第8話 焼き菓子
「セレナ、これ」
差し出された箱を見て、セレナは嫌な予感がした。
「……今度は何ですの?」
「開けて」
数日前、同じように渡された箱から出てきたのは、とんでもなく高価な青い宝石だった。
恐る恐る蓋を開ける。
「…………」
宝石ではない。
小さな花の形をした焼き菓子が、三つ並んでいた。
ふわりと甘い香りがする。
「バニラ……?」
見覚えがあった。
三日前、王妃の研究室で出されたものだ。
◇
その日も、研究室は騒がしかった。
「ルシアン様!」
棚へ伸びていた小さな手を、セレナが慌てて捕まえる。
「見るだけ」
「昨日も同じことをおっしゃいました!」
「今日はほんとに見るだけ」
「昨日は?」
「触った」
「ほら!」
ルシアンが逃げる。
セレナが追う。
四歳児は意外と速い。
「母上!」
「私を盾にしないの」
王妃の後ろへ逃げ込んだルシアンを捕まえようとして、セレナは足を止めた。
笑い声が聞こえた。
アルベルトだった。
「アル! 笑っていないで捕まえてくださいませ!」
アルベルトは立ち上がった。
逃げようとしたルシアンの襟を、あっさり捕まえる。
「にいさま、裏切り者!」
「セレナに言われたから」
王妃まで笑い出した。
「もう。お茶にしましょう」
研究机の一角が片づけられ、茶器が運ばれてくる。
一緒に並んだ皿を見て、ルシアンがすぐに身を乗り出した。
「お花!」
花の形をした、小さな焼き菓子。
今度こそ手を伸ばそうとしたルシアンを、セレナが止める。
「手」
「さっき洗ったよ」
「そのあと床に手をついていました」
「見てたの?」
「見ています!」
ルシアンはしぶしぶ手を引っ込めた。
その隙に、セレナが一つ取る。
さくり。
口の中で軽く崩れた。
「あ……」
甘い香りが、ふわりと鼻へ抜ける。
もう一口。
「バニラですの?」
「ええ。料理長が試しに作ったそうよ」
王妃が紅茶を注ぎながら答えた。
セレナは残った半分を口に入れる。
好きだ。
甘さよりも、あとに残る香りがいい。
「わたくし、バニラの香りが好きですわ」
二つ目へ手を伸ばした。
向かいから視線を感じる。
顔を上げると、アルベルトと目が合った。
アルベルトも一つ取った。
一口。
眉が寄る。
「甘い」
「お菓子ですもの」
セレナは笑って、三つ目を取った。
「洗った!」
そこへルシアンが戻ってくる。
両手を高く上げている。
「今度はどこにも触ってない!」
「偉いですわ」
「お花!」
「はいはい」
焼き菓子を渡す。
一口食べたルシアンが、ぱっと笑った。
◇
そして三日後。
目の前に、同じ焼き菓子が三つある。
セレナは箱とアルベルトを交互に見た。
「これ……」
「うん」
「どうして?」
「三つ食べてたから」
それだけだった。
セレナはもう一度、箱を見る。
三つ。
きちんと並んでいる。
少しだけ、おかしくなった。
「なんで笑うの?」
「いいえ」
「嬉しくない?」
「嬉しいですわ」
「ほんと?」
「ええ」
今度は迷わず答えられた。
アルベルトがじっと顔を見る。
先日の宝石のときと同じだ。
けれど今日は、
「嘘」
とは言われなかった。
代わりにアルベルトが、少しだけ笑った。
それを見て、セレナもまた笑う。
「ありがとうございます、アル」
箱を閉じる。
「食べないの?」
「あとでいただきます」
「好きなのに?」
「好きだからです」
「?」
分からないらしい。
それでいい。
セレナは箱を胸元へ抱えた。
「行きましょう」
「うん」
二人で廊下を歩く。
しばらくして、セレナは箱を開いた。
三つある。
閉じる。
また歩く。
少しして、もう一度開いた。
「セレナ」
「はい?」
「さっきから何してるの?」
ぱたりと閉じる。
「……別に」
「ふうん」
数歩進む。
「嬉しい?」
また聞かれた。
セレナは箱を抱え直す。
今度は少し考えてから答えた。
「とても」
隣を見る。
アルベルトは前を向いたままだった。
けれど。
繋いでいた手が、少しだけ強く握り返された。




