15:息苦しくて、堪らない。
薄く笑みを浮かべて、紅茶のカップを傾ける。ふむ、やはり良い茶葉を使っているなあ。傍らにいるメイドの腕もいいのだろう。
部屋の装飾といい、もてなしといい、本当に非の打ち所がない。
必要以上に華美ではなく、さりとて舐められるほどに質素でもない。こういったバランス感覚は上に立つ者に必要な要素だ。
流石は、ヴィヴィアンヌ。王妃候補として右に出るものなしと称された逸材だ。
もっとも、その表情も今は悲愴に染まっているが。
ことさら、ゆっくりとカップを置き、笑みを浮かべる。不思議そうに笑いながら、彼女の手元に、量の変わらない紅茶に目を落とす。
「どうしたんだい? ヴィヴィアンヌ。紅茶が冷めてしまうよ」
「……テオフィル、様」
「いやしかし、本当に素晴らしいね。君の部屋に来るたびに思うが、季節ごとに微妙に装飾のモチーフや色合いも変えているだろう」
「テオフィル様」
「少しは私も工夫を凝らすべきなのだが、どうにも億劫で後回しにしてしまってね。私におもてなしのセンスはないようだし」
テオフィル様、と。涙でにじんだ声色で囁いた彼女に、私はようやく目を向けた。
長い黒髪は、今日は編み込まれまとめられている。髪飾りの色は青、か。何を意味しているのか、考えるのは止めておこう。
装飾を控えたドレスは、彼女の魅力を何一つ邪魔しない。膨らみを押さえたスカートが逆に体のラインを感じさせて、肉感的な彼女が着ると何とも煽情的だ。と同時に、不思議と冒しがたい静謐さもある。
ヴィヴィアンヌ。私の婚約者の少女。
深い青の目を潤ませて、しかし気丈にも表情は崩さぬまま。彼女は鋭いまなざしを私へと向け、震えぬ唇を開いた。
「……今の御言葉は、本気と受け取ればよろしいのかしら」
「ああ、本気だ。焼き直しのように感じるかもしれないが、真剣に考えてくれ」
まったく、嫌になるね。私は緊張で泣きそうだっていうのに。できることならガクブル震えて許しを請いたいくらいだ。
いや、しないけども。
「私は君との婚約を、破棄したい」
今の私は、悪役なのだから。
さあ、覚悟を決めて演じ切ろう。
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『わたし』の記憶がなだれ込み、滑稽に幕を閉じたあの夜会から、既にひと月が経とうとしている。
その間に、彼女も考え続けていたのだろう。私の言葉の真意を。聡明な彼女のことだ、私が囁いた愛の言葉も、その場しのぎの単なる法螺と気づいているはずだ。
ヴィヴィアンヌは細く白い指をくっと丸め、しかし表情は変わらぬままで言葉を続けた。
「婚約を破棄したい、と仰いましたわね。ですがこれは陛下が定めた婚約ですわ。勝手な破棄は許されません」
「そうだね。だからこうして足を運んで、君に提案しているのだよ。陛下は君のことが気に入っているし、君の言葉ならば考えるだろう」
優秀で、美しく、国益になる。ヴィヴィアンヌは陛下の昔からのお気に入りだ。
そもそも、私の婚約者にヴィヴィアンヌを選んだのだって、傍に置いておきたいからだろう。そこに私の意思はない。
呼吸を整える。ああ、私は上手く笑えているだろうか。
軋む心臓から目を逸らし、どろどろに濁った言葉を吐き出す。
「なあそうだろう? 息子である私なんかよりも、陛下は君が気に入っている。どうやって取り入ったものか、教えてほしいくらいだね」
「……わたくしは別に、陛下に何かしたわけではありませんわ」
「おいおい、あまり私を馬鹿にしないでくれ。口さがない者たちの噂を知らないとでも? 皆言っているよ、『お綺麗なヴィヴィアンヌ様、何をしたのか、陛下も弟殿下も骨抜きにしてしまった』って」
「……っ!」
顔が、歪む。にたりと嘲笑って彼女を見れば、憤怒の色がちろちろと燃えていた。
