第21話 レオン
母の熱が下がってから、五日が経った。
王都で新たに症状を訴える者は、目に見えて減っていた。
医療院にも空きが戻り始め、臨時の施療所として使っていた宿も、数日後には閉じられるという。
「第三便、これで全部ね」
王妃が帳簿を閉じた。
「ヴァレン商会には随分助けられたわ」
「はい」
必要な薬草を、必要なときに。
あの第一便が一日遅れていたら、いくつかの医療院では薬が尽きていた。
「正式にお礼をしないと」
「僕が行くよ」
アルベルトが答えた。
「わたくしも参ります」
「……セレナも?」
「薬草について、直接伺いたいことがありますの」
アルベルトの眉が寄る。
「前に言ったでしょう」
「女性関係の噂があって、距離も近い方?」
「うん」
「お仕事ですわ」
「分かってるけど」
「それに」
セレナはアルベルトを見た。
「アル以上に距離の近い方なんて、そうそういらっしゃらないでしょう?」
アルベルトが黙る。
「……僕はいいの」
「なぜです?」
「僕だから」
「またそれですの?」
「だめなの?」
「いいですけど」
途端に機嫌が直った。
分かりやすい。
「では、決まりですわね」
「それとこれとは別なんだけどな」
まだ何か言っていたけれど、セレナは帳簿を閉じた。
◇
ヴァレン商会の王都支店は、商業区の中心にあった。
馬車を降りたセレナは、目の前の建物を見上げた。
「大きいですわね」
「北部の本店は、もっと大きいらしいよ」
「行ったことは?」
「ない」
「では、いつか見てみたいですわ」
「……誰と?」
セレナは隣を見る。
「なぜそこが気になりますの?」
「気になるから」
「お仕事なら、どなたとでも行くでしょう?」
「嫌だな」
「まだ何も決まっていませんわよ」
アルベルトは納得していない顔のまま、セレナの隣を歩いていた。
少し長くなった金髪は、今日も整髪料を使っていないらしい。風が吹くたび、柔らかく揺れている。
「アル、髪が乱れていますわよ」
「じゃあ直して」
当然のように頭を下げてくる。
「ここで?」
「うん」
仕方なく、額に落ちた髪を指で軽く整える。
アルベルトはされるがまま、気持ちよさそうに目を細めた。
「はい。これで――」
「王太子殿下」
声がかかった。
商会の者がこちらへ歩いてくる。
「お待ちしておりました」
アルベルトが顔を上げた。
「本日は急な申し出にもかかわらず、お時間をいただき感謝します」
セレナは瞬いた。
声も。
立ち方も。
表情も。
つい先ほどまで頭を差し出していた男とは思えない。
王太子アルベルトが、そこにいた。
◇
案内されたのは、二階の応接室だった。
扉が開く。
窓辺にいた男が振り返った。
黒に近い髪。
青みがかった灰色の瞳。
背が高く、整った顔立ちには華やかさがある。
けれど、笑っているのにどこか隙がない。
男は二人の前まで来ると、丁寧に礼を取った。
「お初にお目にかかります。ヴァレン商会のレオンと申します」
「アルベルト・エルグランです。先日は急な依頼にもかかわらず、ご対応いただき感謝します」
「お役に立てたのでしたら何よりです」
アルベルトも穏やかに微笑む。
セレナは二人を見比べた。
数日前、あれだけ会わせたくないと言っていたのに、その片鱗すら見せない。
「セレナ・アルヴェールです。このたびは本当にありがとうございました」
レオンの視線がセレナへ移った。
「こちらこそ、お会いできて光栄です」
柔らかな笑顔だった。
なるほど。
女性に好かれそうな方だ。
セレナはそんなことを思いながら席についた。
◇
けれど、話が始まると、そんな印象はすぐに頭から消えた。
「第一便はこちらで仕分けてくださったんですの?」
「ええ。王都に着いてから積み替えるより、そのまま各医療院へ運んだ方が早い」
「こちらの薬草は北西部から?」
「よく分かりましたね」
「普段使っているものと、少し香りが違いましたから」
レオンが明細を引き寄せた。
「南部から運べば街道を通る。今回は避けた方がいいと判断しました」
「病の広がりを考えて?」
「荷より、それを運ぶ人間の方が問題でしょう」
「なるほど……」
一つ尋ねれば、欲しいところまで答えが返ってくる。
話が早い。
「今後も備蓄するのでしたら、こちらは減らしていいでしょう」
「なぜです?」
「保存期間が短い。それより――」
レオンが身を寄せ、明細の別の箇所を指した。
「こちらを増やした方がいい」
近い。
セレナはちらりと向かいを見る。
アルベルトは静かに二人を見ていた。
表情は変わらない。
――距離が近いんだよ。
確かに。
けれど。
研究室では肩に頭を乗せる。
後ろから抱きつく。
膝に転がってくる。
耳まで噛む。
やっぱり、アルの方が近い。
「どうかなさいましたか?」
レオンに尋ねられた。
「いいえ。続きをお願いします」
「では、こちらですが――」
セレナは再び明細へ目を落とした。
◇
「ずいぶん長くお引き留めしてしまいました」
話が一段落し、セレナは帳簿を閉じた。
「こちらも有意義な時間でした」
「ありがとうございます」
立ち上がったとき、窓辺の白い花が目に入った。
小さな花瓶に、月白草が数輪挿してある。
「月白草ですのね」
レオンもそちらを見る。
「月白草がお好きなんですか」
「ええ。好きですわ」
セレナは花のそばへ寄った。
「北では、もう少し遅く咲くのでしょう?」
「気温が低いですから」
「ええ。それに、夕方になると香りが強くなりますでしょう?」
「よく知っていますね」
「試したことがありますの。王妃様の研究室で」
セレナは月白草へ少し顔を寄せた。
「昼間はほとんど分からないのに、日が傾くと甘くなるんです」
窓の外を見る。
「今日はまだ少し早いですわね」
「そうですね」
レオンも窓の外へ目を向けた。
それから、花瓶へ手を伸ばす。
一輪抜いた。
「では、どうぞ」
セレナへ差し出される。
「わたくしに?」
「帰る頃には、ちょうどいいでしょう」
セレナは差し出された月白草を見た。
少し迷ってから、受け取る。
「ありがとうございます」
「いえ」
レオンはそれ以上何も言わなかった。
セレナの反応を探ることもなく、アルベルトへ向き直る。
「王太子殿下。本日はわざわざ足をお運びいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。今後も必要があれば、ご相談させていただきます」
「もちろんです」
最後まで、穏やかな会話だった。
セレナは手の中の月白草を見る。
白い花弁が、窓から入る風に小さく揺れた。
向かいに立つアルベルトは、何も言わなかった。




