↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/42

特急りょうもうに乗って

 特急りょうもうは、浅草を出てすぐに川を渡った。


 網棚に、小さな旅行鞄が並んでいる。今夜は、屋敷に泊まることになっていた。


 この石について、当主様なら何か知っているかもしれない。そう考えて、足利へ行きたいと言い出したのはすみれである。奈々子先輩は少しだけ間を置いてから、「うん。行こうか」と答えた。行き先が足利だと知った星乃先輩は、珍しく二つ返事だった。ほのかさんには、りあさんが声をかけてくれている。


 初めは、五人で屋敷へ行くつもりでいた。


 ――みんなで押しかけるのは、迷惑じゃないかな。


 そう言ったのは奈々子先輩だった。りあさんの縁結びの相談も、学食で聞いた日からずっと残っている。奈々子先輩が向こうの神社を調べてきて、昼のあいだは二手に分かれることになった。夜には、二人も屋敷へ来る。


 そういうわけで、通路を挟んだ後ろの二人掛けには、奈々子先輩とりあさんが並んでいる。膝の上に、クリップで留めた紙の束が広げてあった。


「ナナコ先輩、これ山の上なん?」


「階段があるみたい。結構ある」


「先に言ってほしかったんよ。あーし今日サンダルだし」


「言ったでしょう」


「言われたけど、可愛いほうがいいじゃん」


 機織りの神様を祀っているところで、縁結びで知られているらしい。


 こちらは、背もたれを回して向かい合わせにした四席である。すみれとほのかさんが並んで、向かいに星乃先輩が腰を下ろしていた。


 星乃先輩が、鞄から缶を出す。


「星乃さん、また朝から」


「旅だ」


 それで済んでしまった。


「星乃先輩。この間のことを、ほのかさんへお話ししてもよろしいでしょうか」


「別に隠してない」


 缶を開ける音がした。


 浅草を出てから、すみれは星乃先輩の家であったことを、ほのかさんへ一通り話した。


「ん~~~」


 聞き終えてから、ほのかさんはずっと腕を組んで天井のほうを見上げている。


「……あたしって、いつの間にか異世界に迷い込んだりしてないよね?」


「はい。たぶん、現実です」


「たぶんって」


「……確かめる方法を、存じ上げませんので」


 ほのかさんが、組んだ腕をほどいた。


 窓の外を、線路沿いの家並みが流れていく。


 しばらく、何も言わなかった。


「……すみれちゃん」


「この間は、ごめんね」


 すみれは、隣を見た。


「あたしが競馬に誘ったから。行こうって言ったの、あたしだし」


「ほのかさんのせいでは、ありません」


「あの日、競馬場へ行ったのは、わたしが自分で決めたことです。……それに」


 あの日を思い出そうとして、最初に浮かんだのは馬だった。


 ほかの馬がまっすぐ前を向いて歩いていくなかで、一頭だけが首をゆっくり回して、柵の外に並んだ人を端から端まで見ていた。その目が、こちらで止まった。


 あんなに大きな目を、あんなに近くで見たのは初めてだった。


「わたしも、お馬さんに会えたのは楽しかったです」


 言ってから、別のものが浮かんだ。


 光の入る通路に立っていた、二人。


 胸の奥が、ちくりとした。


 名前も知らない。どこの人かも知らない。もう一度会って謝れる見込みは、どこにもない。


 あの日のすべてが嫌だったわけではない。


 馬たちが走り出したところまでは、覚えている。目で追っていたはずなのに、そのあとが残っていない。どの馬が先に入ったのかも、自分で選んだ一頭がどうなったのかも、思い出せなかった。


「また行きましょう、ほのかさん」


 ほのかさんが、こちらを見た。


「……え」


「今度は、最後まで見たいんです。馬たちが、ちゃんとゴールするところを」


 ほのかさんは、すぐには何も言わなかった。


 何度か瞬きをして、それから息を吸う。


「……ありがとう、すみれちゃん」


 少しだけ、声が湿っていた。


「なんとかしようね」


「はい。ほのかさんにも付き合っていただけて、心強いです」


 通路の向こうで、缶が肘掛けの上へ下りた。


「私も馬券買いたかったな」


 ほのかさんが笑った。


「じゃあ、星乃さんも来てくださいよ。今度は」


「気が向いたらな」


 ほのかさんの目が、すみれの襟元のあたりで止まった。


「思ったんだけどさ。その、勾玉……で合ってる? それって、やっぱりすみれちゃんの聞こえるのと関係してるんだよね」


「……おそらくは。ただ、まだ分かりません」


「それって、外したらどうにかなるものじゃないの?」


 すみれは、襟の上へ指を当てた。


「高校の頃、何度か外してみたことがあります。これが原因なら、外せば聞こえなくなるんじゃないかと思って。……でも、変わりませんでした。むしろ、外している方がひどかったです」


