第9話 ざまぁ
第9話 ざまぁ
ルスタムは信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
自分は王太子なのだ。
生まれた時から王になることが決まっていた。
誰もが頭を下げる存在だった。
それなのに今、目の前にある現実はあまりにも惨めだった。
王宮の一室。
かつては来客用の応接間だった部屋に、ルスタムは一人で座っていた。
豪華な絨毯はある。
金細工の燭台もある。
だが、どれも今日限りだった。
窓の外では春の風が木々を揺らしている。
青空はどこまでも穏やかだ。
その穏やかさが、かえって残酷だった。
扉が開く。
国王の側近が入ってきた。
黒い礼服を着た老臣は、いつもなら王太子に対して恭しく頭を下げる。
だが今日は違った。
形式的に一礼しただけだった。
「ルスタム殿下」
その呼び方に、ルスタムは眉をひそめた。
いつもは『王太子殿下』だった。
「何だ」
「陛下がお呼びです」
冷たい声だった。
ルスタムは立ち上がる。
嫌な予感がしていた。
だが認めたくなかった。
公開審問会は失敗した。
証拠も出た。
マリアの横領も発覚した。
だが、自分は王太子だ。
多少の失態で地位を失うはずがない。
そう信じたかった。
玉座の間には国王とアルベルト、それに重臣たちが並んでいた。
空気は重い。
誰一人として笑っていない。
国王はしばらく黙ったまま息子を見つめていた。
その視線に、ルスタムは初めて恐怖を覚えた。
「父上」
呼びかける。
返事はなかった。
代わりに国王は静かに言った。
「余は失望した」
胸が冷える。
「父上、私は――」
「黙れ」
低い声だった。
玉座の間の空気が凍る。
ルスタムは言葉を失った。
「余は何度も機会を与えた」
国王は続ける。
「だがお前は真実より己の保身を選んだ」
「違います!」
ルスタムは叫んだ。
「私は王家を守ろうと――」
「ならばなぜ無実の娘を犠牲にした」
鋭い一言だった。
ルスタムは返せない。
国王の視線がさらに厳しくなる。
「お前が愛したのはマリアではない」
玉座の間が静まり返る。
「父上……?」
「お前が愛したのは、自分を甘やかしてくれる幻想だ」
その言葉は刃だった。
ルスタムの胸を深く切り裂く。
「エレノアは耳の痛いことも言っただろう。王妃として必要なことを学び、努力し、支えていた」
国王はゆっくりと言う。
「だがお前は現実から逃げた」
誰も反論しない。
できない。
全員が知っていたからだ。
「よって余は決定する」
国王が立ち上がった。
「ルスタム第一王子の王位継承権を永久に剥奪する」
ルスタムの頭が真っ白になった。
「待ってください」
声が震える。
「父上、私は王太子です!」
「違う」
国王は冷たく言った。
「お前は今日からただのルスタムだ」
その瞬間だった。
実況が響く。
【ルスタム選手、自分が特別ではないことを初めて知りました!】
誰かが吹き出した。
重臣たちでさえ肩を震わせている。
ルスタムは真っ赤になった。
「笑うな!」
【なお国民の皆様は三年前から知っていた模様です!】
玉座の間の外から笑い声が聞こえる。
もはや誰も王太子として扱っていない。
ルスタムは膝から崩れ落ちた。
その頃。
マリアは王宮地下の牢にいた。
石壁は冷たく湿っている。
薄暗い牢獄の中で、彼女は震えていた。
豪華なドレスは取り上げられた。
今着ているのは粗末な灰色の囚人服だけだ。
髪も乱れている。
「嘘でしょう……」
呟く。
誰も答えない。
愛人たちはどうしたのだろう。
商会の仲間たちは。
支援者たちは。
そう思っていると看守が手紙を投げ込んだ。
マリアは慌てて開く。
だが内容を読んだ瞬間、顔色が変わった。
支援者たちは全員離反していた。
責任はマリア一人に押し付けられていた。
商会も切り捨てた。
愛人たちも逃げた。
誰一人残っていない。
「そんな……」
手紙が落ちる。
膝から力が抜けた。
これまで甘い言葉を囁いていた男たちは、誰一人助けに来なかった。
彼らが愛していたのはマリアではない。
権力だった。
金だった。
利用価値だった。
その価値が消えた瞬間、全員が消えた。
マリアは初めて理解した。
自分もまた、幻想を愛していただけだったのだと。
一方その頃。
王宮の庭園ではエレノアがベンチに座っていた。
藤色のドレスの裾が春風に揺れる。
隣にはアルベルト。
銀のティーポットから紅茶が注がれる。
焼きたてのスコーン。
苺のジャム。
蜂蜜。
温かな香りが漂っていた。
「終わりましたね」
アルベルトが言う。
エレノアは空を見上げた。
青かった。
どこまでも。
「はい」
静かに答える。
嬉しいはずなのに、ざまぁを見た爽快感より別の感情の方が大きかった。
悲しさだった。
十年間。
本当に十年間だった。
愛した人。
信じた人。
家族。
全部が間違いだった。
その事実は勝利しても消えない。
アルベルトは何も言わなかった。
ただ黙って紅茶を差し出した。
エレノアは受け取る。
温かい。
その温もりが指先から伝わる。
「ありがとうございます」
「いえ」
短い返事。
それだけだった。
だが不思議と安心した。
もう無理に頑張らなくていい。
誰かの期待に応えるためだけに生きなくていい。
そんな気がした。
実況が聞こえる。
【エレノア選手、ようやく普通に紅茶を飲める生活を獲得しました!】
エレノアは思わず笑った。
本当にそうだった。
ここ数年、紅茶一杯飲むにも王妃教育や公務や婚約者の機嫌がついて回った。
今は違う。
ただ紅茶が美味しい。
それだけで十分だった。
【なおルスタム選手は現在、人生最大級の反省会を開催中です!】
遠く王宮の別棟から悲鳴が聞こえた気がした。
エレノアはカップを置く。
そして小さく息を吐いた。
長い冬が終わった。
そう思えた。
本当の春は、これから始まるのだ。




