鏡と剣と
りあさんの家は、駅から少し歩いた住宅街の中にあった。
「ただいまー。入って入って」
りあさんが玄関の引き戸を開け、五人で三和土へ入る。靴を脱ぎ捨ててそのまま上がろうとしたりあさんの背中に、廊下の奥から出てきた母親の声が飛んだ。
「りあ、ちゃんと揃えなさい」
「今やろうと思ってたって」
りあさんは口を尖らせながら膝をつき、脱いだスニーカーの向きを直した。ほのかさんが小さく笑い、すみれも靴を揃えて頭を下げた。
「いらっしゃい。狭いけど、上がってね」
母親は気さくに笑って、奥の居間へ促してくれた。
通された部屋には、穏やかそうな父親が待っていた。父親は読んでいた新聞を畳んで脇へ置き、のんびりと会釈をしてくれる。
「まあ、座って座って」
「今日めっちゃ歩いたわー」
りあさんが座布団に倒れ込むと、台所から麦茶を運んできた母親が「お行儀悪いわよ」と背中を軽く突いた。
運ばれてきたガラスのコップの表面には、細かな水滴がびっしりと浮いている。
「暑かったでしょう。ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
冷たい麦茶を一口含むと、香ばしさが喉を通り、ほっと息が解けた。父親の脇に置かれた扇風機が、首を振りながらカタカタと低く唸っている。
すみれは膝の上で指を揃え、そっと姿勢を正した。
「今日はお邪魔させていただき、ありがとうございます。あの……りあさんから、お母様のご実家にある『御鏡さま』のお話を伺いまして」
「ああ、実家の鏡のこと? りあちゃんから少し聞いたけど、あれが何か気になるの?」
母親は不思議そうに笑って、自分のグラスを置いた。
「はい。それで……その御鏡さまのほかに、ご実家やご親戚の間で、剣や勾玉に関わるようなお話を聞かれたことはございませんでしょうか」
すみれが丁寧に尋ねると、母親は少し首を傾げて考え込んだ。
「剣と勾玉? ううん、聞いたことないわねえ。御鏡さまのこともね、あの部屋に行ったときはきちんとご挨拶しなさいって言われて育ったくらいで。みだりに触っちゃいけないとか、決まりごとはあったけど、どういうものなのかまでは私も知らなくて」
勾玉についても心当たりはないらしく、母親はすまなそうに手を振った。
「ごめんなさいね、そんな大した話じゃなくて」
「いえ、教えていただきありがとうございます」
すみれがお礼を言ったとき、それまで黙ってお茶をすすっていた父親が、ぽかんと首を傾げた。
「剣……?」
父親の視線が宙を泳ぎ、思い出したように小さく頷く。
「あそこで……剣だったかな。なんかそういうのを祀ってなかったか?」
「え、パパの方?」
りあさんが身を乗り出した。
「ほら、昔から親戚筋とか、付き合いのある家が集まる祭りがあったろ」
母親が父親の横から自然に口を添えた。
「ああ、あのお祭りね。うちの実家の方も、昔は毎年顔を出してたわよ」
「そうだっけ。まあ、年に一回、あちこちから人が集まるやつだよ。俺も子どもの頃は連れていかれてたけどさあ。そういう決まりだから顔を出してただけで、詳しいことは何も知らんよ」
父親は生活の中の古い記憶を懐かしむように、のんびりと言った。
「なんで剣なん?」
りあさんが尋ねると、父親はグラスを両手で包んだまま、あっさりと言った。
「さあ? そういう決まりだったんじゃないのかなあ」
「あなた、本当に何も覚えてないのね」
母親が呆れたように笑うと、父親は悪びれもせずに眉を下げた。
「いやあ、祭りって食べるほうが楽しみだったしなあ」
「パパ、昔からそんなんなん?」
りあさんが笑う。
そのとき、りあさんが隣の星乃先輩へ顔を向けた。
「それって……ほっしーも来てた祭り?」
星乃先輩の指が、グラスの縁で止まった。
「……あれか」
星乃先輩はグラスを持ったまま、短く応じた。
「あーし、ほっしーとあそこでよく遊んでたし」
「遊んでたっていうか、お前が毎回勝手に来てただけだろ」
「だって一人でいたじゃん。暇そうだったし」
「……余計なお世話だ」
星乃先輩は視線を落とし、手元の麦茶を見つめた。
ほのかさんが目を丸くする。
「えっ、りあすけと星乃さんって、そこで会ってたの? じゃあ、りあすけんちと星乃さんちって、昔から同じ祭りに出てたってこと?」
「そういうことになるのかな。まあ、あーし達はただ走り回ってただけだけど」
りあさんは重大な秘密を明かすような調子でもなく、いつもの軽さで言った。
すみれは、二人の横顔を交互に見た。
自分が足利で暮らしていた頃、二人は知らない土地の祭りで、一緒に走り回っていたらしい。
今まで知らなかった二人の時間を、少しだけ覗かせてもらったような気がした。
奈々子先輩が机の上で指を軽く組んだ。
「……鏡だけじゃなく、剣まで出てきたんだね」
奈々子先輩は低く呟き、それ以上は言わずに考え込むように視線を落とした。
すみれは星乃先輩に向き直った。
「星乃先輩。日渡家では、そのお祭りについて何か聞いていませんでしたか」
「祭りのことは覚えてる。何のためだったかは知らん」
星乃先輩はそれだけ言って、麦茶に口をつけた。
御影家の居間では、それ以上の話は出なかった。両親に礼を言い、五人は家を後にした。
◇
帰りの電車は思っていたより空いていて、五人は近くの空いた席へそれぞれ腰を下ろした。
規則正しい車輪の音が響き、傾き始めた午後の光が車窓を流れていく。
星乃先輩はシートに深く背を預け、腕を組んだまま、じっと前を見ていた。
すみれがその横顔を見つめていると、星乃先輩がぽつりと言った。
「……一つ、思い出した」
「何をですか?」
「昔、あいつらに散々言われたことがある。『お前のせいで、剣があんな田舎の一族のところへ行った』ってな」
星乃先輩は前を向いたままだった。
「……うちに剣があったことも、よそへ行ったことも知ってた。けど、あの祭りと繋がってるとは思わなかった」
「……その方たちも、あのお祭りに来ていたんですか?」
「いた。毎年来てた家だ。あいつらが『田舎の一族』って呼んでた連中だ」
星乃先輩はそれだけ言うと、流れていく車窓へ視線を向けた。
「その方たちは、どちらに……」
すみれが問うと、星乃先輩は短く答えた。
「兵庫だ」




