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第6話 第二王子の捜査

第6話 第二王子の捜査


アルベルトは焦っていた。


エレノアの冷え切った瞳が、どうしても頭から離れなかったのである。


あの応接室で見た彼女は、泣いているわけでも怒っているわけでもなかった。むしろ、その逆だった。


何も感じていなかった。


それが恐ろしかった。


人は絶望したから壊れるのではない。本当に危険なのは、絶望する力すら失った時だとアルベルトは知っていた。


窓の外では夜明け前の空が群青色に沈んでいる。王宮の執務室には一晩中灯されたランプの光が揺れ、机の上には山のような書類が積まれていた。


黒い軍服姿のアルベルトは冷めきったコーヒーを一口飲み、眉をひそめる。


苦い。


だが今は味などどうでもよかった。


「殿下」


扉が叩かれた。


「入れ」


近衛騎士のクラウスが入室する。


「別荘の捜索隊が到着しました」


アルベルトは即座に立ち上がった。


「成果は」


「ございます」


短い返答だった。


だが、その声に確信があった。


馬車は朝靄の中を走った。


エレノアが先月滞在していた別荘は王都から半日ほど離れた森の奥にある。


雨上がりの土の匂いが漂い、濡れた木々が朝日に輝いていた。


別荘の管理人は顔面蒼白で出迎える。


「ほ、本当に捜査をなさるので?」


「そのために来た」


アルベルトは淡々と答えた。


応接間へ案内されると、捜索隊の隊長が古い絵画を動かした。


その裏に小さな鍵穴が現れる。


管理人の顔色が変わった。


「隠し金庫です」


金属音とともに扉が開く。


中には分厚い帳簿が何冊も積まれていた。


羊皮紙の独特な匂いが広がる。


アルベルトは最初の一冊を手に取った。


そして数ページめくったところで目を細める。


「……なるほど」


そこにはエレノアの筆跡が残っていた。


日付。


収支。


納品記録。


使用人の勤務表。


細かい数字がびっしり並んでいる。


先月十二日の記録も存在していた。


しかも朝から深夜まで。


本人が現地にいなければ不可能な内容だった。


「王宮で毒を盛るどころではないな」


クラウスが苦笑した。


アルベルトは頷く。


だが本当に恐ろしいものはその後だった。


二冊目。


三冊目。


四冊目。


帳簿を調べるたびに異常な数字が現れる。


王室予算。


支出額。


寄付金。


行方不明の金。


「殿下……」


クラウスの声が震えた。


「これは横領です」


アルベルトは黙ったままページをめくる。


額に青筋が浮かぶ。


数字は嘘をつかない。


そして数字は容赦もしない。


金の流れを追うと、すべて同じ場所へ辿り着く。


マリアの実家。


さらに調査を進めると宝石店の領収書。


高級ドレス店の請求書。


別荘購入費。


次々と出てきた。


「これだけで貴族一人が破産する額だぞ……」


誰かが呟いた。


アルベルトは無言だった。


だが拳が白くなるほど握られていた。


昼を過ぎた頃には食事も忘れていた。


使用人が焼きたてのパンとシチューを運んできても誰も手を付けない。


ようやくアルベルトがスプーンを取ったのは夕方近くだった。


だが一口食べただけで再び帳簿へ目を戻す。


「殿下、少しは休憩を」


「休んでいる暇があると思うか」


アルベルトは低く言った。


「エレノア嬢は無実だ」


その一言に部屋が静まる。


「そして彼女は家族に売られた」


怒りが滲んでいた。


それは王族としてではない。


一人の人間としての怒りだった。


翌日。


さらに恐ろしい証拠が見つかった。


使用人たちの証言である。


老執事が震える声で語った。


「マリア様は何度も嘘を命じました」


若い侍女も涙ながらに頷く。


「毒殺未遂の日も、エレノア様は別荘におられました」


「証言できますか」


「できます」


即答だった。


さらに複数の証言が集まる。


虚偽告発。


横領。


証拠隠滅。


そして――


愛人。


アルベルトは報告書を見つめた。


そこにはルスタム王太子の名前が記されている。


王太子が複数の愛人へ王室予算を流していた記録。


マリアへの便宜供与。


横領の黙認。


隠蔽。


すべてが一本の線で繋がった。


夕暮れだった。


赤く染まる空が窓から差し込んでいる。


アルベルトはゆっくりと目を閉じた。


そして思い出す。


応接室で見たエレノアの瞳を。


あの空っぽな瞳を。


「殿下」


クラウスが呼ぶ。


アルベルトは静かに立ち上がった。


机の上には証拠の山。


帳簿。


証言記録。


領収書。


送金記録。


どれも決定打だった。


「これだけあれば十分です」


クラウスが言う。


アルベルトは頷いた。


「いや」


低い声だった。


「まだ足りない」


「殿下?」


アルベルトは窓の外を見つめる。


王都の灯が一つずつともり始めていた。


「罪を暴くだけでは足りない」


その灰色の瞳に冷たい光が宿る。


「彼女から奪われたものを取り戻さなければならない」


静かな声だった。


だがその決意は鋼より硬かった。


ルスタム。


マリア。


ヴァルト公爵家。


彼らはまだ知らない。


すでに逃げ道が完全に塞がれていることを。


そして第二王子が、本気で怒っていることを。


王都の夜風が窓から吹き込む。


その風はまるで、長い嵐の終わりと、新たな裁きの始まりを告げているようだった。



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