22:これが私の、
※注意※
残酷描写あり。
誰かの低い声が私を呼んだ。奇妙な感覚だった。現実を確かに感じているはずなのに、何もかもがゆっくりと動く。これが走馬灯という奴か。
しかし、おかしいな。
確かにヒューゴ家に提案した暗殺計画ではシャンデリアによる圧死を目論んでいたが、当のヒューゴ家は数日前に牢屋行きとなった。実行犯が居なければ、シャンデリアは落ちてこないはずだったが。
どぅ、と突き飛ばされる。
くらりと揺れる視界の中に、見慣れた青年の顔。エルネスト、どうしてここにいるんだ。お前は騎士の列の中に立っていたはずだろう。落ち着きのないところは相変わらずだな。
だから、おい、早く逃げろ。
そこにいては、シャンデリアに潰されてしまうよ?
お前が傷を負ったら、誰がこの国の騎士を先導していくんだ。お前はこの国の若い騎士の中で、最も才能ある強者なんだぞ。怪我をしたらどうするんだ。
責務ある者が、私を庇ってその能力を損なうなんて。
私の所為で誰かが傷つくなんてことに、弱い私が耐えられるわけがないだろう……っ!
「止めろォ……ッ!!」
ああ、醜い話だ。
どこまでも自分本位な悲鳴を隠すように、金属とガラスが砕ける音が響いた。
「…っ、ぁ」
ぱき、とガラスを踏み砕いた音に、私は反射的に顔を上げた。
周囲はまだ混乱の極みにいるのか、緊張感のある静けさがホールを満たしていた。あの婚約破棄発言を思い出すが、今回の原因は私ではない。
私の目の前で、抜身の剣を構える青年――ヴィクトールだ。
シャンデリアの上に潜んでいた、のか。計画書の内容を知って、忍び込んだのだろう。そしてこのタイミングで鎖を切り、落ちてきた。
落下の衝撃で砕けたシャンデリアの破片で切ったのか、手や顔から血が出ている。こちらを見るはしばみ色の目は、ぞくりとするほど淀んでいた。
絶望と昂奮、嫉妬と安堵。熱狂的で純粋な感情の渦。それら全てがない交ぜになり、私への殺意に集約されている。
ちらり、と彼の視線が背後へ向けられる。シャンデリア……否、それに半ば押しつぶされたエルネスト、か。
ぎりぎり避けたのか命に別状はなさそうだが、直ぐには立ち上がれないだろう負傷だ。足がシャンデリアの下にある。後遺症がなければいいが。
「……、」
ふ、と吐き出された呼吸に混じっていたのは、羨望と失望、だろうか。
彼が私を殺す直接の理由は見当たらない。ヒューゴ家の暗躍に関わっていたことまでは知らないだろうし。
だが、なるほどな。エルネスト関係か。全く、私の専属騎士ときたら。同僚に恨まれやすいから気を付けろと散々言ったはずだが。
剣が、振り上げられる。漸く気づいたのか、周囲の空気に焦りが混じった。
このままだと、うん、殺されるな。突き飛ばされて座り込んでいるし、私の運動神経はさほど良くないのだ。だから。
殺して、もらえるなあ。
触って確かめなくても分かる、今の私は笑っている。きっと、幸福を口いっぱいに頬張ったように、ふにゃふにゃと間抜けな笑みを浮かべているのだろう。
ああ、デュウと初めて会った時もそうだったな。
学園に入学してすぐ、私を殺しに来た彼を見たとき、私は同じように笑ってしまった。冷たい金属の切っ先が、嬉しかった。
私を殺せば、その人は死ぬ。
なら、私を殺そうとする人は、その命全部を賭けて私を想ってくれるということだろう?
それはなんて、抗いがたい幸福だろうか。
上辺だけの賞賛、見え透いた賛美の言葉。そんなものしか耳に入らぬ人生の中で、心の底からの嫌悪や憎悪のなんと希少なことか。
否定されれば人並みに傷つくというのに、否定の言葉だからこそ信じることができる矛盾。辛苦であろうとも、虚言よりはずっと良い。
私を見てくれるのだから。
ゆっくりと、剣が振り下ろされる。いや、私がそう感じているだけで、実際には避けようのない速度だろう。まあ、避ける気もないが。
呆けたように、ヴィクトールを見上げる。彼の感情があくまでエルネストに向けられたものだというのが少々不満だが、私を殺してくれるのだから良しとしよう。
これでいい。
これが私の、幸せな死に方だ。
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ふわりと、花のような香りを感じた。栗色の髪が一拍遅れてぱたりと落ちる。
ぱたり、ぱさりと。
床に。
「……ぁ?」
栗色の髪が、赤い波紋を生んだ。
あれ。違う。赤い、床が。生々しい、錆びた匂い。熱い。床が熱い。赤くて熱い。重い、どうして。私に何かもたれて。何か。花の香、栗色の髪、緑の目。シャンゼリン。
あ。ああ、そうか。
シャンゼリンが、私を庇って切られたのか。
「……違う、だろ」
座り込んだ私に覆いかぶさるように、駆け込んできた彼女が私の代わりに剣を受けた。
受けた、なんて言葉はおかしいか。重い金属の切っ先は胴を裂き、白い大理石の床は鮮烈な赤に染まっている。
「……私は、望んでいない」
「もう、ひどいですよ……」
言葉の割に、彼女の口の端は上がっていた。痛みすら感じていないのか、シャンゼリンは笑みを浮かべている。
震える唇に淡い光が灯り、聴覚だけでは理解できない音を紡ぐ。
「【テオフィル】」
「シャンゼリン……」
これは、魔法だ。
何の効果もない、単に力を消耗して音を重ねるだけの魔法。二重に、才能ある者は三重にも意味を重ねることができる。
それを今、なぜ使うのか。彼女の才能ならば、自分の傷を塞ぐことに使えば、あるいは助かるかもしれないのに。
いや、分かっている、そんなことは不可能だ。魔法で治療できるような傷ではない。妖精でもない限り、こんなものをなかったことにはできない。
だからこれは、最期の言葉だ。
短い言葉に、彼女は何重にも言葉を重ねて。
「【ごめんね】、でも【お願いだから】」
「駄目だ、君は死ぬな、君こそ死ぬんじゃない」
震える身体を掻き抱く。いや、震えているのは私の方だ。
だってこんなの、私の計画にはなかった。あり得るわけがない。私が殺されようとするその時に、彼女が邪魔をするなんて。私の代わりに死のうとするなんて。
私を失いたくないと思う誰かがいるなんて、あり得ないのに。
彼女の手が、ぺたりと頬に触れた。濡れているのは、赤と透明。血と涙。泣いている、私は泣いているのか。
彼女が囁く。体中の空気を全て吐き出すように、命を燃やし尽くすように。
「――【テオフィル《大好きよ》】
その三重詠唱は、呪いのように聞こえた。




