↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/42

蕎麦が有名らしい

 上野桜木の星乃先輩の家には、まだ昼下がりの日差しが残っていた。


 開け放たれた木戸から風が吹き抜けて、六畳の畳の上に敷かれた薄い座布団の端を揺らす。こたつ机の上には、奈々子先輩が持ってきた関西の道路地図と、ほのかさんがコンビニで買ってきた旅行雑誌が広げられていた。


「見て見て、この宿! 浴衣が何種類も選べるんだって。可愛くない?」


 ほのかさんが雑誌のページを指先で叩く。隣で麦茶のグラスを傾けていたりあさんが、身を乗り出して覗き込んだ。


「あ、いいじゃん! 温泉街ってさ、みんな浴衣で歩くんでしょ? スミレっちも着る?」


「はい。皆さんと同じ浴衣を着られるのは、とても楽しみです」


 すみれが答えると、りあさんは満足そうに頷いて麦茶を一気に飲み干した。


 机の向こう側では、奈々子先輩が広げた地図の但馬のあたりに目を落としていた。りあさんも横から地図を覗き込む。


「兵庫の北側って、思ってたより広くない? パパが言ってた『北のほう』だけで探すの、無理ゲーじゃん」


「そうですね……。駅を降りてから、どう動くべきか……」


 すみれが言いかけたときだった。


 台所の方から戻ってきた星乃先輩が、冷えた茶色の瓶をことりと机の端に置いた。栓抜きで王冠を外すと、立ったまま一口喉を鳴らし、畳の上へどっかりと腰を下ろす。


「場所、分かったぞ」


 全員の手が止まった。星乃先輩が、こたつ机の上の地図の一点を指先でトントンと叩く。


「……え?」


 ほのかさんが顔を上げる。星乃先輩は瓶を持ったまま、淡々と言った。


「剣を受け取った家の場所も聞いてきた。但馬の一宮があるところだ。……なんか、蕎麦が有名らしい」


「蕎麦!!」


 ほのかさんが雑誌を取り落としそうになりながら身を乗り出した。


「蕎麦食べたい! あたし行きたい!!」


「ほのっち、食いつき早すぎ!」


 りあさんが笑い、それからふと我に返ったように星乃先輩を見た。


「……てか、ほっしー、それどこで聞いたん?」


「実家」


 短く返された言葉に、部屋の空気が止まった。


 電車のなかで、星乃先輩は言っていたはずだ。日渡家へ聞きに行ったところで、まともに教えてくれるわけもない、と。行けばまた理不尽に責め立てられるだけだと、そう口にしていた。


「でも……星乃先輩。ご実家へは、お聞きにならない方がよろしいのでは……」


「私も行くって言っただろ」


 星乃先輩は瓶の口を見つめたまま言った。


「お前らだけに調べさせる話でもない。行くだけの手掛かりは要る」


「でも、よく教えてもらえたね」


 奈々子先輩が静かに尋ねた。


 星乃先輩は瓶を机に置き、腕を組んだ。


「向こうも私を無視できんからな」


「なんで?」


「朱音にはもう、力がない。けど、家はそれを外に言えん。そういう力がなきゃ片付かん用事が来たら、代わりにやる奴が要る」


「……それが、ほっしー?」


「ほかに見えるのがいないからな。散々嫌ってるくせに、そういうときだけ呼びつける。……府中の日もそうだった」


「あ……!」


 りあさんが小さく声を漏らした。


 あの夏の日、東京競馬場へ行く朝に、星乃先輩が急に来られなくなった理由。すみれも胸の奥で、はっと息を呑んでいた。


「朱音ちゃんは?」


「表は朱音のままだ」


「じゃあ、ほっしーは?」


「……裏」


 星乃先輩はそれ以上言わなかった。


 静まり返った六畳間で、麦茶のグラスを置いたりあさんが口を開いた。


「でもさ、ほっしー。見えるようになった頃は、めっちゃ喜んでたじゃん」


「あ?」


 星乃先輩が眉を寄せる。


「あーし覚えてるよ。自分だけに特別な力があるとか言ってさ。中二病全開だったじゃん」


「……昔の話だ」


「いやいや、ほんとに凄かったんだって! なんか変なポーズ取って、普通の人には見えない世界が見えるとか言ってさあ」


「おい。余計なことを言うな」


 星乃先輩が嫌そうに瓶を揺らす。ほのかさんが目を丸くして身を乗り出した。


「え、星乃さんにもそんな時期あったの!?」


「……まあ、最初は普通に見えんものが見えて、少しはいい気になってたかもしれんがな」


 星乃先輩がぼそりと認めるように呟く。りあさんがからかうように笑い、それからふと思い出したように声を落とした。


「でも……その頃だよね。実家から剣がなくなったの」


 部屋の空気が、ふっと変わった。


「……ああ。あいつらは、私が何かしたと思ってるらしい。今日も行ったら、昔と同じことをネチネチ言われた」


「それで、星乃さんが……?」


 ほのかさんが不安そうに訊くと、星乃先輩は短く首を振った。


「知らん。因果関係なんか私にも分からんが……向こうはそう結びつけたいんだろうな。昔から変わらん」


「てかさ」


 りあさんが座布団の上で腕を組み直す。


「そんな実家の用事とか付き合ってて、大学大丈夫なん? ほっしー、もう四年じゃん」


「留年確定した」


「……え?」


 ほのかさんが固まった。


「留年!? もう確定!?」


「ああ。決まった」


 星乃先輩は瓶に口をつけ、何でもないことのように喉を鳴らした。


「ちょ、まじで!? 大丈夫なん!?」


「別にいい。向こうの都合にも付き合ってやってんだから、こっちも好きにさせてもらうだけだ」


 すみれは、その横顔を見つめた。


 すべてを理解できたわけではないけれど、星乃先輩という人の輪郭が、ほんの少しだけ新しく見えたような気がした。


「では……来年も、星乃先輩と一緒に大学にいられるのですね」


「そこ喜ぶとこ!?」


 りあさんが吹き出した。


「えっ。いけませんでしたか?」


「……別に」


 星乃先輩はそう言って、また瓶に口をつけた。


 奈々子先輩も小さく笑ってから、手元の地図へ視線を戻した。


「但馬の一宮……大きな神社があるところだね。城下町の面影が残っていて、本当にお蕎麦が名物なんだよ。小皿に分けて出てくるお蕎麦」


「ほら、やっぱりお蕎麦じゃん!」


 ほのかさんが目を輝かせる。奈々子先輩も小さく笑った。


「城崎温泉から豊岡に出て、そこからバスに乗れば向かえると思う。じゃあ、城崎に泊まって、翌日にその家を訪ねてみよう」


 奈々子先輩は、すらすらと言う。


「いいねお蕎麦! お昼はそこで決まりじゃん。で、泊まりは城崎温泉でしょ? 完璧なルートじゃん!」


 りあさんがぱっと顔を明るくし、奈々子先輩が地図の一宮のあたりに付箋を貼った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。