第7話 宝石
うさぎの一件から、数ヶ月が経った。
セレナとアルベルトは七歳になった。
アルベルトは以前より少しだけ変わった。
「セレナ」
「なんですの?」
「これ、切っていい?」
セレナは読んでいた本から顔を上げた。
アルベルトが指しているのは、窓辺に置かれた鉢植えだった。
王妃が育てている薬草だ。
「何のために?」
「茎の中を見たい」
「王妃様の許可はいただきましたの?」
「もらってない」
「では、駄目です」
「そう」
アルベルトはあっさり手を引いた。
セレナは思わず、その横顔を見る。
以前なら、ここからだった。
どうして駄目なのか。
一本くらいいいのではないか。
なくなったところで、誰が困るのか。
セレナが答えに詰まるまで、いくらでも聞いてきた。
けれど最近は、ときどき尋ねる。
『セレナは嫌?』
そしてセレナが頷けば、やめる。
どうして駄目なのか、分かったわけではないらしい。
それでも今は、十分だった。
「セレナ」
「はい?」
「これ、あげる」
どん、と目の前に箱が置かれた。
「……なんですの?」
「セレナの」
「まだ何も伺っておりません」
「開けて」
アルベルトが箱をこちらへ押す。
ずいぶん立派な箱だった。
深い紺色の布張りで、蓋には王家の紋章まで入っている。
嫌な予感がする。
「アルベルト様。これは本当に、わたくしが開けてよいものですの?」
「うん」
「王妃様には?」
「言ってない」
ますます嫌な予感しかしない。
それでもアルベルトは、早くと言わんばかりにこちらを見ている。
セレナは恐る恐る蓋を開けた。
「…………」
閉じた。
「どうして閉じるの?」
「見なかったことにしようかと思いまして」
「なんで?」
「なんでではありません!」
もう一度、ほんの少しだけ蓋を開ける。
やはり入っている。
大粒の青い宝石。
深い海のような青。
周囲には細かな透明の石がいくつも散りばめられている。
どう考えても、七歳の少女が気軽にもらっていいものではない。
セレナはそっと蓋を閉じた。
「アルベルト様」
「アルでいいよ」
「……はい?」
「アル」
アルベルトが自分を指さした。
「そう呼んで」
「どうしてですの?」
「長いから」
「アルベルト様のお名前が?」
「うん」
「今まで何もおっしゃらなかったではありませんか」
「今、そう思った」
ずいぶん勝手な話だった。
「それより、この宝石は――」
「呼んで」
「……アルベルト様」
「アル」
「もう!」
セレナは根負けした。
「では、アル。これはどちらからいただいたものですの?」
「昨日」
返事が、妙に機嫌よく聞こえた。
「どなたに?」
「知らない」
「知らない方からいただいた宝石を、わたくしに渡さないでくださいませ!」
アルベルトが瞬きをした。
「怒ってる?」
「怒っています!」
「……でも、アルって呼んだ」
「今はそこではありません!」
「そう?」
「そうです!」
どことなく嬉しそうなのが、さらに腹立たしい。
「父上に会いに来た人からもらった」
「でしたら、なおさら勝手に人へ差し上げてはいけません!」
「でも、僕がもらったんだよ」
「そうですけれど……」
「僕のものなら、セレナにあげてもいいでしょう?」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
けれど、問題はそこではない。
「どうして、わたくしに?」
「いらないから」
「いらないものをわたくしにくださるんですの?」
アルベルトが眉を寄せた。
「違うよ」
「何がです?」
「僕はいらないけど、セレナは喜ぶと思った」
セレナの言葉が止まる。
「……わたくしが?」
「うん」
アルベルトは箱を指差した。
「女の子は宝石をもらうと喜ぶんでしょう?」
「誰がおっしゃったんですの?」
「誰か」
「誰ですの?」
「覚えてない」
「もう……」
セレナはため息をついた。
それでも、もう一度箱を開く。
綺麗な宝石ではある。
光を受けた青い石が、きらきらと輝いていた。
アルベルトなりに、自分が喜ぶと思って持ってきてくれたのだ。
それなら、突き返すのも違う気がした。
「……ありがとうございます」
笑ってみせる。
「とても綺麗ですわ」
返事がない。
「アル?」
顔を上げる。
アルベルトが、じっとこちらを見ていた。
「……なんですの?」
「嬉しくない?」
「え?」
「嬉しくないでしょう」
「嬉しいですわよ」
「嘘」
即答された。
「嘘ではありません!」
「嘘だよ」
「どうしてそう思いますの?」
アルベルトは少し考えた。
「笑ってるけど、違う」
「何が違いますの?」
「分からない」
「分からないのに、嘘だとおっしゃるの?」
「うん」
あまりにも堂々と言うので、セレナは呆れてしまう。
けれど、アルベルトは真面目だった。
「本当に嬉しいときは、最初に僕を見るでしょう?」
「……そうでした?」
「うん。今は宝石を見てた」
セレナは何も言えなくなった。
うさぎが苦しんでいても、自分は痛くないと言った子だ。
それなのに。
どうして、セレナのこんな小さな違いには気づくのだろう。
「宝石、嫌い?」
「いいえ」
「じゃあ、何がいい?」
「何、と言われましても……」
「宝石じゃないなら、何?」
アルベルトが椅子ごと近づいてくる。
「セレナが嬉しいもの」
「そんなにすぐには思いつきませんわ」
「考えて」
「なぜ、わたくしが考えるんですの」
「僕が分からないから」
「でしたら、無理に贈り物をしなくてもよろしいでしょう?」
「嫌」
「どうして?」
「喜ばせたいから」
あまりにも普通に言われた。
セレナは瞬きをする。
セレナは急に落ち着かなくなって、箱の中へ視線を逃がした。
青い宝石がきらきらしている。
先ほどまであんなに困っていたのに。
なぜか今は、その輝きをまともに見ていられない。
「贈り物というものは……高価であれば喜ばれるわけではありませんの」
「じゃあ?」
「その方が何を好きなのか、考えるんです」
「どうやって?」
「普段から見ていれば、少しずつ分かりますわ」
アルベルトが黙った。
「…………」
「…………」
緑色の瞳が、まっすぐセレナを見ている。
「……アル?」
「見てる」
「じーっと見つめるという意味ではありません!」
「違うの?」
「違います!」
「難しいね」
アルベルトが首を傾げる。
「すぐに分からなくてもよいのです。お話ししたり、一緒に過ごしたりするうちに分かっていくものですわ」
「一緒にいたら分かる?」
「たぶん」
「じゃあ、いっぱい一緒にいる」
「……そこからですの?」
「うん」
本人は至って真面目らしい。
アルベルトは宝石の箱を抱えた。
「これは母上に返す」
「そうしてくださいませ」
「次はちゃんと選ぶ」
「無理をなさらなくてもよろしいのですよ」
「する」
「どうしてそこまで――」
「喜ばせたいから」
また同じことを言う。
本人は、何でもないことのような顔をしていた。
「……期待しておりますわ」
「うん」
アルベルトが扉へ向かう。
けれど、開ける直前で振り返った。
「セレナ」
「なんですの?」
「もう一回」
「何をです?」
「アルって呼んで」
セレナは少し迷った。
たった二文字。
それなのに、先ほどより呼びにくくなっている気がする。
「……アル」
アルベルトが笑った。
宝石を渡したときより、ずっと嬉しそうに。
「また明日」
扉が閉まった。
セレナはしばらくそこを見つめていた。
人を喜ばせる方法が分からないと言っていたくせに。
「……ずるいですわ」
今度は、ちゃんと笑ってしまった。




