16:いわゆる壁ドンだな。
ドアの前で私を睨む少女に、私は内心で首を傾げた。見覚えがあるような、ないような。
まあヴィヴィアンヌのメイドに特に注目したことはなかったしな。私との話し合いで同席させるくらいだから、長く勤めている者だろうね。
「……単なるメイドのくせに、随分と口が悪いな。いくら学園内とはいえ、私が誰なのか分かっていないわけじゃないだろう」
「分かっています、テオフィル殿下。ですが、この命を賭けて申し上げます。お嬢様と、もう一度お話しください」
見た目は平凡ながら、そのまなざしは実に力強い。王子に楯突くことの意味が分かっていてなお、この目か。
うん、いいな。ヴィヴィアンヌと話して荒れていた精神状態が戻ってきた。茶化すくらいでいかなければね。
「リュシー! 貴女、何を言って……」
「申し訳ありません、お嬢様。でも私は、どうしてもこの男のことが許せません」
「リュシー! も、申し訳ありません、テオフィル様!」
メイド、リュシーの言葉にヴィヴィアンヌの声が悲鳴まじりになる。主君としての立場を考えてのものか、感情的な物か。まあどっちでもいいか。
なおも言葉を重ねようとするヴィヴィアンヌを手で制し、私は改めて彼女を見た。
「いいね、興味が出てきた。不遜な態度も無礼な言葉も、なかったことにしておこう」
「では……」
「だが君の希望通りとはいかないな。私が話を聞くのは、リュシー、君だ」
その言葉に、リュシーの目が丸くなる。おや、想定していなかったのか。当然だと思うが。
私の足を止めたのは、ヴィヴィアンヌではなくこの少女だ。彼女の話ならば聞こうじゃないか。
「君の話がつまらなければ、私は君を突き飛ばしてでもこの部屋を出ていこう。さて、君の話を聞かせてくれ」
「……ならテオフィル殿下、失礼ながら。貴方の目は節穴ですか」
あは、この子言うなあ! だめだ口元にニヤけそうになる!
先ほどまでよりも更に砕けた口調と、敵意に満ちた目。この感じ、人目がない時のシャンゼリンを思い出すな。
公爵令嬢のメイドということは、それなりの身分の令嬢のはずだが。いくら許しがあっても、普通は王族に対して向けない敵意だ。
背後でヴィヴィアンヌがソファーに座りこむ音が聞こえたが気にしない。ここまでの暴言だ、私が本気で断罪しようと思えば彼女でも庇いきれない。
遠慮ない物言いとか好きなので、断罪するつもりはないがね。直球勝負、いいじゃないか。
「どう見ても、どう考えても、お嬢様のお気持ちは本物です。テオフィル殿下、ヴィヴィアンヌお嬢様に好きな方との婚姻をと本気で考えているなら、その相手は貴方以外にはありえません」
「ふむ、それについてか。……君がどれほどヴィヴィアンヌと長い付き合いなのかは知らないが、他人の心情をそうも勝手に語るのはどうだろうね。見当違いのことを言っているとは思わないのかい?」
「それはテオフィル殿下も同じことでしょう。お嬢様の気持ちを勝手に否定した貴方が、それを言いますか」
「水掛け論だな」
まあ、私はそれなりに正しいことを言っていると思うのだが。ここで彼女と言い合いをしたところで意味がない、か。
腕組みし、ふむ、と息を漏らす。リュシーは睨んだ顔のまま、さらに言葉を重ねてきた。
「だいたい、お嬢様に何の不満があるというんですか? 勤勉で慎ましく、美しいヴィヴィアンヌお嬢様の、どこが気に入らないっていうんですか」
「君、ヴィヴィアンヌのこと大好きだな」
「当然です。私はヴィヴィアンヌお嬢様に救われたんですから」
救われた、ね。少々大げさな言い方だが、顔は真剣だ。本気で心酔しているのだろうな。ヴィヴィアンヌ、カリスマ性高いからなあ。気持ちは分からないでもない。
いや、同感はしないが。
「気に入らないところ、だったね。あえて言うなら、リュシーが言ったこと全部だよ」
にっこり、と満面の笑みを浮かべて言えば、空気が凍った。ああ、ヴィヴィアンヌも聞いているし、追撃しておくか。
「努力も向上心も、謙虚で驕ることのない態度も、全てが気に食わない。女性としての魅力に欠ける、と言えば分かるかい? シャンはその点理想的だったな、私を想って優しい言葉をかけてくれたし」
「そんなの……そんなの、誰でも言えることじゃない」
そうだね。でも言ってくれたのは彼女だけだった。
喉の奥で飲み込んで、笑みを返す。リュシーは随分と余裕がないな、焦っている。言葉を探すように視線が揺れ、唇が迷いながら言葉を紡ぐ。
