↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/42

昔は、鉄橋だったんだよ

「……ここから、そんなに遠くないんだ」


 奈々子先輩がそう呟いたとき、すみれは歩みを緩めて振り返った。


 道の駅の駐車場には、海からの強い風が吹き抜けていた。すぐ目の前の日本海から、磯の匂いがした。


 奈々子先輩は道路地図を畳んで、顔を上げた。


「奈々子先輩?」


「ううん。なんでもないよ」


 いつもの声だった。けれど、その視線はすみれの肩を越えて、背後にそびえ立つ高架橋へと向いていた。


「下から見ると首痛い!」


 ほのかさんが駆け出し、道の駅の建物の向こうを指差した。


 見上げるような高さに、コンクリートの高架橋がまっすぐ伸びている。


「で、あそこまでどうやって行くん?」


 りあさんがキーをポケットに突っ込み、眩しそうに見上げる。


「エレベーターがあるよ」


 奈々子先輩が歩み寄り、橋脚の脇に据えられたガラス張りの塔を示した。


「あそこから上の展望施設まで上がれるの」


「へえー! あんな高いところまで上がれるんだ!」


 ほのかさんが塔へ向かい、星乃先輩もポケットに両手を突っ込んだまま続く。


 すみれも歩き出そうとして、足を止めた。


 遠く、山の向こうからガタン、ゴトンと列車の音が響いてきたからだ。


「あ、電車来た!」


 ほのかさんが立ち止まり、全員が空を見上げた。


 頭上の高架橋を、朱色の気動車が渡っていくところだった。


「すごい……あんな高いところを走るんですね」


 すみれが見上げると、りあさんが目を丸くした。


「おもちゃみたいじゃん! あんなとこ走って怖くないん!?」


「怖くないよ、ちゃんと線路があるんだから」


 ほのかさんが笑い、星乃先輩も見上げている。


「あんな高さを走って、眺めはいいのかね」


「海が一望できるはずだよ」


 奈々子先輩が答える。


「風が強いとよく止まったらしいけど、今のコンクリート橋になってからは、前より風に強くなったんだって」


「へえー、詳しいね奈々子さん!」


「案内板に書いてあったの」


「読んでたんだ!」


 ほのかさんが吹き出し、五人はガラス張りのエレベーター――クリスタルタワーへと乗り込んだ。


 エレベーターが上がるにつれて、眼下に屋根が小さくなり、海が広がっていく。


「うわ、高っ……! あーし、ちょっと足すくむんだけど」


 りあさんが手すりを握りしめる。


「りあすけ、へっぴり腰!」


「ほのっちだって、足動いてないじゃん!」


 言い合っているうちに扉が開き、風が入ってきた。


 橋梁の上の展望施設――「空の駅」は、古い鉄橋のレールや枕木が残された遊歩道になっていた。


「あ、これ昔の線路?」


 ほのかさんが足元のレールを指す。


「うん」


 奈々子先輩が手すりの向こう、青く広がる水平線に視線を向けた。


「昔は、赤い鉄橋だったんだよ」


「へえー! それも案内板に書いてあったの?」


「……ううん」


 奈々子先輩は少しだけ間を置いて、小さく微笑んだ。


「小さい頃に見たことあるの。……うっすら覚えてるくらいだけどね」


「え、そうなんだ!」


 ほのかさんは感心したように頷いて、すぐに柵の向こうへ駆けていった。


 すみれは奈々子先輩の横顔を見た。奈々子先輩は何も言わず、海風を受けて立っていた。


 足元にはところどころ、頑丈なガラスののぞき窓がはめ込まれている。覗き込むと、遥か真下の地面が見えていた。


「ひえー、真下見えるの無理!」


 りあさんが大げさに飛び退くと、星乃先輩はそのガラスの上に立ち、軽く足踏みをして見せた。


「割れんぞ」


