17:ただの悪い夢だ。
バッドエンド、か。
やっぱりなあ、という感じだ。
彼女はテオフィルルートのエンディングを見たのだろう。ゲームのテオフィルはあの場で婚約破棄を貫いた。『わたし』の記憶にはなかったが、やはりどの私も選ぶ道は同じなのかな。
婚約破棄を中止したり、計画を先延ばししたり。他の道があるのではないかと足掻いてみたが、やはり無理だったなあ。
足掻くのが、遅すぎたんだろう。別の道を選ぶことができないくらいに、詰んでいたのだ。
「……それが?」
「え……」
もしもこのルート以外を選ぶのなら、私はもっと早くに『わたし』を思い出すべきだった。私の自我が明瞭になる前だったら、テオフィルが私でなければ、あるいは。
私さえいなければ、第一王子テオフィルが別の生き方をする世界もあったかもしれない。
それでも今ここにいるのは私だ。他の誰でもない、もうどうしようもなく詰んだ私だから。
「この先がバッドエンドと言われるものだってことも、もちろん知っているさ。その上で言っているんだよ。私の邪魔をしないでくれ」
「邪魔、って……でも」
「シナリオと設定を読んで知って、それで私を分かった気になるな」
「ひ……っ」
全知を気取って、私を量るな。
バッドエンドこそ、私が望んだエンディングなんだから。
リュシーの目が、恐怖に染まる。ふむ、私はそんなに怖い顔をしているのか。指先で軽く触れれば、ああ、どうやら笑みを浮かべていたようだ。
まったく酷いね、私の笑顔を見てそんなに怯えないでくれよ。デュウといい君といい、他人の笑顔を何だと思っているのか。
まあ、これだけ脅せばしばらくは大人しくしていてくれるだろう。私の計画が成るまであと少しだ。多少、時間稼ぎができればいい。
ふ、と小さく息をついて気が緩み。そして、
「……兄、上?」
背後から聞こえた声に、血の気が引いた。
振り向いた視界に入ってきたのは、開いたドア。動揺を抑えながらゆっくりとリュシーから離れ、無理やり柔らかな表情を作る。
やれやれ、リュシーに引き続きこいつまで。帰り道を塞ぐのが流行っているのか?
金色の短い髪に、青の瞳。血の繋がりを感じさせる顔立ちに、混乱と多少の不快感を浮かべた少年。
我が弟、テオドールだ。
まったく、主人公のようなタイミングで現れるなこいつは! 最悪だ……!
「……っ、テオドール。どうしてここに?」
「近く伺いますと手紙を送ったでしょう? あの後すぐに出立して先ほど到着したのですが、兄上はヴィヴィアンヌ様のところだとお聞きして……それより、一体何をしていたのですか?」
転生者云々は、聞かれていないか。まあ聞かれたところで理解できないだろうが。リュシーを壁ドンして脅しているところを見られた程度だな。
……うん、アウトだな。婚約者の目の前でそのメイドを壁際に追いつめてるって、もう完全にアウトな光景だ。
「テオドール、様……」
「ヴィヴィアンヌさん、兄上はいったい何を……ヴィヴィアンヌさん!?」
あ、泣ーかせた。
緊張の糸が切れたのだろう、ヴィヴィアンヌはその目から涙を零していた。自分でも抑えが聞かないのか、おろおろと口元を手で覆って困惑している。
「申し訳、ありません。テオドール様のお顔を見たら、安心してしまって……」
「ヴィヴィアンヌさん……っ!」
慌ててテオドールが駆け寄り、その肩に手を伸ばす。が、抱きしめることなく、困ったような顔を私に向けた。
うんまあ、気まずいな。正直、狙ってやっているが。
「これ以上の話は厳しいだろう。テオドール、ヴィヴィアンヌを頼んだ」
「なっ、兄上!?」
「手紙で言っていた件にも関係するが、今は私ではない者が傍にいた方が良いだろう。ちょうどいいから、ヴィヴィアンヌを泣き止ませてから部屋に来なさい」
きちんと話をするから、と笑みを浮かべれば、テオドールは唇を噛んで頷いた。やれやれ、納得はできないがとりあえず今は、という感じか。
婚約破棄のことも、ヴィヴィアンヌから事情を聴くだろうな。後で煩いがなんとかなるだろう。
単純だからなあ。私の言葉を何でも素直に聞いてしまうピュアな弟が、お兄ちゃんはちょっと心配です。
「待っ、テオフィル様……!」
「話を中断して済まないね、ヴィヴィアンヌ。でも、お互い落ち着いてから話を進めた方が良いだろう。後で手紙を送るよ。返事はその時に、ね」
潤んだ声が後ろ髪を引くが、私は苦笑を浮かべて言葉だけを返す。あーあ、泣くほど追いつめるとか本当に最低な男だな。
