19:私は何かやらかしてしまったのか。
古く黄ばんだ紙の匂いと、甘く暖かな紅茶の香り。ふわりとそれらが入り交じり、独特の落ち着いた空間を作り出す。
かつかつ、と万年筆の音は不規則で、しかし迷いなく響く。ふいに、その音が途切れ、マルセルが気まずそうな顔をあげた。
「……あの、殿下。今更なんですが」
「ん、何だい? マルセル」
「いくら個室とはいえ、図書館内では飲食厳禁ですよね? 前もそうですけど、どうやってカート毎ティーセット持ち込みしてるんですか」
「王子権限で頑張って押し切ってみたよ」
「なんでそこ頑張りました?」
こういう、くだらないことに権限振りかざすのが結構楽しいのだが、どうやら共感してもらえそうにないなあ。
あとねマルセル。律儀に突っ込みつつも王子様手ずから淹れた紅茶をためらいなく飲むという、君の豪胆さが気に入ってるからだよ。
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「それで、どうしてここに来たんですか? レポートなら前回見せたものが最新ですよ」
「ああ、催促という訳ではないよ。部屋にいると煩いから逃げてきたんだ」
「うるさい、ですか」
「そう。私の後ろ盾をしていた貴族たちが横領や癒着や不正な税の取り立てで一斉摘発されてねえ。私にどうにかしてもらおうと馬鹿馬鹿しい話をしにくるのだよ」
「…………」
あ、絶句している。まったく知らなかったのだろうな、ここ数日の騒動。
マルセルは基本的に図書館か自室にこもりきりで、世間の情報に疎いからな。私が婚約破棄騒動を起こしたことも知っているかどうか、というレベルだ。
まあ、だからこそこんな風に逃げ込んでくるのにちょうどいいのだが。変に探りを入れられることもないしね。
「……それ、大丈夫なんですか」
「貴族の大半は当主を挿げ替えることになるだろうね。後は罰金で国庫が潤うくらいかな」
むしろそれで済ませてやったのだから感謝しろと言いたい。私がヒューゴ家当主にいろいろと入れ知恵していなければ、完全に断絶した家もあっただろうな。
ああ、別に助けたわけではないぞ。空いた席全てにヒューゴ家の息がかかった者が収まるとなれば、それはそれで問題だからだ。
マルセルは困ったように、いえ、と口ごもった。ん、そういう意味ではなかったのか。
「殿下は、大丈夫なんですか? 後ろ盾って、いないとまずいんじゃ……」
「そのまま腐敗貴族を放置しておく方が面倒さ。おかしいかい?」
「いえ、そんなことは……」
私の言葉に、マルセルは困惑を浮かべながらも口をつぐんだ。自分に自信がないからこそ、すぐに丸め込まれるところは相変わらずだな。
一緒にいて楽だから、私としては変わらずそのままでいてほしい。
「そういえば殿下、もうすぐ皇太子継承の儀が行われると聞いたのですが」
「ん、マルセルが最近の出来事を知っているとは珍し……」
「その継承の儀について詳しく伺うことはできますか。妖精フルドラが皇太子を決める術式でも組んでいるんですか?」
「ああいつも通りの君だな安心した」
妖精オタクは健在なようで何よりだ。でも顔がちょっと怖いぞ。
新しく紅茶を淹れなおし、座り直す。彼にならば概要を話しても問題ないだろう。警備上の問題で、あまり具体的なことは言えないが。
「儀式といっても、古い慣習をそのまま受け継いでいるだけだよ。王族一人の立会いのもと、皇太子になる人間が血を妖精に認識させるだけだ」
「血、ですか」
「王族を守護している、なんて言われもするが、彼女が守っているのはあくまで王族の血脈だからだろうね。血液を水盆に垂らして終了だ」
「え、それだけですか? 意外とあっけないですね」
