21:本当に、馬鹿な妄想でしかないけれど。
濃紺のベストは最高級品、縫い込まれた金糸の文様は職人業だ。真っ白なタイをふわりと広げて、胸元のハンカチの角度も完璧に整える。
癖毛はいつもより少しは押さえられたかな。金の三つ編みは背に流れ、まるで童話の塔の御姫様だ。
いや、むしろテンプレートな王子様なのだが。
つまりは私である。
「まあ、こんなところか。では、通してくれ」
女中に声をかければ、察して他の者も部屋を出ていく。この客人を迎え入れるときは、基本的に人払い必須だ。
待つ間に、手鏡も合わせてもう一度全身のチェックをする。ふむ、及第点だろう。
本来、こういった身支度は侍女にやらせるのだろうが、諸事情により全て自分でこなしてしまっている。王族としてはどうかと思うが、パーソナルスペースを乱されるのが嫌なのだよ。
ドアの開く音に振り向けば、学園の正式な制服に身を包んだシャンゼリンが立っていた。この格好を見るのも久しぶりだな。大概、着飾らせて遊んでいたし。
「やあシャン、久しぶり。ドレスも可愛いけれど、そういったシンプルな格好でも君の魅力が引き立って悪くないね」
「殿下こそ、いつもに増してキラキラしてますね」
「それ褒めてる? 貶してる?」
表情が後者だと語るようなのだが。
苦笑を浮かべてソファーに腰かければ、シャンゼリンも向かい合う形で腰を落ち着けた。えぇと、と言葉に迷うように首を傾げ、ふわりと笑って口を開く。
「ご卒業おめでとうございます、殿下」
「式典はこれからだから、今祝われるのは妙な気分だな」
「式典が終わったら、殿下はすぐに王城でのパーティーに移動しちゃうでしょう? 在校生の私が直接話せるのは、これが最後なんですから」
「君が望むのなら王城のパーティーにも招待するよ? 私の可愛いシャン」
「えへへ、絶対に嫌です」
可愛い笑顔で全力拒否。そういうところが好きだよ。
と、シャンゼリンのまとう空気が変わった。紅茶のカップを傾けて唇を湿らせ、意を決したように私を見据える。
「殿下。……いつまで、この関係を続けるつもりですか」
「……君と話しているのは楽しいし、いつまでもこうしていたいがね。まあ、君の望みのことを思えばそういう訳にもいかないか」
「ええ。もう、わたしと居る意味もないでしょ?」
この偽りの恋人関係は、私の一方的なお願いだ。シャンゼリンにもメリットはあるが、元々は私の方から頼み込んだ。
そして表向きの理由が終わった今、恋人の演技を続ける必要はない。腐敗貴族の摘発は、先日けりがついたのだから。
ゆっくりと紅茶を味わい、ソーサーに音もなくカップを戻す。意識して柔らかく笑みを浮かべるが、シャンゼリンは浮かない顔のままだ。
「継承の儀を終えれば、ヴィヴィアンヌと正式に婚姻関係を結ぶだろうから、それまでかな」
「わたしがいなくても、大丈夫ですか?」
「はは、寂しくないと言えば嘘になるな。君はとても可愛らしく、魅力的な女の子だから」
「……殿下がそれでいいなら、わたしもとやかくは言わないですけど。あんまり無理しないでくださいね? 貴い方々の争いのしわ寄せは、わたしのような平民にくるんですから」
「……耳が痛い話だ」
実際、腐敗貴族の治めていた領地はしばらく混乱するだろうしな。陛下も対応に追われてしばらくお忙しい。
そこにヒューゴ家の反乱なんてものが加わり、今この国の上層部は荒れに荒れている。一応、私の継承の儀をおめでたいニュースとして発表して、民衆の感情をまとめるつもりのようだが。
……正直、勝ち逃げを決めるつもりなので、深くは考えたくない。
「シャンゼリン。今まで、ありがとう」
「えぇ、何ですか急に改まって。いいですけど」
片手を差し出せば、シャンゼリンは戸惑いながらも笑って私の手を取った。小さく華奢な手、だがその掌には硬いまめの跡がある。自らの足で立って生きる、強い彼女の表れ。
もしも、私が駆け落ちしようと言ったら、この手の主は。
きっと、困って、笑って、否と答えるのだろう。彼女の中の天秤は、私よりも家族に傾くようにできている。彼女は私を選んではくれないだろう。
本当に、馬鹿な妄想でしかないけれど。
もしも君が他の者すべてを捨ててくれたら。何よりも私を選んで、一緒に生きると言ってくれる人であったなら。
私はこの道を選ばなかったのかもしれないね。
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卒業式は、『わたし』の記憶にあるそれをより格式高くした感じ、と言えば伝わるだろうか。
午前中は構内のホールを使って荘厳な儀式を行う。学園長が挨拶し、代表者が卒業の証として記章を受け取りスピーチをする。
午後は一部の身分が高い者たちが格式高い王城でのパーティーに出席する。シャンゼリンが言っていたのはこれだな。
そちらに招待されない者たちは、仲の良い者たちで集まって乱痴気騒ぎをするのが通例だ。式を終えれば大人の端くれ、子供では許されないような度数の酒を飲んで騒ぐ。
なんというか、こう……卒業式に成人式をミックスしたような感じである。
というわけで、今はホールで粛々と長々しい話を聞く学生諸君らの頭の中は、ほぼ午後のお祭り騒ぎのことしか考えていないのである。
うーん、そこかしこにニヤついているのが居るな。楽しそうで何よりだ。隠しているつもりだろうが、結構バレているぞ。
私は他の学生とは別に、高い位置に席を用意されているので全体が良く見える。一応王子で、卒業生代表だからな。
シャンゼリンは、在校生の列の中にいるな。ヴィヴィアンヌは卒業生だ。エルネストは護衛の騎士の中にいる。うん、構内に良く呼び寄せるから忘れそうになるが、あの男は学生ではなかったな。
式は始まったばかり、今は学園長の挨拶だ。これが終われば、私が呼ばれてホール中央のシャンデリアの下まで出ていく。一礼の後壇上へ、学園長から記章を受け取り、そのままスピーチだ。
さて。
学園長の低く枯れた声が、私の名を呼んだ。ゆっくりと、出来る限り優雅に気品をもって立ち上がり、笑みを浮かべる。一挙手一投足まで気を配り、観客を魅せる歌劇のように。
いや、歌劇と何も変わらないか。
彼らが見ているのは第一王子テオフィルという役柄にすぎない。
私も、観客の声や容姿に気を払わないからお互い様だ。
こんなに近いのに何一つ触れ合わないし、理解しあわない。空しいと感じるのは、感傷的になっているからか。
そうだ、本当なら今日、終わるはずだった。
このシャンデリアの下で、私は……、……あ。
しゃらり、とガラス細工が揺れる音が聞こえた気がした。実際に聞こえるわけがない。天井に吊るされたシャンデリアが立てた音を、下にいる私が聞き取れるわけが。
それが、落ちてきていなければ。




