第24話 家族になりたい
アルベルトが王太子ではなくなることが、正式に決まった。
第一継承権は、アルベルトからルシアンへ。
生まれたときから決められていた未来を、アルベルトは自分の意思で変えた。
あの日、馬車の中で聞いた言葉を思い出す。
――僕より、あいつの方がいい。
弱気になったわけでも、逃げたわけでもない。
自分で考えて、自分で選んだのだ。
そのことが、セレナにはどこか誇らしかった。
◇
「ルー、まだ怒ってた」
「やはり」
その日の帰り。
二人はいつもの薬草園を歩いていた。
六歳の頃から、何度歩いたか分からない道だ。
「王位を押しつけられたって」
「間違ってはいませんわね」
「ちゃんと本人も納得したんだけどな」
「納得することと、腹が立つことは別でしょう?」
「そういうもの?」
「そういうものです」
アルベルトは少し考えてから頷いた。
「今度、何か持って謝りに行こうかな」
「甘いものがよろしいのでは?」
「一緒に選んでくれる?」
「もちろん」
「……そっか」
アルベルトの口元が緩む。
「何です?」
「何でもない」
そう言いながら、嬉しそうだった。
「それより、アル」
「うん?」
「王太子ではなくなって、何か変わりました?」
アルベルトは少し考えた。
「まだ、よく分からない」
「そうですか」
「でも、今朝は変な感じだった」
「変?」
「起きたときに、今日から王になるためじゃなくて、自分のために生きるんだなって思った」
セレナは隣を歩くアルベルトを見る。
生まれたときから王になることが決められていた人。
その未来が、初めて白紙になった。
「それで、何をしたいと思いましたの?」
「セレナに会いたい」
「……」
あまりに迷いなく返ってきて、セレナは瞬いた。
「それは昨日も会ったでしょう」
「うん」
「一昨日も」
「会ったね」
「では、ほかには?」
アルベルトは少し考えた。
「明日も会いたい」
「……ほかに」
「明後日も」
「アル」
「その次もかな」
何でもないことのように言う。
セレナは、しばらくその横顔を見ていた。
明日も。
明後日も。
その次も。
アルベルトは当然のように、自分の未来にセレナを置いている。
けれど。
それはセレナも同じだった。
王太子でなくなったあとの人生を、一緒に考えるつもりでいた。
来年も、その次も。
この人と一緒にいるつもりだった。
それなら。
「アル」
「何?」
「では、結婚しましょうか」
アルベルトの足が止まった。
セレナは二歩ほど進んでから振り返る。
珍しく、何も言わない。
「アル?」
「……僕と?」
「ほかに誰がおりますの」
「いや……」
アルベルトが瞬きをする。
それから、ゆっくりと口元が緩んだ。
「まだ婚約もしてないのに?」
「何か問題でも?」
「ないよ」
即答だった。
そして、とうとう隠しきれなくなったように笑った。
「ただ、順番ってあるのかと思ってた」
「今さらでしょう」
「まあ、そうだね」
六歳の頃、一度は婚約者になるはずだった。
けれど、婚約しないと決めた。
それから十一年。
婚約者でもないのに、ずっと一緒にいた。
本を読んだ。
王妃の研究を手伝った。
ルシアンと遊んだ。
喧嘩もした。
病を乗り越えた。
分からないことがあれば、アルベルトはセレナを探した。
怖いときには、セレナもアルベルトを頼った。
いつからだったのだろう。
未来を考えるとき、そこに相手がいることを当たり前だと思うようになったのは。
セレナにも分からない。
ただ。
今なら、分かる。
「アル」
「うん」
「わたくし、あなたと家族になりたいですわ」
アルベルトの笑顔が消えた。
「……アル?」
返事がない。
しばらくセレナを見つめていたアルベルトが、ふいに顔を逸らした。
「今、たぶん泣く」
「え?」
「嬉しくて」
セレナの胸が、ぎゅっとなる。
