ロマンスカー
四人で初めて出かける朝、星乃先輩は集合時間の一分前に現れた。
「星乃さん、遅い!」
「遅れてない」
星乃先輩が駅の時計を指す。
その手には、蓋のついたコーヒーのカップがあった。
お酒ではなくて、よかった。
「今、何か変なこと考えてたか」
「いえ」
反射的に答えてから、すみれは星乃先輩を見る。
もしかして、星乃先輩も人の心が読めたりするのだろうか。
わたしに分かるのは、言葉ではなく感情だけだけれど。
「顔に出てる」
「……そうでしたか」
「すみれちゃん、何考えてたの?」
「コーヒーがおいしそうだと思っていました」
「嘘が下手だな」
星乃先輩がカップへ口をつける。
その隣に立った途端、胸元の勾玉がひやりと冷えた。
朝の新宿駅を行き交う人々の感情が、少しずつ遠くなっていく。
この石は星乃先輩に反応している?
「ほら、行くよ。乗り遅れる」
奈々子が改札へ向かう。
「星乃さんのせいで、朝から疲れました」
「まだ何もしてない」
「来るだけで心配させたんです!」
言い合いながら歩くほのかと星乃を追い、すみれも改札を通った。
今日の行き先は、神奈川の神社だ。
◇
小田急線のホームへ降りると、赤茶色の車体が停まっていた。
せっかくだからと、今日は特急に乗ることになっている。
「これがロマンスカーか」
星乃が車体をまじまじと眺めている。
「星乃先輩、この電車をご存じなんですか?」
「村下孝蔵で知ってる」
聞いたことのない名前だった。
「まあ、昔の歌手だ」
この話題はここまでというように、星乃は車内に向かっていった。すみれもその後を追った。
「特急って感じがするね~」
ほのかが、並んだ座席を見回しながら声を弾ませた。
「何が特急なんだ」
「座席とか、雰囲気とかです!」
「曖昧だな」
「乗れば分かるんですよ、こういうのは」
奈々子が切符の番号と座席を見比べる。
「ここだね。二人ずつ」
それから、窓側の席を示した。
「すみれ、窓際に座る?」
「……ありがとうございます」
いつもなら、迷うことはなかった。
奈々子先輩の隣は落ち着く。最初に自分から選んで歩いたのも、この人の隣だった。
けれど今日は、星乃先輩が現れてから、胸元の勾玉が冷たいままだ。
神社にいるときと似ている。
星乃先輩の隣にいれば、その理由を知るきっかけが見つかるかもしれない。
そう思う一方で、助けてもらった人を、この力の実験に使うようで嫌だった。
それでも……何も聞かないままでは、何も分からない。
「あの、奈々子先輩」
「うん」
「今日は、星乃先輩の隣に座ってもいいですか」
奈々子の手が、冊子の表紙に触れたまま止まった。
ほんの一瞬だった。
「うん。いいよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、あたし奈々子さんの隣!」
ほのかがすぐに空いた席へ入る。
「よろしくお願いします!」
「うん」
奈々子は短く答えて、切符を冊子へ挟んだ。
いつもと同じ声だった。
けれど、冊子の角がうまく揃わなかったのか、奈々子は一度挟んだ切符を抜き、もう一度入れ直した。
「隣、失礼いたします」
星乃がコーヒーをカップホルダーへ置く。
「ああ、よろしく」
すみれが腰を下ろすと、肘掛けの向こうに黒い袖がある。
思っていたより近い。
胸元の石は、やはり冷たいままだった。
どう切り出せばよいのだろう。
勾玉のことを、そのまま話すわけにはいかない。
まずは星乃先輩自身のことを、少しずつ聞いてみるしかなさそうだ。
やがて扉が閉まり、ロマンスカーがゆっくりと動き始めた。
◇
「さてと」
星乃が鞄から小さな缶を取り出した。
嫌な予感がする。
プシュッ、と音がした。
「朝ですよ!」
ほのかが離れた席から声をあげる。
「もう昼に近い」
「まだ十時前です!」
「九時台も、昼に近づいてはいる」
「そういう算数の話してません!」
星乃は缶を一口飲んだ。
「奈々子さん、止めてくださいよ」
「私は止めないよ」
