但馬ぶらり旅
城崎温泉の宿を発ち、五人はいったん電車で豊岡へ向かった。駅前の店で借りた白い車には、まだ新車の匂いが残っていた。
穏やかな朝の通りへ車を滑り出させると、運転席のりあさんはバックミラーに目をやりながら、弾んだ声を助手席へ投げた。
「車線少ないし、皇居んときより全然楽じゃん」
助手席の奈々子先輩は手元の道路地図に目を落とし、小さく頷く。
「うん、この調子でまっすぐね」
後部座席の中央に収まったほのかさんが、身を乗り出すようにして運転席のヘッドレストに手をかけた。
「りあすけ、今日は喋れるんだ」
「そりゃね。車も少ないし楽勝っしょ」
「へえー、ずいぶん余裕じゃん」
「安全運転のプロと呼んでくれていいよ」
りあさんが軽く胸を張る。ほのかさんの隣で、星乃先輩は腕を組み、窓の外を流れる民家の屋根をじっと眺めている。
すみれは窓際に座り、朝の風に揺れる木々の緑を目で追っていた。
「……そういえばさ」
ほのかさんが、ふと思い出したように声を落とした。
「小夜さん、見つかるといいね」
奈々子先輩が地図から顔を上げ、前を見据えた。
「正臣さんも警察へ届けを出したって言っていたし、私たちが町を歩き回っても、今はできることが少ないと思う」
「連絡先も渡したしね」
りあさんがウインカーを出しながら言う。
「なんか分かったら、あの人から連絡来るっしょ」
「今は待つしかないだろ」
星乃先輩が短く言った。小夜さんが剣を持って姿を消したこと以外、すみれたちにはまだ手掛かりがなかった。
すみれは膝の上の鞄へ目を落とした。中の電話は、朝から一度も鳴っていない。
「でも、すみれちゃんはいいの? 剣を探すのって、すみれちゃんが楽になるかもって話でもあったじゃん」
ほのかさんが覗き込んできた。
「あ……はい。お気遣いありがとうございます。でも、わたしの方は今すぐどうこうというわけではありませんので」
襟元の内側から、すぐに小さく尖った声が返ってきた。
――そうよ。あたしを誰だと思ってんの。焦って変な剣に飛びつかなくたって、平気よ。
すみれは思わず口元を緩めた。
「みしろさんも、焦らなくて平気だと申しております」
「そっか! なら安心した!」
ほのかさんがぱっと表情を明るくして、両手をぽんと叩いた。
「じゃ、今日は旅行しよ!」
「さっきからずっと旅行なんだけど」
りあさんが即座に突っ込みを入れ、車内に笑いが広がった。
豊岡の街並みを抜け、北へと車を走らせていく。道はやがて円山川に沿って続き、河口へ近づくにつれて、視界の先が青く開けた。
「海、近いですね」
すみれが感嘆の声を漏らすと、奈々子先輩が窓の外へ目を遣る。
「この辺りは、海岸線が綺麗なところだからね」
「すごい! ほんとにすぐそこが海じゃん!」
ほのかさんが窓ガラスに顔を寄せる。車は、日本海の潮風を受けながら、軽快なエンジン音を立てて進んでいった。
◇
最初の目的地である城崎マリンワールドへ到着したのは、午前中の柔らかな光が海を照らす頃だった。
車を降りた瞬間、磯の香りが鼻腔をくすぐる。
「わあ、広い! 早く行こう!」
ほのかさんが弾んだ足取りで歩き出す。星乃先輩は周囲の家族連れを避けるように歩調を緩め、りあさんは駐車場の白線を確認してからキーをポケットに収めた。
敷地内へ足を踏み入れると、潮騒が心地よいざわめきとなって耳を打った。
ほのかさんが先に立って進んでいく。
水槽のガラスの向こうを優雅に泳ぐ魚たちを眺め、イルカのダイナミックなジャンプにほのかさんが歓声を上げる。その横で、星乃先輩はなぜか水槽の底でじっと動かない大きな魚を、渋い顔で見つめていた。
「……星乃先輩、そのお魚が気になるんですか?」
「いや。こいつ、ずっとこっちを睨んでる気がしてな」
「星乃さんに言われたくないと思う」
ほのかさんが言い、りあさんが吹き出した。
すみれはそのやり取りを微笑ましく見守りながら、胸元の石にそっと指先を触れる。
観光客の楽しげなざわめきが肌を撫でていく中、胸元の内側で、ぽつりと声がした。
――今日、楽しそうなのが多いわね。
「そうですね」
すみれは小さく声に出して頷いた。五人で笑い合っているこの時間を、すみれはもう少し続けていたかった。
ひと通り園内を巡り、駐車場へ戻る途中だった。
ふと、日本海を見渡したすみれは、沖合の波間に奇妙なものを見つけて足を止めた。
「あの……あれは、何なのでしょうか」
すみれが指差した先。荒波が打ち寄せる岩の島の上に、朱色の鮮やかな建造物がぽつんと建っていた。まるで絵本に出てくるお城のようだった。
「ん?」