ごめんね、ヴィヴィアンヌ。私を許さないでほしい。
こんなに君を泣かせても、私は君の目にある色を愛だとは信じられないのだから。
ドアが閉まる一瞬、ちらりと部屋の中に視線を向ける。ソファーで嗚咽を漏らすヴィヴィアンヌと、寄り添い何か言葉をかけるテオドール。
うん、いいんじゃないかな。3歳差なんてあってないようなものだし。純粋すぎるテオドールを、ヴィヴィアンヌはよく支えてくれるだろう。
「……君は、私の隣にはふさわしくないよ」
私なんかの隣に、君がいていいはずがない。
+++++
部屋に戻ってすぐ、人を下がらせた。まあドアの向こうにはいるが、それくらいなら問題ない。人目がなくなったのを今一度確認し、どさりとベッドに倒れこむ。
気持ち悪い。酷い汗だ。手鏡を見れば、金髪の美男子の青ざめた顔が映っていた。
……こう言う事言うと、『わたし』はきっと呆れた顔してツッコミを入れるだろうなあ。記憶から再構築した紛い物に過ぎないが、私の大事な精神安定剤だ。
鏡を見つめながら想起する。きっと彼女なら。唇を開いて、
「いや、わたしで勝手に遊ぶなよ」
「……は?」
耳に飛び込んできた声に、頭が真っ白になる。聞こえた? 単なる幻聴、にしてはあまりにもリアルな。
おそるおそる、視線を手鏡の向こうに向けて。
「わたしの記憶を使って何をするのかと思えば、腹話術の人形にしか使わないし。そこは現代知識でチートでも起こせよ、つまらん」
鏡の中で見覚えのある少女が、酷く退屈そうな無表情で立っていた。
長い黒髪と、伏せた黒い目。後付けの記憶の中で見知った高校の制服姿だ。表情はひどく希薄だが、その実かなり激情家ということも知っている。
知っているはずだ。何せ彼女は、『わたし』なのだから。
「……私はついに幻覚まで見えるようになったのか……?」
「別に幻覚扱いでもいいけど、わたしを再構築して都合の良いことを喋らせる遊びは止めてくれ。なんかいたたまれなくなるから」
淡々とした無表情。その顔立ちが整っているからか、妙に迫力がある。
いや、惹きつけるのはその目か。怒りに似ているが、少し違う。鋭く射貫くような、焼き切れそうな情のこもった目。
……どこかで、見たような。
彼女は呆れたように嘆息し、ひょいとベッドに座った。横になったままの私の腕を掴み、うん? そのまま、仰向けになった私は、彼女に問いかける。
「……なあ、君」
「なんだテオフィル」
「どうして私は君に押し倒されているのかな」
「正確には違うな。両腕を掴んで足を腹に乗せて、身動きができないように固定しただけだ」
「それを世間一般では押し倒すと言うのではないかな」
というか、本当にこれは何なんだ。触れた場所は暖かいし、押さえられた場所は重く痛む。随分と存在感のある幻覚か、はたまた夢か。
どちらにせよ、私に優しくない幻だな。
「さて、面倒だから前置きはなしだ。本題といこう」
「このままの体勢では歓談とはいかない気がするが、一体何の話を……」
「本当にこのままでいいのか?」
へらりと、浮かべた笑みが凍り付く。腕が痛い。彼女が力を込めているのが分かる。くっそ、最初から、そのつもりか。私が耳を塞がないように。
聞くことから、逃げないように。
「気付いていないのか? 他にも道はあるはずなんだ。何のために、わたしがお前の中にあると思っている」
「……煩い」
「わたしの記憶を碌に確かめもせずに決めつけるんじゃない。わたしもお前も同じだろうが」
「……うるさい」
「お前の願いは間違ってるんだ。このまま、本当に、――死ぬつもりか?」
「黙れッ!!」
悲鳴、だった。
私の口から漏れ出たそれは、怒声でも罵声でもなく、弱り切った子供の涙声だった。
いつの間にか、硬く閉じていた瞼を上げると、そこはいつもと変わらぬ自室だった。やはり夢だったのだろう、痕跡も何もない。ああそうだ、ただの悪い夢だ。
「……大丈夫だ」
背を丸めて膝に顔をうずめ、両手で抱え込むように耳を塞ぐ。どぅどぅと、鼓動が耳障りだ。大丈夫、大丈夫だ。あと少し我慢すればそれも終わる。
ああ、笑わなければ。
笑って、テオドールを迎えなければ。どれほど眠っていたのか分からないが、テオドールが来るまでにきちんと兄の仮面をかぶらなければならない。
計画の最終段階まであと少しだ。それまでは「良い兄」でいなくては。あと少しだけ、騙し切ろう。
他の道なんて、あるはずがないから。




