これから知ります!
翌朝、着替えて廊下へ出ると、りあさんの声がした。
「後ろも可愛い。それ、リボン大きく結ぶやつですか」
「そう。ちょっと曲がってない?」
「あ、こっち長いかも。直していいですか」
食事の部屋のほうだった。すみれが廊下を曲がると、美由紀さんが背中を向けて立ち、りあさんがエプロンの紐を結び直していた。
白いブラウスに、えんじ色の袴のようなスカート。昨日の黒いメイド服とは違って、大正時代の喫茶店にいそうな格好だった。
「できた。うわ、あーしもこういうの着てみたい」
「りあちゃんにも似合いそうね」
「ここ、いいなあ。当主様も好きな格好してるし。可愛いって言ったら、普通に似合うって返ってくるの、好きです」
すみれは、開いている襖のところまで行った。
「おはようございます。美由紀さん、今日はそちらなんですね」
「おはよう、すみれ。昨日すみれや写真を見てたら、久しぶりに着たくなっちゃって。奥から出してきたの」
「……わたしですか」
「うん。たまには着てあげないとね」
すみれがまだスカートを見ている横で、りあさんが言った。
「分かります。あーしも、着たいから買ったのに、いつ着るんだろって服ある」
「今度ここへ来る時に着てきたら?」
「それ、いいですね。……でも今日のも、けっこう気に入ってるんですよ」
りあさんは、自分の服を見下ろした。
「ほっしーは昔のあーしのことばっか言うけどさ。髪も服も、自分でこうしたくてしたんだし。今のほうが好きなんよね」
ゲームばかりしていた、眼鏡のりあさん。星乃先輩に言われて困っていたことは、覚えている。
あの時は、どんな姿だったのだろうと思った。今の姿になるまでのことは、考えもしなかった。
「りあさんも、変わりたかったんですか」
「うん。可愛いなーって見てるだけじゃなくて、自分も着たかったんよ。スミレっちも、そうでしょ?」
昨日、自分が話したことだった。
すみれは頷きながら、府中のことを思い出していた。あの女の人が自分の口で話してくれるまで、すみれの知らなかったことがいくつもあった。届いていたのは、短い一言だけだった。
もう一度、りあさんを見る。
明るくて、近くて、すぐに名前を呼んでくれる。会った時から、そういう人なのだと思っていた。
その先を、すみれは訊いたことがなかった。
目の前にいるこの人について、答えられることは、ずいぶん少ない。
「……決めました。わたし、もっと皆さんのことを知ります!」
りあさんが顔を上げた。
「急になんなん。じゃあスミレっち、あーしの好きな食べ物、知ってる?」
食卓を見てしまった。まだ何も並んでいない。
「……これから知ります!」
りあさんが噴き出して、美由紀さんまで笑い始めた。
「では、何がお好きなんですか」
「えー、一個じゃ足りんよ。今度一緒に食べに行こ」
「はい。ぜひ」
美由紀さんが、重ねてあった小皿をすみれへ渡した。
「その前に朝ご飯ね。これ、並べてもらえる?」
「はい」
りあさんも箸を持ってついてきた。
◇
「何、朝から楽しそう」
ほのかさんが入ってきて、美由紀さんを見るなり「あ、今日も可愛い!」と言った。奈々子先輩も後ろから顔を出す。
「おはよう、すみれ」
「おはようございます。よく眠れましたか」
「うん。畳、久しぶりだった」
すみれが隣の座布団を少し寄せると、奈々子先輩はそこへ座った。
最後に星乃先輩が来て、全員が揃った。味噌汁をよそってもらいながら、ほのかさんがりあさんへ、もう荷物をまとめたのかと尋ねている。りあさんは、片づいているところといないところがある、と答えた。
「それ、終わってないってことでしょ」
「ほのっちは終わったん?」
「あたしも、あとちょっと」
二人のやり取りを聞きながらご飯を食べていると、星乃先輩が言った。
「帰る前に、寄りたいところがある」
「お酒は帰りにしてくださいね」
「酒じゃない。渡良瀬橋」
「昨日、星乃先輩が聞いていらした橋ですね」
「あの辺りに、歌に出てくる公衆電話もあるんだ。そっちも見てから帰る」
「ほっしーの聖地巡礼じゃん。いいけど、昨日あーしら、けっこう歩いたからね」
「途中で休憩しながら行こ。あたしも行きたい」
ほのかさんが言うと、りあさんも「それなら」と頷いた。
「すみれも行く?」
奈々子先輩に尋ねられた。
「はい。わたしも一緒に見たいです」
星乃先輩は、もうスマートフォンで何かを確かめていた。
◇
