第三十話 猫に戻った夜
神社へ行った二日後の夜、こはくは夕食のあと、直人の肩へ頭を預けていた。
「私、人間になってよかった」
「後悔してない?」
「してない。直人と話せるし、美咲もいる。外も歩ける」
少し考え、付け足す。
「人間になれたら、もっと長く直人といられるって思ったのも、本当だと思う」
直人は静かに聞いた。
その十分ほど後、こはくの身体が震え始めた。
「また?」
「背中、痛い」
呼吸が速くなる。
直人は手を握り、悪化すれば救急へ連絡するつもりでスマートフォンを置いた。
「怖い」
「俺もいる」
「手、離さないで」
「離さない」
次の瞬間、こはくの身体が大きく跳ねた。
腕の中の重みが急に変わる。
部屋着がソファへ崩れ、その中から茶色と白の猫が顔を出した。
直人は息を止めた。
「……こはく?」
八年間見慣れた姿だった。
猫は直人の指の匂いを嗅ぎ、頭を押しつける。
直人のことは分かっているらしい。
けれど、こはくのスマートフォンを見せても興味を示さない。
人間の姿で撮った写真にも、ほとんど反応しなかった。
「美咲は?」
当然、答えはない。
家の中も直人のことも覚えているらしいのに、人間になってからの記憶が残っているのかだけは確かめられず、直人は怖くなった。
榊へ連絡を入れ、その夜は猫のこはくを抱いて眠った。
胸の上へ乗ってくる。
昔なら当たり前だった重さが、今は寂しかった。
「人間になっても、戻ってこいよ」
返事は喉を鳴らす音だけだった。
翌朝になっても、こはくは猫のままだった。




