26:最期の大舞台だ。
飾り気のない白いシャツと、簡素なベスト。腰には儀礼用の剣を佩いているが、それも宝石も金銀もない、非常にシンプルなものだ。
正直、この館と共に妖精が守っているのでなければ、偽物を疑うレベルだな。皇太子即位の為の儀式なのに、正装が平民並みに質素なのは何故なのだろう。
「開祖が平民の生まれというから、そのせいかな。華美なものを好むわけではないが、これではどうにも……」
貧弱、だ。
思わず、ため息が出る。
鏡に映る姿は、あまりに凡庸。やれやれ、自称イケメンもたかが知れてるね。とても王子様には見えないな。
うーん、顔立ちは悪くないと思うのだけど。何と言おうかな。どうにも、華やかさに欠ける、というか。
と、小さく控えめなノック音が部屋に響いた。どうぞ、と短く返せば、パーツは同じながらも華やかな顔が出てきた。くっ、遺伝子配列の誤差の神秘だ。
「兄上、着替えのお手伝いを……不要でしたね」
「これくらいはね。テオドールも大丈夫のようだな」
「礼儀作法の先生に、一通りの着こなしは教えていただきましたから」
それで平民の服もさらりと着こなして、なおかつ気品が溢れているのはどういうことなのだろう。本当に、チートスペック甚だしいな。
来ているものも、身に着けている小道具も、基本的には全く同じデザインのはずなのだが。これが妖精に愛される者の実力というやつか。ここまで見せつけられると、いっそ抗う気も失せる。
「ああ、手順を確認しておこうか。と言っても、水盆に私の血を垂らすだけだが」
「僕は立会人として、それを他の者に証言すれば良いのですよね。でも、立会人が僕で、本当に良かったんですか? やはり父上に立ち会っていただいた方が……」
「だが陛下はこのところ忙しいだろう。お前も納得していたじゃないか。何、大したことをするわけじゃないのだから、いちいち陛下の手を煩わせるわけにもいくまい」
そりゃ、大層な儀式かもしれないが、あまりに内容は単純で、代理可能なものだからな。
儀式は自体は、歴代受け継がれてきた水盆に短剣で指先を切って血を垂らすだけだ。マルセルにも話したが、本当にそれだけ。特別な魔法も祝詞もない。
不意に、テオドールは不安げに顔を曇らせた。ん、今の会話で気を落とす要素はなかったと思うが。
しばし迷うように視線をさまよわせ、そして恐る恐ると言った様子で口を開いた。
「あの……兄上はどうして、父上のことを陛下と呼ぶのですか」
「おかしいことではないだろう。公の場では、私は臣下の立場を意識しなければね」
「でも兄上は、常に陛下と呼んでいるじゃないですか。いつからかはわかりませんけど、父上とは呼ばないじゃないですか」
一応、気にしてはいたのか。いや大した理由はないのだが。王族直系の長子として、自分がふさわしくはないと自覚しているだけだ。
あ、いや。勿論、母の不貞を疑うわけではないが……私はあまりに、凡庸だからな。
あの方を父と呼ぶというのは、私にとっては少々、出過ぎた真似のような気がしていると、それだけだ。
陛下からは特にお咎めがあるわけではないので、これで良しと思っているが。笑みを浮かべ、さも当然のようにぺらりと薄っぺらな言葉を返す。
「普段から統一してしまった方が、公私混同を避けるには手っ取り早いだろう?」
「それは、その。そうかもしれませんが……」
少し寂しいです、という彼の言葉は、聞こえなかったことにしておこう。
苦笑を漏らすと、テオドールは不思議そうに小首を傾げる。そして、やや不満げに眉を寄せて口を開いた。
「そういえば兄上、ヴィヴィアンヌさんに挨拶に行っていないでしょう? シャンゼリンさんもいるんですよ?」
「だから行きたくないという兄の気持ちを汲んでくれ」
何が悲しくて、婚約者と偽恋人(見えない)が一緒にいるところに顔を出さねばならないのか。
というか最低限の関係者以外は、継承の儀を行う建物に近づくことすらできないはずなのに。何故いるのか。
いや、もちろん分かっている。事情も聴いている。シャンゼリンがごり押ししたからだ。我が国は本当に妖精に弱くて涙が出そうだよ!