「割れる割れないの話じゃないんよ! ほっしー、絶対わざとやってるでしょ!」


「景色がいいな」


 星乃先輩はからかいを流し、欄干に肘をついて海を眺めた。


「すみれちゃん、こっち来て写真撮ろ!」


 ほのかさんに手招きされ、すみれも歩み寄った。りあさんがスマートフォンを構え、奈々子先輩と星乃先輩も並ぶ。


「はい、チーズ!」


 シャッター音が響いた。画面を覗き込むと、風に髪を乱された五人が、それぞれ勝手な方向を向きながら笑っていた。


     ◇


 地上へ降りて、道の駅の軽食コーナーで昼食をとった。


 うどんや蕎麦を食べ終えると、星乃先輩は冷たいお茶を飲み、ほのかさんとりあさんは、さっき撮った写真を見せ合っていた。


 すみれは、隣の奈々子先輩を見た。


 奈々子先輩は膝の上で両手を重ね、静かに山裾を見つめている。


「あの、奈々子先輩」


「ん?」


「さっき……ここから遠くない、とおっしゃっていたのは……昔住んでいらした町のことですか」


 ほのかさんとりあさんも顔を上げた。


 奈々子先輩は手元に目を落とした。


「……うん。ここから、列車ですぐ」


 静かな声だった。


「子どもの頃に住んでたの。……海沿いの、小さな町」


 ほのかさんが身を乗り出した。


「そこ、近いんだ?」


「うん」


 奈々子先輩は湯呑みの縁を指でなぞった。


「……行ってみようかな、って思って」


 ほのかさんが尋ねる。


「行ってみようかなって……奈々子さん、その町に行くの?」


「うん。……でも、ここから行って、今日中に東京まで戻るのは難しいから。私は……もう一泊していこうと思う」


 すみれは迷わずに口を開いていた。


「奈々子先輩。……わたしも、ご一緒していいですか」


 奈々子先輩が目を見開いた。


「すみれも?」


「はい。もし、ご迷惑でなければ」


「迷惑じゃないけど……いいの? 予定、空いてる?」


「はい。明日は特に外せない予定もありませんし、大丈夫です」


 奈々子先輩は少し困ったように笑った。


「ありがとう」


 聞いていた星乃先輩が、湯呑みを置いた。


「私は帰るぞ」


「星乃さんは帰っちゃうの?」


 ほのかさんが尋ねると、星乃先輩はポケットに手を突っ込んだ。


「家の役目があるからな。……忌々しいが。それに、あの雨ノ守の小夜とかいう奴が剣を持って消えた件、日渡側にも少し探りを入れてみる」


「星乃先輩……大丈夫ですか」


「何がだ」


「その……ご実家のことです」


「あいつらの言いなりになる気はない。今回は、こっちから聞きたいことがあるから行くんだ。……言われっぱなしでいるのも癪だし、私の問題でもあるからな」


「……お気をつけてください」


「ん」


 隣で、りあさんが大きく伸びをした。


「じゃあ、あーしも帰るわ」


「りあすけも?」


「そりゃそうでしょ。レンタカー、豊岡で返さなきゃいけないし。今日中に帰るなら、もう出ないとやばいんよ。それにさあ……」


 りあさんは星乃先輩を見た。


「ほっしー一人で電車乗せたら、途中で迷子になるか、昼からやってる居酒屋に吸い込まれるかどっちかでしょ」


「迷子にはならん」


「居酒屋は否定しないんかい!」


 りあさんの突っ込みに、ほのかさんが吹き出した。


「あはは、絶対飲みに行くよね!」


「ほっとけ」


 星乃先輩がそっぽを向く。ほのかさんがスマートフォンを見ながら言った。


「んー……じゃあ、あたしは残ろうかな」


「え、ほのっちも?」


「うん。せっかくだし、あたしも奈々子さんたちと一緒に行きたい! 明日はバイト入ってないし、ここまで来て途中で帰るのもったいないじゃん。奈々子さんの故郷、あたしもちょっと見てみたいし」


