第二十九話 願ったのは誰だったのか
翌日、神社から連絡があった。
夕方なら古い記録を見せられるという。
二人で社務所を訪ねると、宮司の榊が待っていた。
机の上には古い帳面と、小さな木箱がある。
箱の中には細い赤い紐が残っていた。
「昔の縁結びの紐です」
榊が説明する。
「願いを書いた紙に結び、社殿へ納める形式だったそうです。写真の猫の首についているものと、かなり似ています」
こはくは赤い紐を見つめる。
直人は迷った末、猫がこはくだったことを話した。
榊は笑わなかった。
証明を求められ、こはくは隠していた尻尾を見せる。
榊は驚いたものの、無理に触ろうとはしなかった。
「古い記録に、似た記述があります」
榊は帳面を開き、該当する箇所を指した。
『縁持ちの獣、境内に迷い込む。結び紐、首に残る。無理に解かず、縁の向かう先へ委ねること』
別の記録には、『強き縁、形を借りて続くことあり。されど借りたる形は、元の命を食む』ともある。
直人の胸が冷える。
「猫の命を使ってるってことですか?」
「断定はできません。ただ、耳が消えた後の発作と無関係とは言い切れないでしょう」
こはくは黙って帳面を見た。
榊が聞く。
「人の姿になった前夜、何か願いませんでしたか」
直人は思い出す。
猫だったこはくを撫でながら、年齢のことを考えた。
「お前までいなくなったら、さすがにきついな」
そう言った。
こはくも、しばらく黙ったあと話し始めた。
「私、人間になりたかったんだと思う」
「覚えてる?」
「全部じゃない。でも、直人ともっと一緒にいたかった」
猫だった頃、直人の話は聞けても返事はできなかった。
外へ一緒に歩くことも、同じ食卓で食べることもできなかった。
「人間になれたら、直人と話せるし、もっと長く一緒にいられるのかなって。たぶん、そう思った」
だから、あの朝に人間の身体を見て、あれほど喜んだ。
直人も同じ夜に、離れたくないと願っていた。
榊は帳面の別の箇所を示す。
『形を得しもの、いずれ選ぶ時を迎える。元へ帰るか、新しき形に根を張るか。選びは本人にのみ委ねらる』
「本人にのみ」
こはくが繰り返すと、榊は頷いた。
人間として生きるか、猫へ戻るかを最後に決めるのは、こはく自身らしい。
直人はすぐ答えを求めなかった。
この選択だけは、自分が代わりに決めてはいけないと思った。