「儀式に使う短剣や水盆を解析すれば、何か分かるかもしれないが、あれ一応国宝だからな。魔法で弄るわけにはいかないぞ?」
「さすがにそこまでは求めませんよ。儀式後にでも、形とか素材とか模様とか教えてください」
「はは、できたらね」
うーん、王子をパシリ扱いしている自覚はないのだろうなあ、これ。無自覚面白い。
紅茶を味わいつつ、マルセルの手元を眺める。まったく、私に話をふっておいて、答えが得られたら放置とか酷くないだろうか。
これはこれで、新鮮で悪くない距離感だから、嫌いじゃないが。
「ああそうだ、マルセル」
「これ以上なんですか、殿下」
「来年度からは私ではなくテオドールがこの研究の援助をすることになる。頭の片隅にでも入れておいてくれ」
「……は?」
あれ、手が止まった。
あーそうですかー、と流されるという私の予想は外れてしまったか。このところ、行動予測が外れがちだな。得意だと思っていたが、調子が悪い。
マルセルがそっと万年筆を置き、ごしごしと服の袖で眼鏡のレンズを拭う。
うん、だいぶ混乱しているようだ。
落ち着くためのルーチンなのだろうが、眼鏡を外して覗いた素顔が焦燥に満ちているぞ。効果がまったく見られない。
「……テオドール、って。殿下の弟さんでしたっけ……?」
「そうそう、我が国の弟殿下だ。私はもう学園を卒業してしまうからな。来年度からはテオドールが通うから、ちょうどいいだろう?」
「ああ、卒業……そっか」
もちろん、私としても今まで以上の援助をしたいとは思っている。マルセルをこのまま放置して、才能を埋めてしまうのはあまりに惜しい。
だが私は舞台から退場する予定だ。
ならば、代わりがあればいい。
テオドールという、とても都合のいい弟がいるのだから。
卒業と皇太子着任という理由を建前に、マルセルの援助もテオドールに押し付けようと思う。テオドールは利発だからな、マルセルの研究を知ればその有用性を理解できるはずだ。
まあ、マルセルは人見知りだから、最初は慣れないかもしれないが……。テオドールは人に好かれやすいから、大丈夫だろう。
「ああそれに、あの子は妖精に死ぬほど愛されているからな。いろいろと君の研究にも役立つのではないかな」
「……そう、ですか」
「おや、そんな不安そうな顔をしなくとも大丈夫だよ。支援は今までと変わらぬものを続けるように伝えておくし」
「……そういう問題じゃ、ないんですよ……」
ん、おかしいな。マルセルの表情が、変化している。不安と焦燥に、少しばかりの失望、だろうか。
何故このタイミングで失望したんだ、マルセル。え、どうしたんだ。私は何かやらかしてしまったのか。
マルセルはしばし、もごもごと言葉を口中で彷徨わせた。言いにくいこと、というよりも、単にうまく言葉にできないようだが。はて、一体何なんだ。
「えっと、殿下」
「うん、なんだいマルセル」
「その、テオドール殿下がどのような方なのかは知りませんが、ぼくがこうして研究に打ち込めるのはテオフィル殿下だからですよ?」
「はは、マルセルは心配性だな。テオドールは良い子だよ、私が保証する」
「……、……殿下は、頭が良いと思っていたんですけど」
「え、私そこまで言われるようなことしたかな!」
な、納得いかない! どうして私がマルセルに、そんな残念な物を見るような目を向けられているんだっ? 失望の色が濃くなっているぞ。
くっ、癒し系ポジションだと思って油断していた。まさかの裏切りだ。
「王子に対してなんという暴言だ。罰として、紅茶が固形化するほど砂糖を入れてやる」
「え、ちょ、何ですかその無駄に高価な嫌がらせ!?」
宣言通り、ざらざらと砂糖を紅茶に沈めてやる。子供っぽいと笑わば笑え。どうせ勝ち逃げをするのだから、悪戯も悪くないだろう。




