縁結び
食券機に並んでいるだけで、肩が重くなった。
前に立つ学生から、なかなか進まないことへの苛立ちが薄く届く。窓際の空いた席を探して、あちこち見回している人の焦り。返却口の方からは、誰のものか分からない気まずさが、ほかのものと混じって流れてきた。
食器の触れ合う音、椅子を引く音、重なった話し声。カレーと揚げ物の匂いが、湯気と一緒に上がってくる。
ボタンを押すと、食券が短い音を立てて出てきた。
「……やはり、前より聞こえるようになっている気がします」
声に出してから、慌てて口を閉じる。
食券と引き換えに定食を受け取り、先に席を取ってくれていた奈々子の隣へ座る。
学食が混むのは、前からだ。急に人が増えたわけでもない。
変わったのは、たぶん自分の方だった。
夏休みの終わりに、海老名で迷子の男の子を見つけた。あの時は、届いてくるものを避けずに、自分から探した。あんなことをしたのは初めてだった。
それからだ。
少し離れた席の小さな苛立ちまで拾ってしまう。誰のものか分からないまま届くものも増えた。人の多いところにいると、前より早く疲れる。
これ以上聞こえるようになったら、さすがに困る。
布の上から、胸元へ触れる。
熱いほどではない。でも、朝からずっと少し温かい。
「……少し、拾いすぎではありませんか」
返事は、もちろんない。
この石のことを、もっと早く調べなくてはいけない。
ふと顔を上げると、奈々子の皿はもう空だった。
「まだ半分残ってる」
「はい。ゆっくりいただいています」
「一瀬さんたち、そろそろ来るよ」
「……急ぎます」
◇
昨日の帰り道、奈々子のスマートフォンが鳴った。
「一瀬さんから」
画面を、こちらへ向けてくれる。
『明日のお昼、学食で会いませんか? 奈々子さんに会いたいっていう友達がいるんです』
「奈々子先輩に、ですか」
「そうみたい」
「行かれるんですか」
「断る理由もないからね」
ちょうどいい、と思ってしまった。
ほのかさんになら、星乃先輩のことを聞ける。
「あの、奈々子先輩。わたしも、ご一緒してよろしいでしょうか」
「一瀬さんに何か用事?」
「少し、伺いたいことがありまして」
奈々子は画面へ目を戻し、返信を打ち始めた。
「学食、人多いけど大丈夫?」
「頑張ります」
「そう」
親指が最後に一度動く。
送信して、奈々子はスマートフォンを鞄へしまった。
◇
「奈々子さーん! すみれちゃーん!」
その声が、入口の方から飛んできた。
盆を片手に、ほのかが人の間をまっすぐ抜けてくる。
隣に、知らない人がいた。
明るい色の髪を、片側だけ肩の前へ垂らしている。耳元で小さな飾りが揺れて、爪の先まできれいに塗ってあった。混んだ食堂の中でも、そちらへ目が行く。
二人が近づいてくる。
肩に張りついていたものが、ふっと薄れた。
さっきまで近かった苛立ちが、少し遠い。どれが誰のものなのかも、分かりにくくなっている。
胸元の石も、心なしか冷たい。
すみれは天井を見上げた。真上に、冷房の吹き出し口がある。
……そのせいかもしれない。
「奈々子さん、この子です。会いたいって言ってた友達」
「はじめまして! 御影りあです。ほのっちから、めっちゃ聞いてます」
盆を置いてから、りあはきちんと頭を下げた。
「白鳥奈々子です。よろしく、御影さん」
「よろしくお願いします、ナナコ先輩!」
「こっちはすみれちゃん。あたしたちと同じ二年」
「蓮雀寺すみれです。よろしくお願いします」
「あ、着物の子だ。前から気になってたんだよね、可愛くて」
りあの視線が、袖から帯の辺りへ下りていく。
「あ、ありがとうございます」
「自分で選んでるんでしょ」
「はい。好きなので」
「いいじゃん。それが一番だって。よろしく、スミレっち!」
会ったばかりの人に名前を縮められたのは、初めてだった。
こういう方を、ギャルというのだろうか。知ってはいたけれど、身近にはいなかった。
少し戸惑う。
でも、好きで着ている服を褒めてもらえたのは、嬉しかった。
◇
「それで、ナナコ先輩。さっそくで悪いんですけど」
りあが、卓へ身を乗り出した。
「縁結びでいいとことか、知りません?」
