境界が、揺れた日
◆ 人界/王国アステル・王都近郊の森
(ミリア視点)
王都アステルの近郊で、妙な依頼が出回り始めた。
森に入った冒険者が、道に迷う。
魔物に襲われたわけでもない。
怪我もない。
ただ、戻ってきた全員が同じことを言う。
――森が、変やった。
「……それ、前も聞いたな」
ギルドの掲示板を見ながら、ミリアは首を傾げた。
大事にはなってへん。
せやけど、放っとくには数が多い。
調査依頼として森に入ったのは、ミリアを含めて三人。
だが、異変が起きたのは、ミリアが一人になったときやった。
風が止まる。
音が、遠のく。
「……来たな」
逃げようとは思わへん。
せやけど、足は自然と止まった。
視界が、ずれる。
森の奥行きが歪み、距離の感覚がおかしくなる。
一歩先が、やけに遠い。
「……あかん、これ」
引き返そうとした瞬間――
足元が、白く染まった。
霜。
一瞬で、広がる。
寒さはない。
怖さもない。
「……触ってもうた、んか」
そう思った瞬間、世界が白くなる。
氷でも、光でもない。
“整えられる”感覚。
次の瞬間、視界は元に戻っていた。
森は静かで、歪みは消えている。
仲間の声が、遠くから聞こえた。
「……大丈夫や。何もあらへん」
そう言って合流したが、
ミリアは分かっていた。
――ここは、一線を越えた。
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◆ 精霊界/境界層
(精霊視点)
境界に、明確な接触。
観測対象が、初めて“踏み込んだ”。
これは偶然ではない。
だが、侵入でもない。
秩序は破壊されていない。
歪みも、残っていない。
――それ自体が、異常。
精霊たちの判断が、初めて分かれる。
女王へ報告すべきか。
否。
まだ早い。
だが、放置もできない。
「境界が、応じた」
それはつまり、
世界が“拒絶しなかった”という事実。
精霊界は記録を残し、
初めて観測対象に“注意”を向けた。
名は、まだ呼ばれない。
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◆ 王国アステル中央教会
(上級司祭会議・記録)
王都近郊で発生した小規模異常。
冒険者数名が、同一地点で方向感覚の喪失を報告。
被害なし。
魔物反応なし。
精霊反応、微弱。
「境界不安定の兆候と見ていいでしょう」
「封鎖は不要だな?」
「ええ。注意喚起のみで」
原因は、自然発生と判断された。
だが、一つだけ記録に残された事項がある。
――異常地点に、毎回同一の冒険者が関与している。
名は、ミリア。
猫耳族の少女。
経歴に空白あり。
「……偶然、か」
その言葉で、会議は終わった。
まだ、警戒対象ではない。
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◆ 人界/王都アステル・夜
(ミリア)
宿の部屋で、ミリアは天井を見とった。
「……越えたらあかんとこ、踏んだ気ぃするな」
後悔はない。
せやけど、確信はあった。
もう、“知らん顔”はできへん。
「せやけど……まだや」
今は、まだ。
力を使う時やない。
前に出る時やない。
白い力は、静かに眠ったままや。
せやけど世界は、
もう一度だけ、確かに揺れた。
――この揺れは、いずれ届く。
王国を越え、
精霊界を越え、
そして――帝国