「奈々子さんまで!」
「本人が自分で持ってきたものだから」
「じゃあ、すみれちゃん!」
「えっ」
急に託された。
星乃がこちらを見る。
すみれも星乃を見る。
缶から、冷たいお酒の匂いがした。
正直に言えば、少し興味がある。
かなり、と言ってもよい。
「すみれも飲むか」
星乃が鞄の中を見せた。
もう一本入っている。
「勧めないでください!」
ほのかの声が飛ぶ。
「……とても気になります」
「すみれちゃん?」
「で、ですが、今日はやめておきます」
この間のようになったら困る。
それに今日は、星乃先輩の隣で起きることを、お酒のせいにしたくなかった。
「そうか」
星乃はそれ以上勧めず、自分の缶を傾けた。
通路の向こうでは、ほのかが奈々子に、これまでどんな場所へ行ったのかを尋ねている。
「神社とか、お寺とか。古い町を歩いたり」
「いいなあ。そこも今度連れていってくださいよ」
「まだ場所も言ってないけど」
「大丈夫です!それで一緒にイケメモを……」
ほのかの明るい声を聞きながら、すみれは隣へ視線を戻した。
星乃先輩は、窓の外を見ている。
「……ほう」
窓の向こうは、流れていく町並みだけだ。
朝から飲んでいるのだから、独り言くらいは出るのかもしれない。
星乃先輩に、何から聞けばよいのだろう。
まずは慎重に、当たり障りのない話題から入るべきである。
大学のこと。歌のこと。先ほど持っていたコーヒーのこと。
少しずつ会話を重ねて、頃合いを見てから――。
「星乃先輩は、超能力とか、不思議なことって、本当にあると思いますか?」
星乃が缶を口へ運ぶ途中で止まった。
口に出てしまった。
当たり障りのない話題は、どこへ行ったのだろう。
「いきなりの話題だな」
「……申し訳ありません。今のは、もう少し後でお尋ねする予定でした」
「予定だったのか」
「はい。まずは天気の話などから」
「順番を全部飛ばしたな」
「そうなります」
星乃は一口飲んでから、缶をカップホルダーへ置いた。
「あるんじゃないか」
「信じているんですか?」
「ないと言い切れるほど、世の中のことを知らない」
「では、例えば人の心が読める人もいるでしょうか」
「さあな」
星乃は缶を持ち直しながら、すみれに指を向ける。
「でも、お前の考えてることなら、だいたい分かる」
「それはどういう――」
「顔に出てる」
「……そんなにでしょうか」
「分かりやすいぞ」
少しは隠せているつもりだったのに。
なんだか星乃先輩には顔だけではなく、言葉まで見抜かれている気がする。
「もし、本当にそういう力を持った人がいたら……怖いと思いますか?」
星乃はすぐには答えなかった。
指先で、缶の縁を一度なぞる。
「力があるだけで、怖がる理由にはならないだろ」
「では、何で決まるんですか?」
「その力を持っている奴が、何に使うかだ」
「持っているだけでは、怖くないと?」
「力をもてあまして、困ってるだけかもしれないしな」
「……そうですね」
胸元の勾玉は、冷たいままだった。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことは言ってない」
「それでもです」
「変なやつだな」
星乃はもう一度、缶を傾けた。
このまま、わたしも力に困っていると打ち明けてみようか。
――いや、だめだ。
奈々子先輩にも、まだ話せていないのに、いきなりこれ以上踏み込む勇気はない。
まずは星乃先輩のことを知ることからだ。ほのかさんのことも、もっと知りたい。
不思議なことばかりを尋ねるより、先に仲良くなる方が大切なのかもしれない。
順番を、間違えてはいけない。
「星乃先輩」
「なんだ」
「今日は、いいお天気ですね」
缶が、口の手前で止まった。
「……本当にやるのか」
「まずは、天気の話からです」
「そうだったな」
星乃が小さく笑った。
声を出したわけではない。息が少し漏れただけだ。それでも、確かに笑った。
「晴れてるな」
「はい。絶好の行楽日和です」




