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私を処刑した王子を6歳から矯正してみます  作者: すなな


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第2話 嫌われることにしました

王宮へ向かう馬車の中で、セレナは最悪の気分だった。

窓の外には、朝の街並みが流れている。

石畳を行き交う馬車。店先に品物を並べる商人。母親に手を引かれて歩く子ども。

どれも懐かしいはずなのに、今は眺める余裕などなかった。


「セレナ、背中」


向かいに座る母に言われ、セレナは渋々背筋を伸ばした。


「……はい」

「今日はどうしたの? 朝からずいぶん元気がないわね」

「少し、緊張しているだけですわ」

「あら。あんなに楽しみにしていたのに」

 

その言葉に、セレナは曖昧に笑った。

そうだった。

前の自分は、今日という日を楽しみにしていた。

王太子アルベルトとの、初めてのお茶会。

この日のために何度も礼の練習をした。

歩き方も、座り方も、カップの持ち方も。

何を聞かれても困らないように、王家の歴史まで覚えた。

選んだドレスに似合うよう、髪を整える時間にも随分とかけた。

――王太子殿下に気に入っていただかなくては。

六歳のセレナは、本気でそう思っていた。

そして実際、この顔合わせのあとに婚約が決まった。


そこから始まった。

王太子妃になるための勉強。

アルベルトに相応しい令嬢になるための努力。

完璧な婚約者であろうとした十数年。

その先にあったのが、あの処刑台だった。

セレナは膝の上で拳を握った。


だったら。

今回は、逆のことをすればいい。

まだ婚約は決まっていない。


今日の自分を見て、王家が思えばいいのだ。

こんな娘を王太子妃にはできない、と。

――嫌われよう。

そうすれば、アルベルトと婚約せずに済む。

婚約しなければ、リリアとのことに巻き込まれることもない。

処刑される未来からも逃げられる。

なんて簡単なことだったのだろう。

セレナは少しだけ気分が軽くなった。


「セレナ」

「はい?」

「背中」

 

いつの間にか、また丸まっていた。


「……これくらいでよろしいのでは?」


母が目を丸くした。

セレナは窓の外へ顔を向ける。

まずは姿勢から。

王太子妃失格への、記念すべき第一歩である。

 




