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第8話 公開審問会

第8話 公開審問会


エレノアは不思議なほど落ち着いていた。


数日前までなら、この場所へ来るだけで足が震えていただろう。


大勢の視線が怖かった。


ルスタムの顔を見るのも辛かった。


けれど今は違う。


胸の奥に残っているのは悲しみではなく、長い悪夢から覚めた後のような奇妙な静けさだった。


王宮の大審問会場には、朝早くから多くの貴族や官僚たちが集まっていた。


高い天井からは巨大なシャンデリアが吊るされ、磨き上げられた大理石の床には無数の光が反射している。


観覧席には王都の有力商人や学者たちまで招かれていた。


国王自らが命じた公開審問会。


誰もが歴史的な一日になると理解していた。


エレノアは淡い藤色のドレスを身にまとっていた。


アルベルトが用意してくれたものだ。


胸元には小さな銀の刺繍が施されている。


修道院送りを宣告された日から比べれば顔色も少し戻っていたが、それでも頬はまだ痩せていた。


「大丈夫ですか」


隣からアルベルトが声を掛ける。


濃紺の礼装に身を包んだ第二王子は、いつものように落ち着いていた。


エレノアは小さく微笑む。


「はい。少しだけ緊張しておりますが」


「無理はしないでください」


その声は優しかった。


その優しさに、エレノアの肩の力が少し抜ける。


やがて大扉が開かれた。


国王が入場する。


場内の空気が引き締まった。


全員が立ち上がる。


重々しい沈黙。


その中でルスタムが姿を現した。


王太子らしく豪華な赤い礼装をまとっている。


金の刺繍。


宝石の飾り。


完璧な装いだった。


だが顔色は悪かった。


目の下には濃い隈が浮かんでいる。


エレノアはその姿を見て、胸が痛まなかった。


以前なら心配しただろう。


眠れていないのではないか。


何か辛いことがあるのではないか。


そう考えただろう。


しかし今は何も感じない。


ただ遠い他人を見ているようだった。


「これより公開審問会を始める」


国王の声が響く。


「ルスタム王太子、およびマリア・ローゼンベルクに関する疑惑を審議する」


場内がざわめいた。


マリアは青ざめていた。


白いドレスに包まれた身体が小刻みに震えている。


ルスタムは前へ出ると、高らかに言い放った。


「父上! まず申し上げます!」


その声は大きかった。


自信を取り戻そうとしているようにも見える。


「今回の騒動は、あの神託なる戯言によって引き起こされたものです!」


会場がざわつく。


ルスタムは続けた。


「空から聞こえる正体不明の声など信じる方がおかしい! 悪魔の悪戯かもしれないではありませんか!」


一部の貴族が顔を見合わせた。


ルスタムは勢いづく。


「そのようなものを根拠に王太子を裁こうなど――」


「誰も神託だけで裁いておりません」


冷静な声が割り込んだ。


アルベルトだった。


彼はゆっくり立ち上がる。


そして大きな木箱を指差した。


「だから証拠を集めました」


場内が静まり返る。


アルベルトは箱の蓋を開けた。


中から分厚い帳簿を取り出す。


「こちらはローゼンベルク商会の裏帳簿です」


マリアの顔色が変わる。


「嘘です!」


「本当に?」


アルベルトは淡々としていた。


「では、この横領された王室予算三万金貨について説明していただけますか」


会場がどよめく。


三万金貨。


庶民が一生働いても手にできない額だった。


「そ、それは……」


マリアが言葉に詰まる。


アルベルトはさらに書類を並べた。


「こちらは使用人の証言記録」


「こちらは会計担当官の証言」


「こちらは別荘の隠し金庫から発見された手紙です」


机の上に証拠が積み上がっていく。


まるで棺桶に土をかけるように。


ルスタムの額に汗が浮かんだ。


「ま、待て」


「まだあります」


アルベルトは容赦しなかった。


「王室費流用の記録」


「愛人への送金履歴」


「虚偽告発に関する打ち合わせ文書」


会場から悲鳴にも似た声が上がる。


ルスタムは真っ青になった。


「違う!」


「何が違うのですか」


「これは捏造だ!」


「全員が同じ捏造をしたと?」


アルベルトが問い返す。


ルスタムは答えられない。


その姿を見ながら、エレノアは不思議な気持ちになっていた。


十年間。


十年間も自分はこの男を愛していた。


この男に認められたくて努力していた。


夜遅くまで勉強し。


礼儀作法を学び。


外交も経済も必死に覚えた。


全部、この人の隣に立つためだった。


だが今。


狼狽えながら責任転嫁を繰り返すルスタムを見ていると、胸の中に別の感情が浮かぶ。


(あんな男を十年も好きだったの? わたし)


その瞬間だった。


空から実況が響く。


【エレノア選手、自分の男を見る目に絶望しております!】


会場が静まり返る。


一拍遅れて誰かが吹き出した。


【十年分の黒歴史が脳内再生中です!】


笑い声が広がる。


国王ですら口元を押さえていた。


そして観覧席の誰かが呟いた。


「それは本当にそう」


爆笑が起きた。


エレノアも思わず肩を震わせる。


泣くほど辛かった出来事なのに。


なぜか少しだけ笑えてしまった。


アルベルトも口元を緩めている。


ルスタムだけが真っ赤になっていた。


「笑うな!」


叫ぶ。


だが誰も止まらない。


【国民の皆様、満場一致です!】


再び笑いが起きた。


ルスタムは完全に取り乱していた。


かつて王太子だった男。


誰も逆らえなかった男。


その威厳はもうどこにも残っていない。


国民が見ている前で。


貴族たちが見ている前で。


彼はただの小さな男になっていた。


エレノアは静かに息を吐く。


胸の奥が少し軽くなった気がした。


長い長い呪いが解け始めている。


そんな感覚だった。


そして壇上では、アルベルトが最後の証拠へと手を伸ばしていた。


本当の崩壊は、まだこれからだったのである。



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