派遣の巫女
鳥居をくぐると、すぐ先に小さな社があった。
「八雲神社、だって」
ほのかさんが、鳥居の脇の社名を読んだ。奈々子先輩はその横に立つ案内板の前で足を止め、りあさんも隣から覗き込んでいる。
「この辺には、同じ名前の神社がいくつかあるみたい」
奈々子先輩はそれだけ言って、また案内板へ目を戻した。
すみれは、拝殿の脇にいる女性に気づいた。白い小袖に緋色の袴。長い黒髪を低い位置で結んで、落ち葉を掃いている。
「こういう小さな神社で、巫女さんがいるのは珍しいね」
奈々子先輩の声で、もう一度そちらを見た。
巫女さんが顔を上げ、にこりと笑った。すみれも会釈を返す。きれいな人だった。けれど、その顔に見覚えがあるような気がして、頭を下げたあとも目が離せなかった。
「すみれちゃん、お参りしよ」
「あ、はい」
ほのかさんに続いて手を清め、拝殿の前へ向かう。五人が並ぶと、端のりあさんは賽銭箱へ少し手を伸ばさなくてはならなかった。
手を合わせながら、すみれはさっきの顔を思い浮かべていた。どこで見たのだろう。境内に巫女さんがいるのは、それほど不思議なことではないのに。
いけない。今はお参りをしているのだった。
心の中でご挨拶をして、最後に一礼する。ほかのみんなも終わっていて、星乃先輩が拝殿の前から退いたところだった。
「よいお参りでしたね」
すみれは、振り向いた。
巫女さんが箒を手に、こちらを見ている。
初めて御朱印帳を買った、蔵前の神社。両手で受け取ったすみれ色の表紙と、一緒に渡されたこの言葉。
四人で行った神社でも、同じ言葉を聞いた。あの時も顔を上げて、どこかで見たような、とほのかさんに話したのだった。けれど、似て見えただけだと思って、そのまま帰った。
すみれは、巫女さんのそばへ行った。
「あの……もしかして、以前にもお会いしましたか。蔵前と、それから、神奈川の神社で」
「おや。ようやく気づきました?」
あまりにもあっさり言われて、続けようとした言葉が止まった。
「やはり、同じ方だったんですね」
「ええ。御朱印帳、その後もお使いですか」
「はい。今日も持ってきています」
鞄を開けかけて、すみれは手を止めた。今、訊きたかったのはそのことではない。
「え、あの時の巫女さん?」
ほのかさんが隣へ来た。
「すみれちゃん、言ってたよね。あたし、似て見えるんじゃないって言っちゃったけど」
「気づいていただけて何よりです」
巫女さんはほのかさんにも笑いかける。奈々子先輩が案内板からこちらへ戻ってきて、そのあとをりあさんがついてきた。
「でも、どうして、こんなに違う場所にいらっしゃるんですか」
「派遣です」
「巫女さんの?」
「……巫女さんって、そういう派遣の仕組みがあるの?」
奈々子先輩が訊いた。
「少なくとも、私はこうして来ていますよ。いろいろなところへお邪魔しています」
ほのかさんは、納得しかけたような顔になった。奈々子先輩は、まだ巫女さんを見ている。
鳥居をくぐってきた参拝客は、巫女さんの緋色の袴へ一度目をやっただけだった。すみれたちが参道の端へ寄ると、そのまま横を通り、拝殿へ向かった。
「……でも、三回って、すごくない?」
「私もそう思います」
巫女さんが答えた。
知りたいことのすぐ横を、返事だけが通っていく。すみれは少し考え、鞄の口を閉じた。
「わたしのことは、覚えていらしたんですか」
「もちろん」
「では、そう言ってくださればよかったのに。わたし、ずっと気のせいだと思っていました」
言ってから、少し責めるような口調になったことに気づいた。けれど巫女さんは、困った様子もなく頷いている。
「まあ、こちらから始められないこともあるんですよ」
「どうしてですか」
「そういう決まりでして。私にも、いろいろあるんです」
何の決まりなのかは、分からなかった。尋ねれば、また「いろいろ」と返ってきそうな顔だった。
巫女さんは箒を脇へ寄せ、袖口をそろえるように両手を前で重ねると、すっと一礼した。
「東宮司命と申します。皆様、以後お見知りおきを」
「わたしは、蓮雀寺すみれです」
「はい。すみれさん」
「こいつ、人間じゃないぞ」
星乃先輩が、命さんを見ていた。
「え?」
命さんは、箒を脇へ寄せたままだった。
「まあ。初対面の女性に、なかなか失礼なことをおっしゃいますね」
「人間じゃないだろ」
「それはどうでしょう」
ほのかさんとりあさんが、そろって星乃先輩を見た。奈々子先輩は、命さんから目を離さない。
