11:ふはは、実に愉悦。
静かな場所だ。
学園に併設された図書館、その中でも人目のない片隅の机と椅子。そこが彼の定位置だ。分厚い本と紙束の向こうから、かりかりと万年筆の音が響く。
ひょいと覗きこめば、眼鏡の奥のまなざしは鋭く文字列を追っていた。この様子だと、私が来たことにも気づいていないらしい。
これはなんというか……驚かせたくなるな。いやしかし、ここにある本は貴重なものが多い。破損すれば大変なことになる。
いつもならば一歩下がり、ノック音で気づかせるのだが。こうもまったく気づいていないと、もうフリにも見えてきてうずうずする。
ふむ。
私はそっと彼の背後に回り込み、手を大きく広げた。今か、いやもう少し。忙しそうに綴られゆく文字列は、終わりに差し掛かっている。
万年筆の音が、止まった。
「ひっさしぶりだなーあマルセル!」
「ひぎゅわああああ!?」
両手を封じ込めるようにしてのハグに、なんとも形容しがたい気の抜けた悲鳴。
うむ。余は満足じゃ、だな!
+++++
「ぼ、ぼくをからかうのは止めてくださいって、前にも言いましたよね!? 口先で翻弄するのだけじゃなくて、全身で驚かせるのも止めてくださいよ!」
「分かった、今度からは止めておくよ」
「……言葉と全身以外でならいいってことじゃないですからね!?」
「ちっ」
「今舌打ちしませんでした、っていうかしましたよね!? 何が貴方をそこまで駆り立てるんですか!?」
「悪戯小僧の浪漫かな」
「すっごくいい笑顔で言い切っちゃいましたよこのお方ー!」
ああ、なんていうかもう、癒されるなあ!
デュウと毒を交えながらの会話も楽しいし、シャンゼリンに呆れられるのも嬉しいが。
このきゃんきゃんと良いリアクションをしてくれる少年のツッコミに、凄まじく癒される。ボサボサの髪に猫背と、陰鬱な雰囲気の割に悲鳴は元気だ。
「研究の後押しをしてくださる殿下には感謝していますけど、こういうのは止めてくださいよ」
「ははは、援助の内訳は研究と悪戯と私の暇つぶしだよ」
「殿下っ!?」
いやあ本当に、打てば響くような良い悲鳴。
やっぱり私は、マゾというよりもサドっ気の方があるようだ。シャンゼリンに軽蔑されるよりも、マルセルを焦らせる方が愉しい。ふはは、実に愉悦。
「勿論、冗談だよ。マルセルのことは、とても頼りにしている。こんなことを真面目に研究してくれるのは、君くらいなものだしね」
「……こんな研究に援助してくださるのも、殿下くらいなものですよ。貴重な本の貸し出し許可や、遺跡の立ち入り許可、質の高い紙やインクまで……」
「この研究は私のわがままだ、当然だろう?」
まあ、彼はなかなかに稀有な存在だ。
ほとんどの人間が当たり前のように妖精を受け入れている中で、わざわざその生態を研究しようというのだから。
この国の人間にとっては、妖精というのは物心つく前からどこか傍にいる者たちだ。
干し草小屋にブラウニーの目が光り、コボルトの悪戯で鉱物の値が簡単に崩壊する。人里離れた丘でフルドラが躍り、靴屋にはレプラコーンの気まぐれで美しい革靴が置かれている。
月に一度はそんなことが起こるという、なんともメルヘンな国だ。
他国ではこうはいかない。普通は妖精なんてもの、幼い時にしか認識できない、かかわりも薄い存在だ。
妖精と関わったことがあるというだけで、三代渡って自慢話になるほど珍しい、と言えばなんとなく伝わるだろうか。
しかし、この国では違う。
何故なら、この国の開祖はフルドラを妻にしたから。
丘尾妖精フルドラ。
妖精の中で最も人間に近い姿形をしている。美しい女性の姿をしているが、牛の尾が生えた妖精だ。
彼女を魅了した者は、子孫代々、小妖精たちに愛され繁栄する。だが、彼女に魅了された者は魂を失うというし、なかなかに恐ろしくもある妖精だ。
私のご先祖様、何というギャンブラーかつ女たらしだろうか。
まあその所為で、子孫代々、妻を同時に複数持つことが許されないのだが。簡単に言えば、妻の実家に滅茶苦茶怒られる。
妖精によって成り上がった国だ。妖精にそっぽを向かれたら、たぶんすぐ滅ぶんじゃなかろうか。
それほど、この国にとって妖精は当たり前すぎるのだ。
「私としては妖精に頼りすぎない国を目指してみたいのでね。マルセルの研究は大いに役に立つんだよ」
「妖精の血が流れる王族とは思えない発言ですね!?」
「えーと、ほら、あれだ。私は改革派なんだよ」
「凄く思い付きで発言した顔してますよ!?」
てへぺろ。
マルセルは両手で眼鏡の位置を直しながら、あうあうと唇を震わせた。
こういう姿を見ているとなんとも苛めたくなる。といっても、これで専門分野について語らせるとキリリと引き締まるという、お約束な一面もある。
そういえば、彼もまた『攻略対象』だったか。誰にも目を向けられない、不憫で弱気な研究者。チュートリアルで軽く顔を合わせた程度だったが、『わたし』も苛めたくなったなあ。
「ええと、それで、今日は一体どういった話を? まさか本当に、ぼくをからかいにきただけじゃないですよね?」
「ああ、ちょっと研究の進歩状況を聞きにきたんだ。いくつか確かめたいこともあってね」
「確かめたいこと、ですか?」
「私の知識も間違ってはいないと思うが、一応ね。妖精の魔法、【チェンジリング】について知りたい」
私の言葉に、マルセルは一瞬訝し気な色を浮かべ、しかしすぐに傍らの冊子に手を伸ばした。彼が今まで集めた、妖精の生態についてのレポートだ。
「有名な魔法ですから、殿下も基本的なことは知ってますよね。それ以外、ってことでいいですか?」
「ああ。具体的には【チェンジリング】の魔法を打ち破る方法や、帰ってきた者についてあたりだ」
「帰ってきた、ですか? それならシャンゼリンさんに話を聞くのが一番だと思いますが……」
「確かにそうだけど、あれ、シャンと面識あったのかい?」
常に研究に没頭しすぎて、人間関係をまるで築けていないマルセルが、面識があるとは。
というか私以外の人間と話しているところを見たことがないのだが。
マルセルはきょとんと瞬いて、逆に不思議そうに問いかけてきた。
「殿下、【チェンジリング】から帰ってきた人物と直接話せる機会なんて、数十年に一度あるかないかですよ? ぼくが、取材しにいかないと思いますか」
「物凄く納得した」
普段引きこもりで人見知りが激しいくせに、研究のこととなるとやたらとアクティブだった。
うーむ。シャンゼリンといい、マルセルといい。私の周囲はどうも一癖も二癖もある人物ばかりだな。常識人はいないのか。
類は友を呼ぶ。『わたし』の冷静なツッコミが脳裏で入ったが、そ知らぬふりでもしておこう。




