↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/42

五枚の皿

 ぴしゃりと閉ざされた格子の引き戸の奥からは、もう何の気配も返ってこない。


 星乃先輩はポケットに手を突っ込んだまま、黒塗りの板塀を見上げていた。


「……日渡、というだけで、あそこまで拒絶されるなんて」


 奈々子先輩が腕を組み、眉を寄せる。


「剣がこっちへ行ったことで、うちの連中が騒いでたのは知ってるがな」


 星乃先輩は閉じた扉を一度見た。


「……嫌われたもんだな」


「星乃先輩は、関係ないのに……」


 すみれが言うと、星乃先輩はちらりと視線を寄越した。


「実家のとばっちりなんぞ、今に始まったことじゃない。……行くぞ。突っ立ってても、あの扉が勝手に開くわけでもない」


 踵を返し、歩き出す。その背中には、昔から同じような扱いを受け慣れてしまった人のような、乾いた諦めが滲んでいるように見えた。


「日渡先輩」


 奈々子先輩が半歩後ろに並ぶ。


「辰鼓楼のほうへ戻ろうか。御影さんたちも待ってる」


「ああ」


 三人は古い屋敷の残る路地を抜け、瓦屋根の町家が並ぶ通りへと戻っていった。


     ◇


 辰鼓楼の広場に戻ると、時計台の下でお堀の鯉を覗き込んでいたほのかさんが、気づいて手を振った。


「あ、すみれちゃーん!」


「おー、戻ってきた! 早かったじゃん!」


 りあさんも駆け寄ってきて、すみれたちの顔を覗き込む。


「で、どうだった? なんか分かった?」


「門前払いだ」


 星乃先輩が、身も蓋もなく答えた。


「え? 門前払い……って、会えなかったの?」


「出てきてはくれたがな。名乗った瞬間に扉を閉められた。『お引き取りを』だそうだ」


「ええっ!? 名乗っただけで!?」


 りあさんが声を裏返らせる。


「せっかく東京から来たのに!? 話も聞かずに!?」


「日渡という名前に、ずいぶん強い反発があるみたいでね」


 奈々子先輩が補足すると、ほのかさんが眉を下げて星乃先輩を見た。


「星乃さん、何かしたの……?」


「何もしてない」


「してないのに追い返されたん!?」


「だからそう言ってるだろ」


 星乃先輩は面倒そうに肩を竦めた。


「まあ、うちの連中の話だ。私に言われても知らん」


「うわあ……なんか、大変なんだね、昔からの家って……」


 ほのかさんが息をつき、それからぱっと表情を切り替えた。


「でも! あたしたち、待ってる間にいいお蕎麦屋さん見つけといたよ!」


「そうそう!」


 りあさんが請け負う。


「観光案内所でおすすめ聞いてきたんよ。辰鼓楼の周りから少し歩くんだけど、落ち着いてて穴場っぽいとこ教えてもらってさ。お腹も空いたし、先にご飯にしよ!」


 二人の明るさに、張り詰めていた空気が緩む。


「はい。ぜひ、いただきに行きましょう」


 すみれが答えると、星乃先輩も腹のあたりを叩いた。


「よし。蕎麦だ」


     ◇


 観光客で賑わう中心部を抜け、路地を少し歩くと、家々の間の空気はぐっと静かになった。案内されたのは、通りから少し奥まった場所にある、落ち着いた佇まいの蕎麦屋だった。