ははは、ヴィヴィアンヌは誇り高いからな。煽り耐性が低いからやりやすいものだ。沸々と燃える火を必死に押さえているが、さていつまでもつかな。
「テオフィル様、それ以上の御言葉は……」
「許しません、かい? 一体何の権限を持って私の言葉を遮るんだい」
「貴方の、婚約者としてですわ。皇太子になられるお方が下賤な噂に耳を貸すなんて、外聞も悪いですわ」
「へぇ、つまりは私が恥さらしだから黙ってろってことだろう? 王妃の座から王になった私を操るには、喋らない馬鹿の方が都合がいいものね」
「そんな事、誰が思う物ですか!」
言葉と共に、ヴィヴィアンヌがソファーから立ち上がる。まったく、私が関わらなければ理知的なのだが。
今だって、怒りに燃えながらも頭は巡るましく回転しているのだろう。本当に、反吐が出るほど優秀だ。
「……誰もが思うさ。私と見比べて、君を褒め称える。君が目指す国の未来はこんなところかい?」
「テオフィル様、戯言はこのくらいに……」
「君は私の隣に来るな」
意識して温度を下げた声に、ヴィヴィアンヌの肩がびくりと震えた。
先ほどまでの煮えたぎるような悪意とは裏腹な、酷く冷めた声色。表情も消える、ああ、彼女の前でこんな顔になるのは初めてだろうな。
いつも、意識して微笑んでいた。
そうでなければ、いつだってこんな顔をしていただろうから。
「もうたくさんだ。こんな政略結婚で、恋愛の真似事などやってられるか。苦痛だったよ、馬鹿みたいに君に愛を囁くのは」
今までの記憶を全て、嘘に変えてしまえ。大丈夫、私ならできるはずだ。
ヴィヴィアンヌの目に涙がたまる。深い青、海のようだな。溺れてしまいそうだ。広く、深く、厳しくも正しく、完璧で。
息苦しくて、堪らない。
「嘘ばかりでもう飽き飽きだ。君だってそうだろう? 大して好きでもない私に愛を囁く役から、もう解放してあげるよ」
「テオフィル様! わたくしは……」
「お慕いしております、かい?」
先んじた私の言葉に、ヴィヴィアンヌが止まる。ああ、泣きそうだね。でもこれでいい。
君は悪い王子様に騙された、可哀そうな女の子。悪役令嬢なんかじゃない、悲劇のヒロインだ。
「知っているさ、君はそう答えるしかないだろう。私は王族だからね、不敬罪を問われる可能性が付きまとう」
「そう、ではなくっ。わたくしは純粋に貴方のことが」
「もういいよ、ヴィヴィアンヌ」
彼女が、私に対して少なからず好意を抱いているだろうとは、分かっている。そうでなければ、あの夜会であんな賭けには出ない。
だが、彼女のそれは単なる気の迷いだ。
真面目な彼女のことだから、婚約者である私を愛さねばならないと。好意を持たねばならないと、そうやって幼少期から思い込んだだけだ。
顔を赤くして、目を潤ませて。悲痛に愛を叫んでいても。
勘違いしちゃ、いけない。私が愛されているはずがない。愛される価値が、私にあるはずがない。
「まあ、君のような美しい人に言われるのは、悪い気はしないがね。それは本当に好きな人に取っておくといい。ああ、私との婚約が破棄されたら、好きな人を選ぶと良いよ。君は引く手あまただろう」
「な……っ」
「継承の儀が終わるころには、陛下に話をしたい。考えておいてくれ」
さて、と。紅茶を煽って飲み干し皿に戻せば、かちゃんと小気味よい音を立てた。ああもう、これ以上は何も考えたくないな。部屋に戻ったら『わたし』とお喋りでもしたい。
「それじゃ、後は手紙でもよこしてくれ。君とはもう話したくもない」
「テオフィル様!」
ソファーから立ち上がり、ドアへと身体を向ける。背中にヴィヴィアンヌの声を受け、おや。
後はもう出ていくだけだと思ったのだが、とんだ伏兵がいたものだ。
「そこをどいてくれないかい?」
「どきません。貴方が、お嬢様の話を聞くまでは絶対に」
ドアの前に立ちふさがるメイドに、私はやれやれと肩をすくめた。
どうやら、延長戦らしい。




