表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/11

第7話 崩壊する王太子

第7話 崩壊する王太子


ルスタムは眠れなかった。


昨夜もほとんど目を閉じていない。


王宮の豪華な寝室には最高級の羽毛布団が用意されている。暖炉には火が入り、香木の甘い香りが漂っている。それでも彼の胸の奥には冷たい石が詰まったような不快感が残り続けていた。


原因は分かっている。


神の実況だった。


以前なら王都の人々は自分を見るだけで頭を下げた。王太子として生まれたルスタムは、自分が愛されていると信じて疑わなかった。


だが今は違う。


何かがおかしくなっていた。


朝食の席でも落ち着かなかった。


銀の皿には焼きたてのクロワッサン、半熟卵、蜂蜜をかけた果物、香り高い紅茶が並んでいる。


しかしルスタムは一口食べただけでナイフを置いた。


向かいに座るマリアも顔色が悪い。


「ルスタム様……」


「何だ」


「今日も実況が流れるのでしょうか」


その言葉にルスタムは苛立った。


「私に聞くな」


思わず声が荒くなる。


マリアは肩を震わせた。


以前ならそんな姿を見れば守ってやりたいと思った。


だが最近は違う。


見るたびに不安になる。


神の実況が始まってからというもの、マリアの嘘や失言が次々に暴露されているのだ。


そして何より困るのは国民の反応だった。


王都の酒場。


昼前から客が集まっている。


香ばしい肉の匂いと麦酒の香りが充満する店内は異様な熱気に包まれていた。


「今日は何をやらかすと思う?」


「俺は『責任転嫁』に銀貨三枚」


「いやいや、『全部マリアのせい』だろ」


「それは昨日やったじゃねえか!」


客たちは大笑いしていた。


壁には手書きの紙まで貼られている。


『本日のルスタム失言予想』


王太子の発言が賭けの対象になっているのだ。


「不敬罪にならないのか?」


若い旅人が呆れたように尋ねる。


酒場の主人は肩をすくめた。


「だって実況の方が面白いんだから仕方ねえだろ」


周囲から笑い声が起こった。


かつて王太子の名前が出れば緊張が走った。


今は違う。


笑いが起きる。


それが一番残酷だった。


王宮でも状況は同じだった。


会議室へ入った瞬間、ルスタムは妙な空気を感じた。


誰も目を合わせない。


だが視線は感じる。


皆、何かを堪えている。


「何だ、その顔は」


ルスタムが不機嫌そうに言った。


重臣たちは慌てて首を振る。


「いえ」


「何でもありません」


だが直後だった。


空から聞き慣れた声が響く。


【さあ本日のルスタム王太子です!】


会議室が凍りつく。


ルスタムの顔が引きつった。


【昨日は『国民は私を愛している』発言を披露して大人気でしたね!】


誰かが吹き出した。


慌てて咳払いに変える。


しかしもう遅い。


ルスタムは真っ赤になった。


「誰だ今笑ったのは!」


誰も答えない。


だが肩は震えている。


実況は続く。


【本日の目標は支持率回復! 果たして成功するのでしょうか!】


会議室の空気が限界だった。


一人の若い文官がついに耐えきれず顔を伏せる。


周囲も必死で笑いを堪えている。


ルスタムは拳を握った。


屈辱だった。


昔なら考えられない。


王太子が発言しただけで失笑されるなど。


その日の午後。


王都の大通りを視察することになった。


支持率回復のためである。


高級な青い上着をまとい、金糸の刺繍が施されたマントを羽織る。


完璧な王太子の姿だった。


だが民衆の反応は冷たかった。


パン屋の前を通る。


焼きたての小麦の香りが漂う。


「王太子殿下だ」


誰かが言う。


ルスタムは笑顔を作った。


すると別の声が聞こえた。


「今日の実況楽しみだな」


周囲が吹き出す。


「おい!」


ルスタムは振り返った。


だが人々は何事もなかったようにパンを買っている。


怒鳴るわけにもいかない。


結局、彼は何も言えなかった。


その様子を二階の窓から見ていた老婆が呟く。


「昔は立派な殿下だと思ってたんだけどねえ」


隣の女性が頷いた。


「エレノア様の件から全部おかしくなったわ」


その言葉が胸に刺さる。


王都ではすでに評判が逆転していた。


人々はエレノアに同情し、ルスタムに失望していた。


そして夜。


ルスタムは再び寝室にいた。


豪華な夕食も喉を通らない。


鹿肉のローストも。


濃厚なクリームスープも。


赤ワインも。


何の味もしなかった。


窓の外では王都の灯が揺れている。


かつて自分を称賛した街。


今は違う。


笑われている。


見下されている。


恐れられることすらなくなった。


その事実が何より苦しかった。


コンコン。


扉が叩かれた。


「誰だ」


「失礼します」


入ってきたのは近侍だった。


顔色が悪い。


「申し上げます」


「何だ」


近侍は震える声で答えた。


「本日の世論調査ですが……」


嫌な予感がした。


「支持率がさらに下落しました」


ルスタムは固まった。


「どれくらいだ」


近侍は目を伏せる。


「過去最低です」


静寂が落ちた。


暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く。


ルスタムはゆっくり椅子に座った。


足に力が入らない。


王太子として生まれた。


誰よりも高い場所に立つはずだった。


だが今、自分は笑い者になっている。


神の実況。


失言。


疑惑。


そしてエレノア。


すべてが繋がり始めていた。


ルスタムは知らない。


アルベルトが集めた証拠が、すでに完成しつつあることを。


隠し金庫。


会計帳簿。


証言記録。


それらが彼の運命を決定づけることを。


王太子はまだ、自分が崖の縁に立っていることに気付いていなかった。


だが足元の地面は、すでに音もなく崩れ始めていたのである。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