第10話 本音は隠せない
第10話 本音は隠せない
エレノアは困っていた。
人生でこれほど困ったことがあっただろうかと思うほど困っていた。
ルスタムに婚約破棄された時より困っているかもしれない。
王妃教育で徹夜した時より困っているかもしれない。
なぜなら。
目の前にいる男が格好良すぎたからだ。
春の陽光が降り注ぐ王宮の庭園。
色とりどりの花が咲き誇り、噴水の水音が涼やかに響いている。
白いテーブルクロスの上には午後のお茶が並んでいた。
焼きたてのスコーン。
蜂蜜。
苺ジャム。
レモンタルト。
香り高い紅茶。
穏やかな時間だった。
本来なら。
しかしエレノアの心臓は穏やかではなかった。
向かい側に座るアルベルトが原因である。
濃紺の上着に銀糸の刺繍。
整った横顔。
柔らかな微笑み。
そして誰よりも有能。
こんな男が真正面に座っているのだから落ち着けという方が無理だった。
「エレノア嬢」
アルベルトが微笑む。
その瞬間。
エレノアの脳内で警報が鳴った。
(顔が良い)
沈黙。
一秒。
二秒。
そして。
【顔が良い!!】
実況が王国中へ響き渡った。
紅茶を飲んでいたエレノアが盛大にむせた。
「げほっ!」
「大丈夫ですか!?」
アルベルトが慌てて立ち上がる。
その様子を見ていた庭師たちが吹き出した。
王都の市場でも笑い声が上がる。
「また始まったぞ!」
「今回は恋愛編だ!」
「酒持ってこい!」
エレノアは真っ赤になった。
顔が熱い。
耳まで熱い。
実況は容赦がない。
本当に容赦がない。
「も、申し訳ありません」
「いや、こちらこそ」
アルベルトも少し笑っていた。
エレノアは必死に平静を装う。
紅茶を飲む。
落ち着け。
冷静になれ。
相手は第二王子だ。
顔だけで評価するなんて失礼である。
そう思った瞬間。
アルベルトがカップを取ろうとしていた侍女をさりげなく手伝った。
重そうなポットを代わりに持つ。
侍女は恐縮して頭を下げる。
アルベルトは当たり前のように微笑んだ。
エレノアは見てしまった。
(優しい)
【優しい!!】
王国中へ実況が響く。
市場で爆笑。
酒場で拍手。
パン屋のおばさんが机を叩いて笑っている。
「知ってる!」
「それは知ってる!」
「全員知ってる!」
エレノアは頭を抱えた。
もう嫌だった。
どうして心の声だけこんなに元気なのか。
「どうかしましたか?」
アルベルトが首を傾げる。
その仕草まで格好良い。
本当に困る。
「な、何でもありません」
「そうですか?」
絶対に信じていない顔だった。
エレノアはレモンタルトを口に運ぶ。
甘酸っぱい香りが広がる。
少し落ち着いた。
そう。
落ち着こう。
顔が良い。
優しい。
それだけで好きになるわけではない。
大切なのは中身だ。
その時だった。
庭園の向こうから役人が走ってくる。
「殿下!」
「どうしました」
「南部の治水工事ですが、予算不足で――」
アルベルトは話を聞く。
数秒考える。
そして即座に答えた。
「予備予算を回してください。余った王宮改修費を転用します。住民避難も先に進めましょう」
「はっ!」
役人は安心した顔で走り去った。
エレノアは思った。
(有能)
一瞬の沈黙。
そして。
【有能ーーー!!!】
王国中が爆笑した。
「知ってる!」
「それも知ってる!」
「むしろそこが一番大事!」
王都の酒場では誰かが椅子から落ちた。
実況は続く。
【エレノア選手、顔が良くて優しくて有能な男を前に大苦戦しております!】
エレノアはテーブルに突っ伏した。
もう帰りたかった。
穴があれば入りたい。
しかしアルベルトは笑っていた。
肩を震わせている。
珍しく楽しそうだった。
「エレノア嬢」
「……はい」
「他には?」
エレノアは顔を上げた。
アルベルトが笑っている。
灰色の瞳が優しく細められていた。
「え?」
「顔が良い」
アルベルトが指を一本立てる。
「優しい」
二本目。
「有能」
三本目。
「それ以外は?」
エレノアは固まった。
王国中も固まった。
実況まで黙った。
静寂。
噴水の音だけが聞こえる。
エレノアの心臓が暴れた。
どくどくと鳴る。
逃げたい。
けれど逃げられない。
アルベルトは待っていた。
急かさない。
ただ優しく待っていた。
その優しさが反則だった。
エレノアは思う。
この人は助けてくれた。
誰も信じてくれなかった時に信じてくれた。
誰も味方にならなかった時に味方になってくれた。
泣けなかった自分を救ってくれた。
そして今も。
こうして隣にいてくれる。
胸が熱くなる。
温かくなる。
ああ。
そうか。
私は――。
(好き)
静寂。
一秒。
二秒。
三秒。
そして。
【告白成立ーーーーー!!!】
王国中が揺れた。
市場で歓声。
酒場で乾杯。
パン屋で拍手。
王宮の衛兵までガッツポーズしていた。
「やっとか!」
「長かった!」
「知ってた!」
「全員知ってた!」
実況も興奮している。
【全国の皆様、お待たせしました! 本日の主役がようやく自覚しました!】
エレノアは真っ赤になった。
頭から湯気が出そうだった。
もう終わりだ。
王国中に聞かれた。
完全に聞かれた。
人生最大の公開告白だった。
恐る恐るアルベルトを見る。
笑われるかもしれない。
困らせたかもしれない。
そう思った。
だが。
アルベルトはとても優しく笑っていた。
「良かった」
その一言だった。
「私だけかと思っていました」
エレノアは目を見開く。
アルベルトの耳も少し赤かった。
王国中が再びざわつく。
そして実況。
【相思相愛確認!!】
歓声。
拍手。
口笛。
もはや祭りだった。
エレノアは思わず笑った。
本当に久しぶりだった。
取り繕う笑顔ではない。
誰かの期待に応える笑顔でもない。
心から自然にこぼれた笑顔だった。
春の風が吹く。
花の香りが漂う。
青空はどこまでも高い。
アルベルトも笑っている。
エレノアも笑う。
実況も騒いでいる。
うるさいくらいに。
でも不思議と嫌ではなかった。
もう本音を隠さなくていい。
誰かのために我慢しなくていい。
自分の気持ちを、自分の言葉で伝えていい。
それがこんなにも幸せなことだったなんて。
エレノアは初めて知ったのだった。