布団をたたみ、荷物をまとめると、座敷は昨日来た時と同じ広さに戻った。すみれは自分の部屋へ寄って、机に置いたままの浴衣を押し入れへ戻した。
玄関で靴を履き、当主様と美由紀さんへ頭を下げる。
「お世話になりました」
「また来てね。星乃くん、今度もゆっくり飲もう」
「ああ。いい酒だった」
「ご飯もすごく美味しかったです!」
ほのかさんが言うと、美由紀さんは「今度もお腹を空かせておいで」と笑った。
「すみれ。忘れ物、ない?」
「はい。見ました」
門を出て一度振り返ると、美由紀さんがエプロン姿で手を振っていた。すみれも手を振り、前を行く四人を追いかけた。
◇
川が見えてくる頃には、星乃先輩が先頭になっていた。
鉄の骨組みが、川の上にいくつも連なっている。その橋を見つけると、星乃先輩は立ち止まって、スマートフォンを横に構えた。
橋全体が入るところを探しているらしい。すみれは少し離れてみた。そこからなら、骨組みの端まで見える。
「星乃先輩、こちらなら全部入りそうです」
「お、ほんとだ」
星乃先輩は隣へ来て、写真を撮った。撮り終えたあとも、少しだけ橋を見ていた。
「じゃあ次、電話だっけ」
「ああ。こっちだ」
さっきまで画面で見ていた道を、今度はみんなで歩いていく。
◇
公衆電話は、通りに面したガラスのボックスの中にあった。
「これだ」
星乃先輩は、手元の画面と見比べてから、電話の前へ進んだ。すみれも覗いてみる。数字のボタンが並んでいて、受話器はきちんと戻されている。
「本当に普通の電話なんですね」
「何だと思ってたんだ」
「いえ。歌に出てくると聞いたので、もう少し何か……」
特別な形でもしていると思ったのだろうか。自分でも、何を想像していたのかうまく言えない。
奈々子先輩が、ガラス越しに電話を見た。
「使う人には、普通の電話だものね」
星乃先輩は、ボックスの少し横に立っていた。写真へ入れる範囲を確かめている。
「ほっしーも入んなよ。撮ったげる」
「電話を見に来たんだが」
「電話と撮るんだって。ほら、そのへん」
りあさんに言われて、星乃先輩は少し横へずれた。カメラへ向くと、いつものむっとしたような顔になる。
「星乃さん、さっきのほうが楽しそうだったよ」
「撮られる顔なんか知らん」
ほのかさんまで笑いだしたので、すみれもつられた。
りあさんはそこで写真を撮った。
「今の、いいじゃん。見て」
「……ああ」
差し出された画面を、すみれも一緒に覗いた。電話のそばに立った星乃先輩が、ほのかさんのほうを向いて笑いかけている。
「これ、送ってくれ」
「はいはい」
りあさんが操作をしている間も、星乃先輩はボックスを見ていた。
訊くなら、今だと思った。
「星乃先輩。その歌も、どなたかに教わったんですか」
「白蛇様だ」
「え、白蛇様って、歌とか聴くんですか?」
ほのかさんが、りあさんの手元から顔を上げた。
「こいつ……いや、白蛇様は、古い歌をいろいろ知ってる。村下孝蔵とか、ユーミンとか。これは森高千里だ」
「まじか。白蛇様って、もっと神様!って感じかと思ってた」
「……白蛇様、そういうものもお聴きになるのね」
「奈々子さん、そこ食いつくんだ」
すみれは、星乃先輩のほうへ向き直った。
「では、星乃先輩も、森高千里さんがお好きなんですか」
「今はな」
星乃先輩が、ボックスのガラスへ目を戻した。
「最初は教えられて聴いただけだ。何曲か聴いてるうちに好きになった」
「その歌、帰りに聴いてみたいです」
「ああ。聴かせる」
「あたしも聴こうかな。ここ見たし」
ほのかさんが加わると、星乃先輩は「じゃあ電車で」と言って、スマートフォンをしまった。
「神社にも寄ってくぞ。この先に小さいのがある」
「そこは、奈々子さんの番だね」
「うん。寄っていこう」
奈々子先輩が、ほのかさんに答える。その隣へりあさんが並んだ。
すみれも、二人のそばへ行った。
「りあさん。昨日の神社は、何がいちばんよかったですか」
「んー、ナナコ先輩に由来を聞いてた時間かな。お願いするのもいいけど、あーし、行くなら、そこがどんな場所かも知りたいんよね」
「そうだったんですか」
「なに、意外って顔してる」
していたと思う。お願いのほうだけを楽しむ人だと思っていた。
奈々子先輩が、少し笑った。
五人で歩いているうち、通りの先に木立が見えてきた。その間に、小さな鳥居が立っている。
「ほっしー、あれ?」
「ああ。あそこだ」
星乃先輩が歩みを速める。すみれも四人と一緒に、鳥居へ向かった。