アルベルトは片手で目元を押さえた。
セレナは何も言わず、そのまま待った。
やがてアルベルトが顔を上げる。
目元は、少し赤い。
「それって」
「はい?」
「王太子じゃなくなった僕と?」
セレナは眉を寄せた。
「ほかにどのアルと結婚しますの?」
アルベルトが黙った。
ああ、とセレナは思う。
この人は確かめたいのだ。
王太子ではなく。
昔、婚約者になるはずだった相手でもなく。
アルベルト自身を、自分が選んだのか。
セレナは手を伸ばした。
アルベルトの手を取る。
「わたくしが結婚したいのは」
その手を握る。
「アルです」
アルベルトが動かなくなった。
「……もう一回」
セレナは少し笑った。
「わたくしは、アルと結婚したいです」
「もう一回」
「何度でも言わせるおつもり?」
「駄目?」
「いいですわよ」
セレナは繋いだ手を握り直した。
「何度でも」
そして、自分から一歩近づく。
「わたくしは、アルと結婚したい」
まっすぐ、その目を見る。
「アルがいいんです」
繋いだ手に、ぎゅっと力が入った。
「……セレナ」
「はい?」
「嬉しい」
目元が、また少し赤くなる。
セレナは笑った。
アルベルトが笑った。
「僕も、セレナと結婚したい」
今度は、セレナの胸が跳ねる。
「ずっと、したかった」
「……ずっと?」
「うん」
「いつからですの?」
アルベルトは少し考えた。
「分からない」
「分からないんですの?」
「うん」
いつからそう思っていたのか。
どこから始まったのか。
今となっては、うまく分けられなかった。
「気づいたときには、セレナと結婚したかった」
「そんなに前から?」
「うん」
アルベルトは笑った。
「ずっと、この時を待ってた」
セレナが目を瞬く。
「大げさですわ」
「そうかな」
「そうですわよ」
アルベルトは答えず、繋いだ手を見た。
それから、少しだけ握る力を強くする。
「でも、待っててよかった」
アルベルトはセレナを見る。
「セレナから言ってくれたから」
その笑顔を見て、セレナの胸がまた跳ねた。
「……よく待てましたわね」
「うん」
アルベルトが少し頭を下げる。
セレナは思わず笑った。
褒めてほしいときの、いつもの癖。
ふわふわした金髪に手を置いて、ゆっくり撫でる。
アルベルトは気持ちよさそうに目を細めた。
「満足?」
「もうちょっと」
「仕方ありませんわね」
もう一度。
今度は少し長く撫でる。
十七歳になっても、こういうところは変わらない。
けれど。
手を下ろそうとしたところで、アルベルトに捕まえられた。
「アル?」
そのまま指が絡む。
いつものように触れているだけのはずなのに。
今日は、それだけで妙に落ち着かない。
「……今日はよく手を繋ぎますのね」
「だめなの?」
「だめとは言っていませんわ」
「じゃあ、このまま」
アルベルトが歩き出す。
セレナもその隣を歩いた。
「セレナ」
「何です?」
「結婚するんだね」
「先ほどからそう言っていますでしょう」
「うん」
また嬉しそうに笑う。
「何度確認するおつもり?」
「何度でも」
先ほど自分が言った言葉を返されて、セレナは黙った。
「……ずるいですわ」
「そう?」
アルベルトは楽しそうに笑っている。
セレナも、繋いだ手を離そうとは思わなかった。
◇
薬草園を出る頃には、夕暮れの色が濃くなっていた。
指は、まだ絡んだまま。
「セレナ」
「はい?」
「明日も来る?」
「来ますわよ」
「明後日は?」
「来ます」
「その次は?」
セレナは笑った。
昔から、この人は変わらない。
明日も。
明後日も。
その次も。
ずっと、セレナの隣を欲しがる。
「その次も」
アルベルトの目が細くなる。
「ずっと?」
数日前なら、答えられなかった。
けれど今は。
セレナは繋いだ手を握り返した。
「ええ」
アルベルトを見上げて、笑う。
「ずっとですわ」