王宮は、記憶の中と何一つ変わっていなかった。

白い石造りの壁。

高い天井。

磨き上げられた床には、窓から差し込む光が映り込んでいる。

前の人生では、数え切れないほど歩いた場所だった。

けれど六歳の身体で見ると、すべてが異様に大きい。

扉も、柱も、窓も。

ここで十数年を過ごすことになるなんて、この頃の自分は知らなかった。


いや。

今回は、過ごさない。

案内された先は、庭に面した小さな応接室だった。

大きな窓の向こうに、淡い色の花が揺れている。

中央には丸いテーブル。

その向こうに王妃がいた。

そして、その隣。

セレナの足が、一瞬だけ止まった。

薄い金色の髪。

窓から差し込む光を受けて、絹糸のように淡く輝いている。

その下にあるのは、澄んだ緑色の瞳。

まだ頬には幼さが残っているのに、背筋はまっすぐに伸びていた。

小さな手はきちんと膝の上に置かれている。

静かだった。

六歳の子どもとは思えないほどに。


――アルベルト。


喉の奥がひどく乾いた。

もちろん、違う。

処刑台で最後に見た青年とは似ても似つかない。

身体も小さい。

声だって、きっと違う。

それなのに。

目元に面影があった。

あの緑色の瞳を、セレナは知っている。

セレナは無意識に指先を握りしめた。


「セレナ」


母の声で我に返る。

いけない。

今日は怖がりに来たのではない。

嫌われに来たのだ。

セレナは息を吸った。

前の人生なら、ここで完璧な礼をしていた。

何度も練習した。

今だって身体が覚えている。

だからこそ、わざと崩した。


「セレナ・アルヴェールです」


にこり。

それだけ。

母の気配が固まった。

王妃がわずかに目を見開く。

侍女たちの間にも、小さなざわめきが走った。

セレナは内心で拳を握った。


――よし。

第一関門突破。

ちらりとアルベルトを見る。

怒っているだろうか。

失礼な娘だと呆れただろうか。

しかし。

アルベルトは何も言わなかった。

ただ、じっとセレナを見ている。

感情の読めない緑色の瞳で。

――何を考えているの、この人。

その視線に居心地の悪さを感じながら、セレナは席についた。

やがて菓子が運ばれてくる。

焼き菓子に、小さなタルト。

砂糖をまとった果実。

そして中央には、ふわふわのクリームが挟まれた菓子が並んでいた。

前の人生なら、王妃が手をつけるまで待った。

王太子より先に取るなど、考えもしなかった。

セレナは迷わず手を伸ばした。

一番大きなものを取る。

母が息を呑んだ。

王妃も目を丸くした。


――いい。

とてもいい。

これなら確実に、はしたない娘だと思われる。

満足して菓子を一口かじった。

甘い。

思っていた以上においしかった。

もう一口食べようとしたところで、正面から視線を感じた。

アルベルトだった。

じっとこちらを見ている。

セレナは菓子を持ったまま固まった。

何か言われる。

そう身構えた。


「もっと怖い人かと思ってた」

「……はい?」


あまりに予想外で、素の声が出た。


「アルベルト」

 

王妃がすぐに窘める。

ところが本人は、なぜ名前を呼ばれたのか分からないらしい。


「何?」

「初対面のご令嬢に言う言葉ではありません」


アルベルトは少し考えた。


「でも、本当にそう思ったから」

「思ったことをすべて口にしていいわけではありません」

「どうして?」

 

王妃が黙った。

ほんの一瞬だけ、遠い目をしたような気がした。

セレナも菓子を持ったまま、アルベルトを見る。


――こんな子だった?

記憶の中のアルベルトは、いつだって完璧だった。

礼儀正しく、冷静で。

言葉を選び、感情を表に出さない。

人前で失言するところなど見たことがない。

それが目の前では、王妃に叱られている。

しかも叱られた理由すら理解していない。

怖いというより。

――変。

セレナは眉を寄せた。


「怖いとは、どういう意味ですの?」


聞かずにはいられなかった。


「わたくしのどこが怖そうだったのです?」

「会う前の話だよ」

「ですから、どうして?」


アルベルトは特に迷う様子もなく答えた。


「みんなが、君は王太子妃になるためにすごく勉強してるって言ってたから」

「……それで?」

「僕に気に入られたい人なのかと思った」


ぐさり、と何かが刺さった。

まさにその通りだった。

前の人生の自分は、今日のために必死で準備した。

アルベルトに気に入ってもらいたかった。

王家にも、公爵家にも、誰にも失望されたくなかった。


「だから、面倒そうだと思ってた」

「…………」

「アルベルト」


二度目だった。

今度は王妃の声が少し低い。

けれどセレナは怒ることができなかった。

胸の奥に、妙な引っかかりが残った。

前の人生でも。

アルベルトは、そんなふうに自分を見ていたのだろうか。

完璧であろうとすればするほど。

面倒な人だと。


セレナは手元の菓子を見る。

少しだけ、苦くなった気がした。

だが。

今は落ち込んでいる場合ではない。

むしろ好都合ではないか。

セレナは残りを食べ終えると、二つ目の菓子へ手を伸ばした。

アルベルトの視線が動く。

さらに三つ目。

王妃が口元に手を当てた。

笑いを堪えているようにも見える。


「わたくし、お菓子が大好きですの」


胸を張って宣言する。

さあ。

どうだ。

王太子妃候補として、かなりはしたないのではないか。


「そう」


終わった。

セレナは瞬きをした。

――それだけ?

