そんなことある?
木戸の開く音がして、玄関から「もどってきたよー」とほのかさんの声がした。
引き戸が引かれ、りあさんとほのかさんが入ってくる。そのすぐ後ろに、奈々子先輩の姿もあった。
「すみれちゃん、大丈夫?」
ほのかさんが畳に膝をつき、覗き込んできた。
心配そのものが消えたわけではない。それでも、みしろが持ち直した今は、先ほどのように刺さることもなく、普段どおりのかすかな温もりに戻っている。
「心配してくださっているのは分かります。でも、先ほどのようには届きません」
「心配はしてるよ?」
「はい。それは、お顔を見れば分かります」
ほのかさんは拍子抜けしたように目を丸くし、それから小さく笑った。
奈々子先輩がすみれの顔を見て、静かに息をつく。
「さっきより、届き方は戻ってる?」
「はい。普段と変わらないくらいです」
「そっか。なら、よかった」
奈々子先輩はこたつ机のそばへ腰を下ろした。
「でもさ」
ほのかさんが座布団を引き寄せながら、眉を寄せた。
「もし今度、戻らなくなったりしたら……どうするの?」
――やめてよ、そういうこと言うの!
胸の奥で、甲高い声が跳ねた。
すみれは思わず肩を揺らし、胸元を押さえた。
「……あ、あの。みしろさんが、『やめてよ、そういうこと言うの!』とおっしゃっています」
ほのかさんが目を丸くし、りあさんが吹き出した。
「元気になってんじゃん、みしろっち」
――だからっち付けるなって言ってるでしょ! ほんと調子いいんだから!
すみれは後半をそっと飲み込み、手元の石に触れた。
「みしろさん、っちを付けるな、とおっしゃっています。……無理にお話しされないでくださいね」
石からは、それ以上の声は返ってこなかった。
奈々子先輩が鞄からいつものノートを取り出し、開いた。
「少し、歩きながら考えてたんだけど」
奈々子先輩は手元へ視線を落としたまま、静かに口を開いた。
「前にも、ここで少し話したよね。星乃先輩の家に昔あったっていう剣の話と、すみれの持っている勾玉のこと」
「ああ」
星乃先輩が短く応じる。
「そのとき、三種の神器みたいだって、私が言ったのを覚えてる? ……剣と、鏡と、勾玉」
りあさんがぽんと手を打つ。
「あ、ゲームのやつ!」
「うん。でも、あのときは鏡がなかった。……だけど今は、御影さんの伯母さんの家に、御鏡さまがある」
奈々子先輩はページをめくり、前回のメモを指先で示した。
「御鏡さまのところへ行ってから、みしろは『バーッて開いた』って言ってた。それから、前より多く取れるようになった。……ただの偶然かもしれないけど、鏡で何か起きたなら、剣にも何か関係があるのかなって」
ほのかさんが目を瞬かせる。
「剣でも、みしろちゃんが変わる……?」
「知らんぞ」
星乃先輩が腕を組み、背中を柱に預けた。
「私は見たこともないし、今は実家にもないって言ったろ」
「うん。何も起きないかもしれないし、そもそも関係のない話かもしれない」
奈々子先輩も断定はせず、淡々と言葉を添えた。
「ねえ、すみれちゃん」
ほのかさんが、すみれの顔を覗き込んだ。
「もし、みしろちゃんが今よりたくさん取れるようになったら……すみれちゃんも、少し楽になるのかな」
すみれは膝の上の布地を指先で押さえた。
御鏡さまへ行ってから、昨日も学食で、最後までみんなとお昼を食べていられた。高校の頃には考えられなかったことが、今は少しずつできるようになっている。
「……みしろさん」
すみれは胸元へそっと呼びかけた。
「もし、みしろさんがもっと取れるようになったら……その、嫌ですか」
少しの間があって、胸の奥から声が返ってきた。
――取れるのが増えるなら、あたしは構わないわよ。そっちのほうが、あたしだっていろいろ取れるし。
すみれは小さく息をつき、顔を上げた。
「嫌ではないそうです」
「なんだ、けっこう乗り気じゃん」
りあさんが笑った。
「じゃあさ、もう一回あの鏡のところに行ったら、何か分かるのかな」
ほのかさんが言うと、りあさんが身を乗り出した。
「じゃ、行ってみる? 場所は分かってんだし」
「……わたしも、もう一度確かめたいです」
すみれが答えると、奈々子先輩も小さく頷いた。
「うん。もう一度行って、前と同じ変化が起きるのか確かめてみよう」
◇
数日後、りあさんの運転する車で、五人は再びあの古い屋敷を訪れた。
伯母さんは「また来たの」と笑いながらも快く迎えてくれた。座敷を通り、薄暗い廊下を歩いて、突き当たりのあの部屋へ向かう。
乾いた畳の部屋。白い布の敷かれた木の台の上に、青く曇った小さな丸い鏡が立てられている。
すみれは敷居の前で膝をつき、胸元からみしろを取り出した。すぐ後ろには四人も並んで立っている。
手の中の石が、じんわりと温かくなる。
けれど。
――……。
しばらく待っても、石の内側から波が打ち寄せることも、言葉になりかける感覚も起こらなかった。石は静かに温かいまま、それ以上の変化は見せない。
すみれは石を包み込み、小さく息を吐いた。
「……すみません。前回のような変化は、起きないみたいです」
りあさんが首を傾げた。
「そっかー。二回目はダメってこと?」
「同じ場所に来れば、前と同じ変化が起きるわけではないのかもしれないね」
奈々子先輩が静かに腕を組んだ。
伯母さんにお礼を言い、玄関を出た。
門の外の道に出て、車のドアを開ける前、奈々子先輩が足を止めた。
「物そのものを見るだけじゃ、これ以上は分からないかも」
「どういうこと、ナナコ先輩」
りあさんが鍵を持った手を止めて振り返る。
「御鏡さまは御影さんの母方の家に昔からあって、剣は星乃先輩の家に昔あった。そしてすみれのお母さんは、みしろを持っていた」
「でもさ、うちらが集まったのって、たまたまじゃん」
りあさんが車の屋根に肘をついた。
「星乃とあーしは幼馴染だけど、みんなが知り合って、たまたま剣と鏡と勾玉って、そんなことある?」
奈々子先輩は前を見つめたまま、低く呟いた。
「……本当に、たまたまなのかな」
少しの間をおいて、奈々子先輩は一同を見回した。
「物だけを見ていても、これ以上は分からないかもしれない。それなら、それを持っていた人に話を聞いてみたほうがいいんじゃないかな」
「……あーしの、お母さん」
りあさんが目を丸くした。
「そう。御鏡さまのある家で育ったお母さんなら、何か知っているかもしれない。お父さんも、何か聞いているかもしれないし」
「言われてみれば……あーし、お母さんにもお父さんにも、御鏡さまのことちゃんと聞いたことないわ。『うち、そうすんの』で済ませてたし」
りあさんは自分の頭を軽く叩いた。
「じゃあさ、今度うち来る?」
りあさんが、車の屋根越しにすみれへ顔を向けた。
「親に聞いてみたら、なんか分かるかもよ」
「はい」
すみれはりあさんを見つめ、しっかりと頷いた。
「ぜひ、伺わせてください」