 言いながら、手早く画面を操作する。


「ちょっと待ってね、今お母さんに連絡しちゃうから。『友達と旅行一日延ばします!』って……よし、送信!」


「行動早すぎでしょ」


 りあさんが笑い、奈々子先輩もほのかさんを見た。


「一瀬さん、無理しなくていいんだよ?」


「無理なんかしてません! あたしが行きたいから行くんです!」


 胸を張って答えるほのかさんに、すみれも小さく笑った。


     ◇


 駐車場に戻り、車のトランクから、奈々子先輩、ほのかさん、すみれの荷物を降ろした。


 ボストンバッグを持ったほのかさんが、橋を見上げる。


「……あれ? あたしたち、これから餘部《あまるべ》駅に行くんだよね」


「そうだよ」


「さっき降りてきたばっかりなのに、またあの上まで上がるの!?」


「そうなるね」


「エレベーターがあるとはいえ、二度手間じゃん!」


 ほのかさんが頭を抱え、りあさんが笑った。


「ほのっち、ドンマイ!」


 車のドアを開けようとした星乃先輩が、りあさんを振り返った。


「おい、りあ」


「ん? なに?」


「行きの道沿いに、地酒の看板あったろ。帰りにそこ寄ってくれ」


「……ほっしーさぁ。ほんとそればっかじゃん!」


「土産だ」


「自分用でしょどうせ! 通り道だから一分だけね!」


 すみれがおずおずと一歩進み出た。


「あの……りあさん」


「ん、スミレっち?」


「わたしも……お願いしてよろしいでしょうか」


「……スミレっちさぁ」


 りあさんが呆れたように笑う。


「スミレっちまで酒飲みルート入ってんじゃん! ほっしーの悪影響えぐいって!」


「ち、違います、当主様へのお土産と、それから……わたしも、少し味わってみたくて」


 胸元の内側から、声がした。


――地酒? いいじゃない。買ってもらいなさいよ。


 ほのかさんが星乃先輩を見る。


「白蛇様も、たまには星乃さんのこと怒った方がいいですよ」


「大丈夫だ。いつも小言は言われてるが、気にしてない」


「いや、そこは気にしろし!」


 りあさんがスマートフォンを取り出して画面を開いた。


「帰り、ナビほっしーなんだよね……」


「なんだ。不満か」


「看板見るたびに『寄れ』って言いそうなんだもん」


「言わん。……一回しか」


「一回は言うんかい!」


 ほのかさんが吹き出した。


 りあさんはスマートフォンをしまい、駅を見上げた。


「列車、もうすぐなんでしょ? 見送ったらすぐ出るし、荷物持ってあげるよ」


「ありがとうございます」


 りあさんがすみれのボストンバッグを持ち上げた。


「これくらい余裕だし!」


 五人で並んで、エレベーターへと向かった。


     ◇


 餘部駅のホームへ出ると、柵の向こうに、遥か下を走る国道と海が見えた。


 ベンチに荷物を下ろし、五人で並んで列車を待った。


「駅、ほんとに高いとこにあるんだねえ」


 ほのかさんが下を覗き込む。りあさんは離れた場所から「あーし、下見んのやめとくわ」と苦笑いした。


 トンネルの向こうからエンジンの音がして、朱色の気動車が近づいてくる。


「乗ろうか」


 奈々子先輩に促され、すみれは「りあさん、ありがとうございます」とボストンバッグを受け取った。


 すみれ、ほのかさん、奈々子先輩がステップを上がる。ホームに残ったりあさんが、窓越しに大きく手を振った。


「気をつけてね! 美味しいもんあったら写真送ってよ!」


 隣で星乃先輩も、片手を一度だけ上げた。


「お二人もお気をつけて!」


 すみれが手を振り返し、ほのかさんも「りあすけもね!」と声を上げた。


 ドアが閉まり、列車が動き出す。


 ホームに立つ二人の姿が、少しずつ小さくなっていく。


 さっき歩いた橋梁が窓の後ろへ遠ざかり、次の瞬間、列車は暗いトンネルへと吸い込まれた。海も、空も、残してきた二人の姿も、一気に視界から消え去った。


     ◇


 ボックス席のほとんどが空いていた。


 すみれの向かいに、ほのかさんと奈々子先輩が並んで座っている。


 奈々子先輩は窓際で、トンネルが途切れるたびに外へ目をやっていた。


 周りの気配が、ほんの少しだけ近くなったように感じられた。それでも息苦しくなることはない。車内には数人の乗客がいるだけで、車輪の音のほうが大きかった。


 胸元の内側で、声がした。


――二人がいなくなった割には、静かね。


「はい」


 すみれが小声で応じると、みしろが続けた。


――まあ、人が少ないものね。これくらいなら、あたしも楽でいいわ。


 列車は西へ進んでいった。


     ◇


 いくつかトンネルを抜けると家並みが広がり、列車は小さな町の駅に停まった。


 改札を出ると、かすかに潮の香りがする気がした。城崎のような華やかさも、出石のような賑わいもない、落ち着いた町だった。


 駅前広場は人通りもまばらだった。


 奈々子先輩は駅前の通りをじっと眺めたまま、しばらく動かない。


「あの……奈々子先輩」


「ん?」


「今日は……このあたりを、見て回らなくてもよろしいのですか?」


 奈々子先輩はすぐには答えず、通りの先へもう一度目をやってから、首を振った。


「うん。今日はもう中途半端な時間だしね。みんな移動で疲れたでしょ。……明日でいいよ」


 奈々子先輩は、少しだけ笑った。


「ここから少し山の方へ行ったところに、いい温泉があるの。今日はそこに泊まろう。湯村温泉っていうところなんだけどね」


「えっ、また温泉!?」


 ほのかさんが顔を輝かせた。


「やったー! 城崎とはまた違うの?」


「うん。山あいの静かなところで、川沿いに源泉が湧いててね。荒湯っていうところで、温泉卵が茹でられるんだよ」


「温泉卵! 食べたい!」


「バスの時間を確かめてくるね」


 奈々子先輩が駅前の案内所の方へ歩いていき、すみれとほのかさんはベンチのそばに並んだ。


 ほのかさんがすみれの肩を軽くつつく。


「ねえ、すみれちゃん」


「はい?」


 ほのかさんは奈々子先輩の背中を見て、声を潜めた。


「なんだか……奈々子さんらしくないよね」


「らしくない、ですか」


「うん。こういう町なら、いつも真っ先に歩き回るのにね」


 ほのかさんの言う通りだった。


「……でも」


 すみれは、静かに言った。


「奈々子先輩が、ご自分で話してくださるのを待ちたいです」


 ほのかさんはすみれを見つめ、それから柔らかく笑った。


「そうだね。あたしたちは、美味しい温泉卵でも食べながら、のんびり付き合おっか」


「はい」


 案内所から戻ってきた奈々子先輩が手を振った。


「バス、もう少しで来るよ」


「はーい!」


 ほのかさんが返事をして駆け寄っていく。


 すみれもそのあとに続いた。通りを曲がって、湯の町へ向かうバスが近づいてきていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。