まあ、国母と同じ種族、フルドラだというのがな……頭が上がらないからな……。
「儀式が終わった後に会いに行くと、伝言してある。だからそう、不満そうにするのは止めなさい。王族なのだから、私情は隠せ」
「そうかも、しれませんが……僕は兄上のように上手くはできません」
「やればできるさ、お前はそういう子だ」
ぽんぽんと軽くその金髪を撫でれば、困ったように顔をそらした。おっと、流石に子ども扱いしすぎたかな。
しかしまあ、厚顔無恥とは私のことだな。お前が言うなってやつだ。
私情を隠せと言ったその口は、余りに皮肉気に歪んでいるのだから。
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継承の儀は、広い丘に建つ小さな館で執り行う。もちろん、小さいと言っても、王族の所有する建物の中では、という程度だが。
フルドラは木々のない広い草原や丘に住むという。ここもおそらくは、フルドラの住処になっているのだろう。妖精の世界を全く感じ取れない私にはわからないが、他の妖精も多く住んでいるらしい。
おそらくは、この儀式も妖精たちに見られているのだろうな。テオドールには見えているらしく、ちらちらと視線がさまよっている。
儀式の部屋は白を基調としたシンプルな内装。上座の台には水盆と短剣が置かれている。
ステンドグラスから差し込む陽光に目をすがめ、くすりと笑みがこぼれた。
なんというか、少し結婚式場のような雰囲気だ。ああ、ある意味間違ってはいないのかな。皇太子として、フルドラにその生涯の貞淑を誓うのだから。
水盆には澄んだ水が注がれていた。その水面にステンドグラスの光が反射して、部屋の壁や天井をゆらゆらと不規則に装飾している。
その手前に置かれた短剣を手に取り、すぅ、と深呼吸した。
ここだ。
ここで、どうするのか、だ。
いっそ諦めてしまう、そんな可能性だって残っている。
私が、我慢すればいい。ここで計画を諦めて、何もかも呑み込んで笑えば、それも一つのハッピーエンドかもしれない。
生涯、誰もかれもを騙しきれば。私自身すら騙せたら、何の問題もない未来があるのかもしれない。
「……なんて、なあ」
「兄上?」
「こんなときまで逃げ道を探すのだから、私は本当に……」
どうしようもない、凡夫だ。
いや、だからこそ、こんな道しか選べないのだろう。
「……兄上? どうしたん、ですか」
テオドールの声が、困惑に満ちている。まあ、そうだろうな。血を水盆に垂らすだけの儀式、この弟にとってはそれだけのつもりだったのだろうから。
それなのに、私は手に取った短剣を元の位置に戻している。
「……なあ、テオドール」
「はい、どうしたんですか……、っ!」
空を撫でる刃。驚愕。一瞬の危機感と緊張。ぴりっと、空気が裂かれるような印象の反転。
飛び退いた先で、テオドールは困ったように眉を下げた。何かを言いたそうに口が、はくはくと開閉するが、そこからは何も出てこない。
それが何故か、妙におかしくて、私はへらりと笑みを浮かべた。
「ははっ、あーあ、やはり避けられてしまったか」
「あに、うえ……?」
呆然と、テオドールは言葉を零した。理解できないのだろう、とっさに動いただけで、何が起きているのかもよくわかっていないようだ。
再び、と私は抜き放った剣を構えた。
完全な奇襲の切りかかりが避けられることは、予想していた。うーん、殺る気はあったが、実力が伴わないな。今度は、当たるといいのだが。
さて、最期の大舞台だ。精一杯に逃げ切るとしよう。
泣き出しそうに歪んだ顔の弟へ、私はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
次回更新は21日(水)、夜22時以降です。