追いついたりあさんが目を細め、声を裏返らせた。
「え、待って。あれ、めっちゃ竜宮城じゃない!?」
「竜宮城……ですか?」
すみれが目を丸くすると、ほのかさんも戻ってきて海の方へ目を凝らした。
「ほんとだ! 海の上に本当にお城がある! 亀はどこ!? 浦島太郎はどこにいるの!?」
「いないだろ、そんなもん」
少し離れた場所から、星乃先輩が冷めた声を投げる。
「でも、あんなところに本当にお城があるなんて思いませんでした。もしかして、中に入ったら何年分も時間が経ってしまったり……」
「浦島効果だな。だが、あそこへ渡る手段がなさそうだ」
星乃先輩が沖の朱色の建物を眺めた。
いつの間にか隣に並んでいた奈々子先輩が、穏やかな声で言葉を添える。
「あれはね、この辺りの浦島伝説をモチーフにして作られたものなんだよ。実際にこうして陸から見ると、本当に竜宮城みたいに見えるね」
「へえー! あそこまで行けたりするの?」
「どうなんだろうね」
「行けたら玉手箱もらえるかなって思ったのに」
ほのかさんが残念そうに肩をすくめると、りあさんがからかうように笑った。
「じゃあさ、ほのっちがあの城に行って、おばあちゃんになって帰ってくるのを待ってあげるよ」
「誰がおばあちゃんになるか!」
他愛のない軽口を叩き合いながら、五人は駐車場に停めた車へと戻った。
◇
マリンワールドを出たあとも、りあさんがハンドルを握り、車は但馬の海岸線に沿って西へと走り出した。
「それじゃ、ドライブ再開!」
ほのかさんの号令に合わせ、白い車が加速する。
しばらくの間は、視界いっぱいに海が広がる爽快な道だった。けれど、車が進むにつれて道路の幅は徐々に狭まり、ガードレールのすぐ外側が切り立った崖へと変わっていく。
「うわ、海近い! 落ちたら一発じゃん!」
ほのかさんが窓に張り付いて声を上げる。
「待って、急に道狭くなってきた! 無理!」
りあさんが悲鳴を上げ、ハンドルを握る手に力を込めた。背筋をぴんと伸ばして前方の一点を見つめている。
「安全運転のプロはどこ行った!」
ほのかさんがすかさず突っ込むと、りあさんは前を向いたまま叫んだ。
「プロでも崖は怖いわ!」
そんな賑やかなやり取りを続けているうちに、窓の外の景色はいつの間にか一変していた。
さっきまで視界の大半を占めていた青い海が、不意に消え去る。
代わりに現れたのは、木々が生い茂る深い山道だった。道路は険しいカーブを何度も描き、車体はエンジンを唸らせながら坂道を登っていく。
「あれっ!? 海どこいった!?」
ほのかさんが声を上げ、りあさんも眉を寄せる。
「但馬の地形どうなってんの! さっきまで海だったじゃん!」
「山側に入っただけだよ」
助手席の奈々子先輩だけが落ち着いた声で返すと、ほのかさんが身を乗り出した。
「奈々子さんだけ温度違いすぎない!?」
「山深くなってきたな」
星乃先輩が窓の外の木立を見上げながら呟く。
山道のカーブを曲がるたび、奈々子先輩は手元の道路地図から目を離し、時折窓の外の山肌へ視線を走らせていた。
カーナビの音声が案内を告げるより少し早く、奈々子先輩が前方の道を見据えて言う。
「この先、しばらく道なりでいいよ」
ハンドルを握るりあさんが、横目でちらりと助手席へ目をやった。
「……ナナコ先輩、この辺だったんです?」
「……ううん。もう少し先」
奈々子先輩はそれ以上言葉を重ねず、流れていく山の木立を静かに見ていた。
すみれは後部座席から、その横顔をそっと見つめた。西へ進むにつれて、奈々子先輩が窓の外を眺める時間は、少しずつ長くなっていた。
やがて曲がりくねった峠道を抜けると、前方の視界が急激にひらけた。
「あ、海が見えた!」
ほのかさんの声が車内に響く。
木々の隙間を抜けた先に、日本海と、山と海に挟まれた入江の集落が見えてきた。そしてその頭上、空を渡るようにそびえ立つ、巨大なコンクリートの橋脚が目に飛び込んでくる。
「わっ……あんな高いところに線路がある!」
ほのかさんが息を呑んだ。
りあさんは速度を緩め、道路脇に現れた道の駅の駐車場へと車を滑り込ませた。白線の内側に収め、ようやくエンジンを切る。
それまでの微かな振動が止まり、車内が急に静かになった。
「着いたよ」
奈々子先輩がシートベルトを外し、ドアを開けた。
五人は順に車を降り、但馬の冷たい海風の中に立った。
「高っ! あれ上行くの!?」
見上げるほのかさんの声が、秋の空へ飛んでいく。
その横で、奈々子先輩は高くそびえる橋脚ではなく、西の岬のほうへ続いていく海岸線を見つめていた。
「……ここから、そんなに遠くないんだ」