すみれは、命さんのほうを向いたままでいた。星乃先輩がこの言い方をするとき、冗談だったことは一度もない。
人間ではない。そう言われて、命さんは怒りもしなかった。三度も同じ場所に居合わせて、覚えていたと言って、決まりがあるのだと言った人だった。
「あの。……人間ではないとしたら、命さんは、神様なんですか」
訊いてから、ずいぶん失礼なことを言った気がした。けれど命さんは、袖口をそろえたまま目を細めた。
「あら。そんなに神秘的に見えますか? 嬉しいですね」
そうです、とも、違います、とも言われなかった。
すみれは、半歩だけ前へ出ていた。もし本当にそうなら、この人には訊いてみたいことがある。ずっと持っているのに、誰に訊けばいいのかも分からなかったことが。
「もし神様なら……この石のことも、何かご存じですか」
言いながら、胸元の紐を引いた。襟から出てきた丸みを、首にかけたまま手のひらへ載せる。
「母の形見で、ずっと持っているんですけれど……神社に来ると冷たくなったり、ときどき、温度が変わったりするんです。わたしにも、よく分かっていなくて」
「さあ。どうでしょう」
「……分からない、ともおっしゃらないんですね」
今度は、命さんのほうがすみれを見た。
答えを待った。箒の先についた葉が一枚、足元へ落ちる。命さんはそれを拾うことも、すみれから石を受け取ろうとすることもしなかった。
「すみれさんは、何を知りたいんですか」
「この石が、わたしに何かをしているのか。それとも、わたしにしてほしいことがあるのか……それを知りたいです」
命さんは訂正しなかった。
「訊いてみるのは、悪くないと思いますよ」
すみれは顔を上げた。今、訊いているところなのに、と思った。けれど命さんは、すみれの手のひらへ目を向けていた。
「この石に、ですか」
「試すかどうかは、お任せします」
命さんは笑って、箒を持ち直した。
「それでは、私は続きを。まだ、あちらが残っているので」
拝殿の裏手にも、落ち葉がたまっていた。
引き留めれば、まだ話してくれそうではあった。でも、何を訊けば答えてもらえるのか、すみれには分からなかった。
「……ありがとうございました」
頭を下げると、命さんも軽く会釈を返し、また掃き始めた。
名前は、教えてくれた。
石のことは、何も分からないままだった。
「……すっごい怪しいんだけど」
ほのかさんが、箒を動かす命さんを見ながら言った。
「ほっしー、人間じゃないって、どういうこと?」
りあさんが訊く。
「そのままだ。普通の人間じゃない」
「じゃあ何なん?」
「知らん」
「知らんの!?」
「私も白蛇様も、何でも分かるわけじゃない。私に分かるのは、あいつが普通の人間じゃないってことくらいだ」
「よー分からん……」
「私も分からん」
奈々子先輩が、すみれの手の中へ目を向けた。
「すみれ、どうする?」
すみれも石を見る。石は、まだ冷たい。今日、星乃先輩と歩いている間もずっとそうだったし、今も周りから感情が押し寄せてはこない。
「……一度、試してみます」
「じゃ、座ろ。すみれちゃん、こっち」
ほのかさんが木の下の長椅子へ向かう。すみれもみんなと一緒に移り、腰を下ろした。
◇
手を開くと、見慣れた丸みが出てきた。冷たいままだった。
この曲がったところを、何度撫でただろう。落とさないように紐を直して、着替える時には脇へよけて、熱くなれば布の上から押さえてきた。
「……わたし、あなたのことも、何も知りませんね」
口に出すと、思ったよりよく聞こえた。りあさんが顔を上げたが、すみれは手のひらを見たままにした。
細い紐が、石の穴を通っている。指の腹を丸みに沿わせる。
「聞こえていますか」
待ってみた。
すぐには何も変わらない。もう一度呼びかけようとして、口を閉じる。
どうやって答えるのかも、分からない。
石を握り込まず、指先だけを添える。首から垂れた紐が膝に触れている。ほのかさんが何かを言いかけた気がしたが、その声は続かなかった。
ふと、冷たさの奥に温もりが触れる。
熱い、と思うほどではない。指を離す間もない、ごく短い柔らかな温かさだった。
すみれは息を止める。手のひらから伝わっただけだろうか。確かめようと指を動かした時には、もう冷たくなっていた。
「……今のは、あなたですか」
誰も答えない。
すみれは石から指を離さず、待つ。
もう一度だけ、その丸みが、柔らかく温かくなった。




