石っち
「石っち、あーしの声も聞こえてんの?」
りあさんが、こたつ机の真ん中へ身を乗り出した。
初めて勾玉の声を聞いてから、数日が経っていた。星乃先輩の家。こたつ机に広げたハンカチの上に、青緑の石が載っている。
――あのさあ。なんかあたしのこと石っちって言う子いるでしょ。石っちは流石にさあ。
「りあさん。勾玉さんが怒ってますよ」
「なんで!?」
「石っちという呼び方は、さすがに嫌だそうです」
ほのかさんが吹き出した。りあさんは石を見て、すみれを見る。
「スミレっちとお揃いなのに。じゃあ、何て呼んだらいいん?」
「わたしは勾玉さんと呼んでましたが……」
手元の石に、すみれはそっと目を向けた。
――……ないわよ。名前なんか。誰もつけなかったし。……昔、かたしろ、とは言われたけど。
「かたしろ?」
その音に、奈々子先輩が顔を上げた。
「形代。……ざっくり言えば、本物の代わりとされるもの、かな」
奈々子先輩は開いていたノートの端に二文字を書いた。
――駄目だの失敗作だの、ずうっと前に言われただけよ。腹立つ。
「失敗作とも、呼ばれていたみたいです」
「形代、失敗作……」
奈々子先輩がそのまま書き留める。
「じゃあ、みんなも勾玉さんって呼ぶ?」
ほのかさんの言葉に、すみれは少し考えてから、石へ向けて言った。
「あの……わたしが、お名前をつけてもよろしいでしょうか」
――……好きにすれば。
母の形見。
形代と呼ばれた石。
二つの言葉が、すみれの中で並んだ。
「……みしろさん、というのはいかがでしょう」
――……なにそれ。
「形見の『み』と、形代の『しろ』です」
――……まあ。石っちよりはマシね。
「石っちよりは、ましだそうです」
「じゃ、みしろっち」
――却下。そういうとこよ。……この子、養殖ギャルだっけ?
すみれは慌てて口元を押さえた。りあさんは満足そうに麦茶を飲んでいる。
◇
「すみれちゃん、家でもずっとみしろちゃんとお話ししてるの?」
「朝と、お休み前に少しだけです。伺いたいこともたくさんあるのですが、少し話すとみしろさんの返事がなくなるので……あまりお話しできていません」
――ちゃん? ちゃんって誰よ。
何やらぶつぶつ言っている石をそっと指先でなでて、すみれは訊ねた。
「母といた頃も、人の気持ちを取っていたんですか」
――取ってたわよ。お母さんも似たようなの拾ってたけど、あの人の時はあたしの勝ちだったわ。
少し得意げな声だった。
――でも、あんた何なの? あたしが取っても取っても、そっちに届くじゃない。強すぎんのよ!
「そう言われましても、どうにもできないんです」
母にも似たようなことが起きていたらしいと伝えると、ほのかさんが目を丸くした。
「じゃあ、すみれちゃんのお母さんは、みしろちゃんに守ってもらってたんだ」
――守ってないし。あたしは好きで取ってただけよ。
「でも、この間より楽そうだよね。昨日も学食、最後まで平気だったし」
「はい。いつもより、ずっと」
――あの鏡のとこ行ってからね。なんか、バーッて開いたのよ。前よりいっぱい取れるようになった。
少し間があった。
――……まあ、それでも全部は無理なんだけど。
すみれが伝えると、りあさんが首を傾げた。
「もしかして、御鏡さまのせいだったり?」
「……少し、考えさせて」
奈々子先輩はペンを置いた。
すみれは、膝の上で指を組み直した。
「みしろさん」
――……あー、やっぱ駄目かも。
「え?」
――今日、ちょっと喋りすぎた……。
途切れた瞬間、胸の内側を強く押された。
ほのかさんの心配が、さっきよりずっと近い。
おかしい。
星乃先輩からは何も聞こえない。りあさんも、奈々子先輩もほとんど聞こえない。
それなのに、ほのかさんの気持ちだけが、はっきり届いている。いつもなら、こんなふうには聞こえないのに。
「すみれちゃん?」
「急に……ほのかさんの、お気持ちが。いつもより、ずっと……」
「あたし!?」
星乃先輩がすみれの隣へ寄り、りあさんの手が伸びて肘を支えた。
「こっちに寄れ」
身体を傾けても、胸を押す圧迫は引かなかった。
――……あー、もう無理。ちょっと調子に乗りすぎた。
声がそこで途切れた。
すみれは膝の上で拳を握り、必死に息を整えようとした。ほのかさんの心配が、肌に刺さるように痛い。
「……わたしが、喋らせすぎたせいです」
「すみれちゃんが訊きすぎたんじゃないよ。あたしたちも喋らせたし」
「あーしもだし」
奈々子先輩がノートの上へ手を重ねた。
「……喋ることと、すみれに届くものを取ること。両方を同じようにはできないのかな」
身を縮めて耐えているすみれの背中を見つめ、奈々子先輩が顔を上げた。
「星乃先輩」
「ん」
「白蛇様も、こういうことがあるんですか」
「ある。……喋らなくなる時がある。疲れるみたいだ」
「そのあとは」
「白蛇様は元気になる。みしろも同じかは知らんがな」
りあさんが、机に残っていた組紐を指先で集めた。
「石っち、休憩させたげよ」
すみれは顔を上げられないまま、小さく頷いた。
りあさんが、あ、と小さく口を開く。
「……ごめん。石っちじゃなくて。……みしろっち」
星乃先輩が麦茶のポットを持ってきて、机に置いた。
「すみれ、今の状態で外に出るのはきついだろ。少しここで休んでいけ」
「えっ……でも」
「ほっしーの家なら安心じゃん。あーし達、ちょっと外で時間つぶしてくるよ。ほっしー、すみれっちよろしくね」
りあさんとほのかさんが立ち上がり、奈々子先輩もノートを鞄に収めた。
「外の空気を吸いながら、少し考えてみる。戻ってきて、すみれが平気そうなら話を整理しよう」
「……はい。ありがとうございます」
玄関の引き戸が開き、三人の足音が通りへ遠ざかっていく。
畳の上に、星乃先輩がどっかりと座り直した。
「星乃先輩は……ご一緒しなくて、よろしいのですか」
「ここは私の家だぞ」
星乃先輩は自分のグラスに麦茶を注いだ。
「それに、私からは何も聞こえんのだろ」
「……はい」
すみれは石を手のひらへ載せ、そっと両手で包み込んだ。
「みしろさん……大丈夫ですか」
長い沈黙のあと、胸の奥へ、頼りない声が届いた。
――……なんとか。……ちょっと、マシになってきた、かも。
「よかったです。……今は、ゆっくり休んでください」
手の中の石は、もう何も答えなかった。まだ、少し温かかった。




