も出ない。ただ焦燥に駆られて私は顔を上げた。掴まれた肩の方を振り仰ぎ、……あ。うわ。


 振りかぶった拳と、非常に凶悪な笑みを浮かべる彼女が視界に入った。


「ちょ、待……っ」


「ハッ、もう待ちくたびれたぜ」


 うわあ格好良い! 見た目は大和撫子なのに、笑い方が完全にハードボイルドだ!

 

 ごりッ、と鈍い音がした。






   +++++






 痛い。

 滅茶苦茶、痛い。


 づっ、と痺れるような痛み。

 ついでがんがんと打ち鳴らすように、頭の中が揺らされる。左頬から鼻にかけて。ぬるりとした感触は血だろうか。椅子の背に打ち付けた頭も痛い。後で腫れるだろう、これ。


「っぐ、ぁ」


 じわ、と一拍遅れて涙が浮かんでくる。ぼろぼろと、零れた涙が両手を濡らした。反射的にそれを掬い握りしめるが、涙は隠れも止まりもしない。ただ次々に溢れてくる。

 ああ、もう、情けない。いくら殴られ慣れていないとはいえ、年下の女の子に泣かされるとは。さっさと涙を止めなければ。


「……っん、う」


 止まらない。というか。

 いや、涙とは、どうやって止めるものだろうか?


「ひっ、あ。ぐ……っ」


 喉が引きつる。呼吸がままならず、それが苦しくていっそう涙が溢れてくる。顔も頭も痛みは引かず、むしろだんだんと酷くなっているような。

 どうにかしなければ思うのに、どうすればいいのか分からない。


 不意に、胸ぐらを掴まれ強制的に顔が上げられる。ぼやける視界には、苛立つ彼女の顔。右手を赤くはらしながら、舌打ちをして再び振り上げる。


「ちっ。まだ足りないか。ダメ押しでもう一発殴っとくか」


「なっ」


 理不尽な。足りないってなんだ。どうしてこんなことを。というかこんなもの、完全にオーバーキルだ。

 言いたい事は多いのに、何一つ言葉になって出てこない。痛みが思考を邪魔する。涙が言葉を奪い取る。

 ああ、早く早く、この面倒な物を止めなければ。どうすればいいか分からないけれど、この不必要なものを隠さなければ。


「おい、テオフィル」


「なん、痛……ッ」


 頬が裂けたかと思った。彼女の手が頬に添えられただけだというのに、びりびりと刺激が走り、これ以上はないと思っていた涙が溢れてくる。

 ぎ、と歯が鳴る。痛みでおかしくなってしまったのか。顔が歪む、彼女を睨みつけている。

 それでも彼女は淡々と、目の奥に怒りを宿して口を開く。


「いい加減にしろ。欲しがるものを間違えるな。あんたが欲しがったのは、こんな結末じゃないだろう」


「……っ、何を、言って、いるのか、な。私は……」


 ひくり、と。ぎこちなく口の端が吊り上がる。痛みは相変わらずで、涙は止まらないけれど、仮面をかぶるのはお手の物だ。


 私は逃げ出したかっただけだ。期待は重くて、敬愛は息苦しい。生き足掻く理由を全部捨てて、死んで楽になるためだけに過ごした。

 そうして望みを叶えて、今がある。

 何を間違っていると言うんだ。正しいハッピーエンドじゃないか。


「あんたは嫌われたかったわけでも、ましてや逃げたかったわけでもないはずだ」


 そんなはずはない。私の結末はこれでいいんだ。これ以上は単なる甘え、見苦しい言い訳に過ぎない。

 言い返したいのに、喉が震えて言葉が出ない。耳障りな嗚咽が漏れる。彼女の目が恐ろしい。怒りの奥に、鋭く熱い情が燃えている。


「……あ……」


 ああ、この目には見覚えがある。

 彼女の記憶の中で、私はこれを知ったのだ。三人の兄たちにこの目を向けられたことを、私も覚えている。


 だから私はあの夜会で、婚約破棄発言をした後に先延ばしをしてしまったのだ。もしかしたらと期待をして、時間稼ぎに勤しんだ。

 彼らにも、この目を期待した。


 私が、欲しかった情。

 賞賛も、敬愛も、思慕もいらない。甘い言葉も優しい慰めも不要だ。


 だから。




「あんたはただ、『お前は間違ってる』って言って欲しかっただけだ。誰かに気付いて、叱って、止めてほしかっただけだろう」




 私を想って誰かが叱ってくれたなら、それだけで満足だったんだ。


 ああ、痛いな。

 頬を撫でる手は柔らかく温かく、しかし私に現実を突きつけた。細い指を涙が伝っていく。じくりと、傷口に染みたのか、痛みが増した。

 唇が歪んで、どんな表情をしているのか自分でもよく分からない。大声で笑いだしたいような、怒りに任せて叫びたいような、そんな気分だ。


 ああ。

 いたい、よ。


「……ひ、あっ、ぅえ、ああッあぁああ!」


 痛くて、辛くて、苦しいのだ、と。

 私は生まれて初めて、誰かに伝えたくて泣いた。

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