 それが何なのかは、今も分からない。


 ほのかさんが、向かいへ体を向けた。


「それって、外すと勾玉が怒るとか、そういうことなんですかね、星乃さん」


「さあな。そこまでは私にも分からん」


「その……白蛇様もいらっしゃるんですよね」


「いるぞ」


「白蛇様も、この勾玉のことは知らないんですか」


「知らん。こいつ……白蛇様だって万能じゃない」


 星乃先輩は、それきり何も言わなかった。


「……そうですか」


 ほのかさんが、通路の先や網棚のあたりへ、順に目をやる。


 いつもの電車の中と、何も変わらない。


「なんか、まだ変な感じするな」


 すみれは、少し気になっていたことを聞いた。


「りあさんからは、わたしや星乃先輩のことを、何も聞いていなかったのですか」


「『すみれちゃんと星乃さんに直接聞いて』って。それくらい」


「あ、でも」


 ほのかさんの口元が、少しだけ上がった。


「星乃さんが昔、中二病だったって話は聞いたんだよね」


「……おい、りあ」


「ほのっち、それ内緒だって!」


 ほのかさんが噴き出した。後ろでりあさんも笑っている。星乃先輩は缶を持ったまま、窓の外を睨むようにしていた。


 すみれの口からも、息が漏れた。


 奈々子先輩も、笑っていた。


 目が合った。


 ――と、思った。


 その視線は、すぐにりあさんの手元の紙へ戻っていた。


 気のせいだろうか。


 りあさんが身を戻して、隣の奈々子先輩を見る。それから、通路のこちら側をもう一度見て、何も言わずに紙へ目を落とした。


 窓の外は、いつのまにか、家より田のほうが多くなっている。


 刈ったあとの田が、続いていた。


     ◇


 改札を出ると、人の流れが急にまばらになった。


 駅前の通りの向こうに、低い山が並んでいる。高くはない。ただ、家の屋根のすぐ上から始まっている。


 その稜線の形を、すみれは知っていた。どこがへこんでいて、どこで一度だけ上がるか。名前は知らない。窓から、ずっと見えていただけの山である。


 奈々子先輩が、鞄を持ち直した。


「じゃあ、私たちはあっちから行くね。あとで連絡する」


「あーし、階段のぼれるか分かんないけど」


「のぼるの」


 りあさんが、こちらへ手を振った。


「スミレっち、いってらっしゃい。あとでお邪魔するね」


 その言い方が、なぜだかおかしかった。


「……いってきます」


 二人が、通りの先へ歩いていく。


 角の手前で、奈々子先輩が一度振り返って、手を上げた。


 すみれも、上げ返す。


 二人が、見えなくなった。


 夜には、屋敷で会える。


 それでも、奈々子先輩にも来てほしかった。


 そう思っている自分に、すみれは今、気づいた。


 ほのかさんが、隣へ来ていた。


「行こ」


 先に歩き出したのは、ほのかさんだった。


     ◇


 橋は、思っていたより長い。


 欄干の向こうで、川が広く光っていた。水は少なくて、中州のあたりだけ草が伸びている。


 星乃先輩が、途中で足を止めた。


「なあ。この橋が渡良瀬橋か?」


「いえ、違いますよ。奈々子先輩たちが行かれたほうが、渡良瀬橋です」


「……そうなのか」


 星乃先輩は、しばらく上流のほうを見ていた。


 それから、何も言わずに歩き出す。


 ほのかさんと、目が合った。


 どちらも、何も言わなかった。


 橋を渡りきると、道が細くなった。


「……そういえばさ」


 ほのかさんが、少し歩調を落とす。


「今は、あたしの声とかも聞こえてないんだよね?」


「はい。星乃先輩もいらっしゃいますし、今はほとんど」


「……じゃあ、今までは?」


 どきりとした。


 嘘は、つけない。


「……感情が聞こえたことは、あります。言葉ではなくて、気持ちのほうです」


「そっか。そうだよね」


 ほのかさんが、少し照れたように笑った。


「今さらだけど、ちょっと恥ずかしいな」


「……すみません」


「でも、すみれちゃんが聞こうとして聞いてるわけじゃないもんね」


「……ありがとうございます」


     ◇


 屋敷へ向かう途中で、すみれは道の端へ寄った。


 向かいの家には、昔、通るたびに吠える犬がいた。今はもう、いない。


 それでも、足は同じ側を選んでいる。


 白い塀が始まった。瓦を載せた長い塀が、道の先まで続いている。


 人と一緒にいることが苦しくなってから、この家に友達を連れてきたことはなかった。


「……ねえ。これ、まだ同じ家?」


「はい」


「……ここ、全部?」


「はい」


「豪邸すぎない?」


「……でかいな」


 門は、開いたままだった。


 くぐると、三人分の足音が砂利を鳴らした。


 玄関先では、着物に羽織を重ねた当主様が、箒で地面を掃いていた。


 こちらに気づいて、手が止まる。


 細い目が、いっそう細くなった。


「おかえり、すみれ」


 すみれは、鞄の持ち手を握り直した。


「……ただいま戻りました、当主様」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。