 のれんをくぐると、出汁の良い匂いが漂ってくる。座敷席の卓へ案内され、腰を下ろした。


「いらっしゃいませ。出石皿そばでよろしいですか?」


 店員に尋ねられ、奈々子先輩が頷く。


「はい、五人前でお願いします」


「はい、五人前ですね。一人前が五皿になります」


 出されたほうじ茶で喉を潤していると、ほのかさんが卓に肘をついた。


「五皿って、わんこそばみたいに次々出てくるの?」


 奈々子先輩が湯呑みを置いて答える。


「ううん、最初に一人五皿ずつ、小皿に盛られて運ばれてくるんだよ。自分のペースで、つゆや薬味で味を変えながら食べるの」


「へえー、ゆっくり食べられるんだ」


 ほのかさんが感心しているところへ、お盆を抱えた店員がやってきた。


「お待たせしました。出石皿そば、五人前です」


 卓の上に、手のひらに収まるほどの白磁の小皿が次々と並べられていく。


 五人前で、二十五枚。


 あっという間に、卓の上が小皿で埋め尽くされた。


「うわあ……! すごい、壮観!」


「小皿めっちゃ並んでるじゃん! 可愛い!」


 ほのかさんとりあさんがスマートフォンを向ける。


 藍色の染付が施された小皿の上には、白っぽく、細めに打たれた端正な蕎麦が盛られていた。脇にはつゆの徳利と、ネギ、わさび、とろろ、生卵が置かれている。


「じゃあ、いただきます!」


 五人がそれぞれ最初の一皿に手を伸ばす。


 すみれも蕎麦をひと房すくい、つゆにつけて口に運んだ。冷たく締められた細めの蕎麦は喉越しがよく、澄んだ風味が軽やかに広がる。


「……美味しいです」


 すみれが呟いたときには、隣の星乃先輩はすでに一皿目を空にして、二皿目をつゆにつけていた。


「ん。美味いな」


「星乃さん、早っ! もう二皿目いってる!」


「腹が減ってたんだ」


 星乃先輩は淡々と箸を進め、三皿目を手元へ引き寄せる。


「あーし、とろろ入れるのめっちゃ好きかも! これ何枚でもいけるやつじゃん!」


 りあさんが勢いよく啜り、すみれも生卵をといて味を変えてみる。濃厚な甘みが加わって、また箸が進んだ。


 門の前で熱を帯びていた石は、もういつもの温度に戻っている。


 胸元の内側で、ふいに小さな声がした。


 ――ふーん。美味しそうじゃない。


 みしろだった。


 すみれは周囲に聞こえないよう、小声で呟いた。


「……みしろさんも、召し上がりますか」


 ――石が蕎麦なんか食えるわけないでしょ。あんたが代わりに味わいなさいよ。


 いつもの減らず口だった。すみれは口元を緩め、五皿目を手繰った。


「すみれちゃん、何笑ってるの?」


「いえ……とても美味しいな、と思いまして」


「だよね! あたしもう食べちゃった。追加頼まない?」


「頼む頼む! なんかね、この店、二十枚食べたら記念の手形がもらえるらしいよ!」


「二十枚はさすがに無理でしょ!?」


「やってみんと分からんじゃん!」


 結局、追加で十五枚を注文し、みんなで分け合って平らげた。


「……ふう。二十枚は、さすがに無理だったわ」


 りあさんが空の皿を見つめて苦笑する。


「ほのっち何枚食べた? あーし、結局八枚!」


「あたし七枚! 星乃さんは?」


「十枚だ」


「一番食べてるし!」


 りあさんが笑い、奈々子先輩も蕎麦湯を飲み干して息をついた。


 十枚の皿を重ねた星乃先輩の横顔は、いつもと同じに見える。門の前で見たあの諦めを、すみれはまだ訊けずにいた。


     ◇


 店を出ると、午後の日差しが古い町並みを照らしていた。


「ふあー、お腹いっぱい!」


 ほのかさんが伸びをし、通りを歩き出そうとした、そのときだった。


「あの……すみません!」


 背後から呼び止められ、振り返る。


 小走りで近づいてきたのは、落ち着いた濃紺のシャツを着た青年だった。二十代半ばくらいだろうか。整った身なりをしていたが、表情は切迫していた。


 青年は荒い息のまま五人を見回す。


「先ほど……雨ノ守の家へ来られた方たちですよね」


 奈々子先輩が怪訝そうに眉を寄せた。


「そうですが……」


「この中に、日渡という方がいらっしゃるはずですが」


 すみれの肌に、青年から放たれる感情が届いた。敵意というよりは、何かに追い詰められているような痛々しい焦りだ。誰かを本気で案じていることだけは、はっきりと分かる。


 星乃先輩が一歩前へ出た。


「私が日渡だ」


 青年の目元が強張った。


「……妹のことです。あの日、妹は姿を消した」


 ポケットに入れた星乃先輩の手が、ぴたりと止まったのを、すみれは見逃さなかった。


 青年は抑えきれないように、一歩詰め寄る。


「日渡家が、妹を連れ去ったんじゃないんですか!」


「……え」


 ほのかさんの小さな声が、張り詰めた空気の中に落ちた。


 星乃先輩の目が、わずかに据わった。


「知らん。少なくとも、私は何も聞いてない」


「そんなはずは――」


「本当です!」


 すみれは思わず、二人のあいだへ一歩踏み出していた。


 青年が、驚いたようにすみれを見る。


「星乃先輩は……妹さんのことは、何もご存じありません。わたしたちは日渡家の命令で来たわけではないんです」


 りあさんも真剣な顔で青年を見据える。


「あーしも保証します。星乃、実家のことほんとに嫌いで、関わりたくないってずっと言ってたんで。誰かを連れ去るとか、絶対ないですから」


「……余計なことを言うな」


 星乃先輩がりあさんを短く制する。


 青年は星乃先輩を見つめた。すみれの肌に届く焦燥が、大きく一度揺れる。


 近くを通りかかった人が、何事かとこちらへ目を向けた。


 その視線に気づいた青年は周囲へ視線を走らせ、小さく息を呑んで奥歯を噛みしめた。


 荒い息を整えながら、青年は声を落とす。


「……ここでする話では、ありませんでした。少し、場所を変えて……お時間をいただけませんか」


 通りを、秋の風が吹き抜けていく。


 星乃先輩はポケットに手を突っ込んだまま、目の前の青年を見つめ返していた。


 すみれは羽織の上から、胸元の石に触れた。


 みしろは冷たいまま、何も言わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。