第二話 こはく
午前休を取ったところで、問題は何一つ片づいていなかった。
直人は朝食のあと、こはくに箸とスプーンの使い方を教えた。
箸はすぐに諦め、スプーンで食べることにしたこはくは、かつおぶしの載ったご飯を満足そうに口へ運んでいる。
「人間、食べるの面倒」
「猫の時みたいに皿へ顔突っ込むなよ」
「もうしない」
言った直後に皿へ鼻を近づけたので、直人は無言で額を押し戻した。
食後はトイレだった。
ドアの向こうから使い方を説明し、分からないところだけ答える。
排泄そのものまで世話をするつもりはないし、こはくもそこは嫌がった。
何とか終えて出てきたこはくは、妙に疲れた顔をしていた。
「人間、大変」
「まだ朝だぞ」
次は服だった。
通販で最低限を揃えるため、直人はメジャーを渡す。
「胸とか腰とか測る。やり方は画面見る。俺は向こう行ってる」
「直人がやらないの?」
「やらない」
「猫の時は身体触ってた」
「今と一緒にするな」
こはくは納得しないまま洗面所へ消えた。
戻ってきた数字を参考に、Tシャツや部屋着、下着を選ぶ。
下着の画面を見たこはくが、直人のものを指した。
「同じじゃだめ?」
「だめ」
「なんで?」
「身体が違うから」
説明している自分がひどく疲れる。
一通り注文したあと、こはくはソファへ座った。
しばらく直人を見てから、手招きする。
「直人」
「何だ」
「撫でて」
「人間になったんだぞ」
「頭なくなってないよ」
それはそうだが、そういう意味ではない。
こはくは返事を待たず、直人の太腿へ頭を乗せた。
猫だった頃なら何百回もされたことなのに、人間の姿だと急に距離が近い。
直人が迷っていると、こはくが見上げた。
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ撫でて」
直人は仕方なく髪へ手を置いた。
「そこ」
「注文するな」
「もうちょっと右」
言われた通りに動かすと、こはくは満足そうに目を細めた。
午後から会社へ行く準備を始めると、こはくは直人の動きを目で追った。
「私、人間になっただけ」
「それが一番でかいんだよ」
「でも留守番できる」
直人は心配を残しながらも、一度考え込んだ。
何も分からないからと家へ閉じ込め続けるわけにもいかない。
とはいえ、今すぐ一人にするのは不安だった。
「今日は午後だけだから。ガスは触るな。玄関も開けるな」
「分かった」
「何かあったら――」
連絡手段がないことに気づく。
こはくは玄関までついてきた。
「早く帰ってきて」
「なるべく」
「約束?」
「努力する」
「それ約束じゃない」
直人は苦笑して家を出た。
猫だった頃と同じ家に、猫だった頃とは違うこはくを残していくことが、思っていた以上に気になった。