「だいだい、婚約破棄をしたところでどうするんですか。シャンゼリンと結婚するんですか? 無理に決まっています」
「私が皇太子になって権限を使えば、可能性はあると思うが。シャンの才能は有用だしね」
本人が滅茶苦茶嫌がるから、やらないけどもね。対外的にはそう思わせておいたほうが楽なので、あえて否定はしない。
リュシーの表情が歪む。あれ、地雷踏んだかな。
「無理ですよ。だって貴方は、廃嫡されますから……っ」
「え、リュシー……?」
彼女の言葉に、呆然としたヴィヴィアンヌの声。
根も葉も噂もない戯言だ。こんな言葉を聞いたところで、ヴィヴィアンヌが真に受けるとは思わない。そこだけはありがたいな。
だが。うん、なるほど。
干渉してこなければ放置する予定だったが、違ったか。まあ若くして公爵令嬢の信頼篤いメイドとか、かなりのチートスペックでもなければおかしいしな。
ヴィヴィアンヌの様子から見るに、幼少期からの付き合い、であれば当然……。となると、彼女の変化の原因はリュシーにあるのか。
既に影響は十分に出ていたようだ。まったく、余計なことをしてくれるね。
「テオフィル殿下……?」
「リュシー、君だったんだな。ヴィヴィアンヌを変えたのは」
「は? って、え……!?」
困惑するリュシーの手を取り、にっこりと笑い引き寄せる。そしてそのまま。
「なんっ、え!?」
「テオフィル様!?」
どんっ、と。壁に身体を押し付け、自由を奪う。いわゆる壁ドンだな。リュシーの顔が赤くなっているのはその所為か。
ふむ。ではどうせなら、雰囲気を出すとしよう。
掴んだ手も壁に押し付け、軽く片足を壁に寄せる。これだけでもかなり圧迫感があるだろう。彼女の視界はほとんど私におおわれているはずだ。
「ずっと会いたかったよ、リュシー」
「なっに、え、テオフィル殿下っ!?」
あー、困ってる困ってる。やっぱり可愛い女の子が焦ってる姿を見るのは楽しいな、うん。
空いた手で髪を掬い、頬を撫で。耳元に口を寄せて、まるで睦言を囁くように。
彼女以外には聞こえないように、そっと。
「よくも私の邪魔をしてくれたものだね、転生者さん?」
「……ッ!?」
なんで、とか。どうして、とか。
リュシーの目の奥で疑問が沸き上がり、それが一つ一つ恐怖に変わっていく。理解できないものへの恐れ、多くを知るが故に未知への恐怖は強いだろう。
私の廃嫡の話など、本来どこにも存在しないのだ。それを単なるメイドであるリュシーが知っているのは、どう考えてもおかしい。半分カマかけだったが、いやあ当たって良かった。
今まで掌の上でうまく操っていたつもりだったろうに。プレイヤー気取りでヴィヴィアンヌに干渉したのかな。
「驚いたようだね。はは、攻略対象キャラクターにこんな記憶があるとは思わなかったかい?」
「……っりえな、なんで、嘘でしょ」
「ああ、余り大声を出さないでくれよ。ヴィヴィアンヌに聞こえたらまずいのは君も同じだろう?」
私の言葉に、リュシーはしばし逡巡してこくりと頷いた。顔は少し青いが、大丈夫そうだ。なかなかどうして、冷静な子だ。
まあ、しばらく大人しくしては貰おうか。そうでなければ困るんだ。
「……分かってるなら、なんで」
はて、何のことだ。ぽそりと落とされた疑問に首を小さく傾げる。リュシーは理解できないものを見るような目で私を見た。
「なんで婚約破棄なんて。私と同じなら分かるでしょ……?」
「同じ、という言葉は否定させてもらうよ。私はテオフィルとして生きている。君のように前世の延長戦というわけではなく、ね」
『わたし』の知識、情報を我が物として感じるのは確かだ。しかしあくまでそれは単なる別人の記憶に過ぎない。
まあ、あえて『わたし』の記憶から『わたし』を再現してなんちゃって幻聴ごっこしているのは、自分でもちょっと不気味だとは思うが。いいじゃないか、愚痴を言う相手がいないんだよ。
「君はどうやら前世の自我がはっきりしているようだね。私に楯突いたのもその所為かな」
「でも、なんでよ。だってこのルートじゃ、このままいけば」
ああ、彼女は知っているのか。この婚約破棄の先に何があるのか。ヴィヴィアンヌを思えばこそ、止めようとしたのか。
リュシーの悲鳴じみた囁きの続きを、私だって分かっている。
「これは、バッドエンドにしかならないじゃない……!」
分かっているよ、そんなこと。