「縁結び」
「有名なとこはいくつか行ったんですけど、そういうのじゃなくて。ちゃんと由来の分かってるところがいいなって」
「どうして縁結びなの」
奈々子の声は、いつもと変わらなかった。
「あー……笑わないでくださいね」
りあは紙コップのストローを、指先で一度だけ回した。
「あーし、人の恋愛とか占うの、めっちゃ得意なんですよ」
「占い」
「占いっていうか。この二人合いそうとか、こっちが気にしてそうとか。なんとなく分かること、けっこう多くて」
「そうなんです!」
ほのかが箸を置いて割り込んだ。
「りあすけ、こういうの本当に当たるんですよ。この間だって――」
そこで、声が少しだけ小さくなる。
「……馬も分かればいいのにな」
「馬ですか?」
「いや! なんでもないよ! あはは、りあすけ、続きどうぞ!」
りあはほのかを一度見てから、卓へ向き直った。
「で、まあ、他人のことはけっこう分かるんですけど」
「りあさんは、ご自分のことは占わないんですか」
「占えないの。ほんとに」
ストローが、紙コップの中で泳ぐ。
「自分のことだけは、ぜんっぜん分かんないんですよね。あーしと誰かがどうとか、まったく。全然。ゼロ」
言い切ってから、りあは急に姿勢を正した。
「だったら、こっちから行くしかないじゃないですか。結びに」
「なるほど」
「なので、ナナコ先輩。いいとこ教えてください」
奈々子が鞄へ手を伸ばし、何も出さずに戻した。
付箋のはみ出したノートを、開くつもりだったのかもしれない。
「縁結びって言っても、同じじゃないよ」
「え、違うんですか」
「今ある縁を大事にしたいのか、これからの良縁を願うのかでも違う。悪縁を切ってから良縁を結ぶ、という考え方で知られているところもある」
「全部あるんだ……」
「だから、恋愛成就で有名だから、というだけで選ばない方がいい。そもそも縁結びって――」
鞄から、付箋のはみ出したノートが出てきた。
開いた頁を、奈々子がりあの方へ半分だけ向ける。
「縁って、男女のことだけじゃないの。人と人が結びつくこと全部が縁で、友達とか、仕事とか、住む土地とか、そういうつながりまで入る。だから縁結びと呼ばれていても、御祭神も由緒も違えば、何を願う場所なのかも少しずつずれてる。同じ『縁結び』でも、中身は同じじゃないの。有名かどうかより、自分が何を結びたいのかを先に決めた方がいいと思う。そこがはっきりしていれば、行く場所も自然に絞れて――」
頁の上を、奈々子の指が滑っていく。
「ちょ、待って待って! ナナコ先輩、情報量えぐいって! あーしまだ最初のへんですよ!」
「りあすけ、奈々子さんはまだまだこんなもんじゃないよ」
「これでも!?」
「奈々子先輩は、こういった話になると速くなります」
「速くなってない」
「なっていました」
◇
「あの、奈々子さん」
ほのかが、また少しだけ声を落とした。
「金運アップとか……勝負運が上がる有名な神社とか、あります?」
「何の勝負」
「あ、いや、なんでも!」
「ほのっち、競馬好きだからね~」
「あ、こら」
「競馬?」
「あれ。今の、言ったらまずかった系?」
「うう……別にいいけど」
ほのかが、盆の縁を指で押した。
すみれは、ぽん、と手を打つ。
「なるほど。この間の神社で熱心にお願いしていた五番と十一番は、お馬さんだったのですね」
「ちょっ、すみれちゃん! そこまでばらさないで!」
「それで金運なんだ」
「奈々子さんまで!」
「ほのっち、神様に願望丸出しはよくないよ~」
「りあすけに言われたくないんだけど!? 縁結び回りたいって言ってる人が!」
「あーしのは願いじゃなくて、行動だし」
「同じじゃん!」
先に吹き出したのは、りあだった。
つられてほのかも笑い出す。奈々子は水のコップへ口をつけたまま、しばらく下ろさなかった。
「スミレっち、けっこう容赦ないね」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
笑いが落ち着くと、りあはまた奈々子の手元へ身を寄せた。
胸元の石は、まだ少し冷たいままだった。




