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第4話 毒殺未遂の濡れ衣

第4話 毒殺未遂の濡れ衣


 エレノアは朝になっても疲れが取れていなかった。


 一晩泣いたせいだろう。


 目元は熱を持ち、身体は鉛のように重い。


 窓の外では小鳥がさえずっている。


 庭師が剪定した薔薇が朝露をまとって輝いていた。


 本来なら美しい光景だった。


 けれどエレノアの心には何も届かない。


 朝食もほとんど喉を通らなかった。


 白い皿の上には半分残されたオムレツ。


 焼き立てのパン。


 果実のジャム。


 温かな紅茶。


 どれも味がしなかった。


 ただ義務のように口へ運んだだけだった。


 その時。


 扉が激しく開かれた。


 執事が青ざめた顔で飛び込んでくる。


「お嬢様!」


「どうしたの?」


「王太子殿下とマリア様が来られました!」


 エレノアはゆっくり瞬きをした。


 驚きもしない。


 昨日あれだけの騒ぎを起こしたのだ。


 何か仕掛けてくるだろうとは思っていた。


 ただ。


 思ったより早かっただけだ。


 応接間へ向かう。


 父も母も兄もすでに席についていた。


 そしてその向かいにはルスタムとマリア。


 ルスタムは勝ち誇った顔をしている。


 マリアは怯えた小動物のような表情を浮かべていた。


 昨日と何も変わらない。


 むしろ芝居に磨きがかかっている。


 エレノアは静かに席へ着いた。


 ルスタムが口を開く。


「ようやく来たか」


「ご用件は何でしょうか」


「決まっている。お前の罪を明らかにするためだ」


 その言葉に父が頷いた。


 母も兄も黙っている。


 誰も止めない。


 エレノアは小さく息を吐いた。


 期待するだけ無駄だった。


 ルスタムは机の上へ小瓶を置いた。


 透明なガラス瓶だった。


 中には薄い緑色の液体が入っている。


「これは毒薬だ」


 大げさな声が響く。


「マリアへ盛ろうとした証拠だ!」


 マリアが涙ぐむ。


「わたくし……本当に怖かったんです……」


 エレノアはぼんやりと二人を見ていた。


 怒る気力もない。


 悲しむ気力もない。


 ただ疲れていた。


 するとマリアが言った。


「先月十二日です」


「……」


「王宮の裏庭で、エレノア様がわたくしへ毒入りのお茶を……」


 その瞬間だった。


 エレノアの眉がぴくりと動く。


 先月十二日。


 聞き覚えのある日付だった。


 妙に鮮明に覚えている。


 なぜなら。


 その日は。


(……いや)


 胸の奥で何かが動いた。


 小さな火種だった。


 ザー……


 遠くで砂嵐のような音がした気がする。


 マリアは気付かず続ける。


「わたくし、命の危険を感じて……」


(待って)


 ザー……


 ザー……


 ルスタムも気付かない。


「聞いただろう!」


「……」


「これでもまだ言い逃れをするつもりか!」


 エレノアはゆっくり顔を上げた。


 先月十二日。


 その日は王宮にいない。


 断言できる。


 なぜなら。


(その日わたし、別荘で書類整理してたんだけど)


 沈黙が落ちた。


 そして。


 王国中の空に響き渡る。


『……おっと?』


 酒場の客が立ち上がる。


 市場の商人が空を見上げる。


 夜警の兵士が息を呑む。


 帰ってきた。


 あの声だ。


『皆様、大変長らくお待たせいたしました!』


 応接間が凍り付く。


 ルスタムが目を見開く。


 マリアの顔から血の気が引く。


 そして。


『エレノア選手、重大な矛盾を発見した模様です!』


「なっ……!」


 ルスタムが立ち上がった。


 しかし神実況は止まらない。


『なお問題の日付、エレノア選手は別荘へ引きこもり中!』


 王国中がざわつく。


『しかも帳簿整理中であります!』


 エレノアは思わず額を押さえた。


 帰ってきた。


 本当に帰ってきた。


 神実況が。


 恥ずかしい。


 ものすごく恥ずかしい。


 だが同時に。


 少しだけ安心した。


 頭の中が再び動いている。


 何も感じられなかった昨日とは違う。


 すると実況が続ける。


『なお別荘の隠し金庫には重要書類多数!』


 アルベルトの目が細くなる。


 彼は今日、この場に来ていた。


 部屋の隅で静かに様子を見ていたのである。


『帳簿!』


『契約書!』


『領地経営資料!』


『そして選手本人は整理作業にうんざりしていた模様!』


(だって量が多かったんだもん……)


『本人認めましたーーー!!』


 王国中で笑いが起こる。


 応接間でも使用人たちが慌てて顔を伏せた。


 ルスタムは真っ赤になる。


「ふざけるな!」


『ふざけているのはどちらでしょうか!』


 神実況が即座に返す。


 マリアの肩が震えた。


 エレノアは初めてその姿をまっすぐ見た。


 昨日までなら何も考えられなかった。


 けれど今は違う。


 心はまだ痛い。


 傷も消えていない。


 それでも。


 あまりにも雑な嘘には呆れてしまう。


(というか王宮にいない人間がどうやって裏庭で毒を盛るのよ)


『正論パンチ入りましたーーー!!』


 王国中が再び沸き立った。


 一方。


 アルベルトは腕を組みながら静かに考えていた。


 別荘。


 隠し金庫。


 重要書類。


 その言葉だけで十分だった。


「なるほど」


 小さく呟く。


 灰色の瞳が冷たく光る。


 ようやく糸口を見つけた。


 ルスタムもマリアも気付いていない。


 だがアルベルトだけは理解していた。


 真実へ繋がる扉が、今開き始めたことを。


 そしてエレノアは知らない。


 自分の何気ないツッコミが。


 運命を大きく動かし始めたことを。


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