仕方がない。

もっとだ。


「それから、勉強も嫌いですわ」

「そうなんだ」

「礼儀作法も嫌いです」

「へえ」


効いていない。

セレナは焦った。

ならば、これならどうだ。


「王太子妃教育なんて、絶対にしたくありません」


言った。

さすがに室内が静かになった。

母がこちらを見ている。

侍女たちも息を潜めている。

セレナはアルベルトを見た。

今度こそ。

これで、「では婚約候補から外そう」と――


「じゃあ、しなければいいんじゃない?」

「……はい?」


本日二度目だった。

アルベルトは不思議そうにセレナを見る。


「嫌なんでしょう?」

「それは……そうですけれど」

「なら、やらなければいい」


あまりにも簡単に言う。

セレナは返す言葉を失った。


「そうね」


さらに別の声がした。

王妃だった。

優雅にカップを置きながら、まるで今日の天気について話すような口調で続ける。


「したくないなら、しなくてもいいわよ」

「……王妃様?」

「まだ婚約だって決まっていないでしょう?」


セレナは王妃を見つめた。

意味が分からなかった。

前の人生では、そんなふうに考えたことすらなかった。

王太子妃候補として育てられ。

アルベルトと顔を合わせ。

婚約して。

本格的に王太子妃教育を受ける。

それは、まるで最初から決められていた道のように思っていた。


「でも、わたくしは……」

「セレナ」


王妃の声は穏やかだった。


「あなたがアルベルトと結婚したくないなら、しなくていいのよ」


セレナは息を止めた。


「あなたの人生でしょう?」


窓から風が入った。

薄いカーテンが、ふわりと膨らむ。


「王太子妃だからといって、何もかも背負わなければならないわけではないわ。まして、あなたはまだ王太子妃ですらないのだから」


王妃は少し笑った。


「背負わなくていいのよ」


その言葉が、胸の中へ静かに落ちた。

セレナは何も言えなかった。

嫌われなければ。

失敗しなければ。

王家から「いらない」と言われなければ。

そうしなければ、あの未来から逃げられないと思っていた。

けれど。

もしかして。

逃げるために、失敗する必要なんてなかったのだろうか。

自分が嫌だと言うだけで。

それだけでよかったのだろうか。

セレナは恐る恐る正面を見た。

アルベルトは。

ケーキを見ていた。

真剣に。

どれを食べようか考えているらしい。

なぜ。

セレナはだんだん腹が立ってきた。


「アルベルト様」

「何?」

「それでよろしいのですか?」

「何が?」

「わたくしと婚約しなくても」

「別に」


即答だった。

セレナのこめかみが、ぴくりと動いた。

前の人生で。

この男の隣に立つために。

自分がどれだけ努力したと思っているのか。

もちろん、目の前の六歳児に言っても仕方がない。

分かっている。

分かっているけれど、腹は立つ。


「だって」


アルベルトはそんなセレナの胸中など知らず、ケーキから視線を上げた。


「今日初めて会ったのに、結婚したいかなんて分からないでしょう?」


セレナは止まった。

何も言えなかった。

あまりにも。

あまりにも当たり前だった。

初めて会った人と、結婚したいかどうかなんて分からない。

六歳なら、なおさらだ。

そんな簡単なことを。

前の人生では、誰も言わなかった。

セレナ自身も、考えなかった。

王太子と公爵令嬢。

家同士にとって望ましい婚姻。

だからそうなるものだと思っていた。

セレナは改めて、目の前の少年を見る。

薄い金髪。

澄んだ緑色の瞳。

整った顔。

六歳とは思えないほど静かで、妙に落ち着いている。

けれど口を開けば、思ったことをそのまま言って王妃に叱られる。

人がなぜ傷つくのかも、まだよく分かっていない。

婚約にも、ほとんど興味がない。

前の人生からずっと、セレナの中には一人のアルベルトしかいなかった。

自分を信じなかった王太子。

自分の処刑を見届けた男。

けれど。

目の前にいるのは、その男ではない。

少なくとも、まだ。

ただの六歳の子どもだった。

 




お茶会が終わる頃には、セレナの前に置かれた皿はすっかり空になっていた。

結局、菓子を四つ食べた。

嫌われるためだった。

最初は。

途中からは、単純においしかった。


「セレナ」


帰り支度をしていると、アルベルトに呼ばれた。


「なんですの?」

「今日は楽しかった?」


思いがけない質問だった。

セレナは少し考える。

嫌われるつもりで来た。

最悪のお茶会にしてやろうと思っていた。

なのに。


「……まあまあですわ」

「そっか」


アルベルトは頷いた。

笑わない。

残念そうにも、嬉しそうにも見えない。

ただセレナの答えを受け取っただけ。

それから少し考えて、


「僕は、思ってたより楽しかった」

セレナはアルベルトを見る。

やはり笑っていない。

お世辞でもなさそうだった。

本当にそう感じたから、そのまま口にした。

ただ、それだけなのだろう。


「また来る?」

「行きま――」


即答しかけて、止まった。

視界の端に王妃がいた。

母と何か話している。

先ほどと同じ、さっぱりとした笑顔。

――背負わなくていいのよ。

あんなことを言ってくれた人を、セレナは前の人生ではほとんど知らなかった。

そもそも王妃がどんな人だったのかさえ、よく知らない。

そしてテーブルを見る。

まだ菓子が残っていた。

セレナは少し考えた。


「……王妃様がいらっしゃるなら」

「分かった」


アルベルトはあっさり頷いた。

傷ついた様子は、まるでない。

セレナは少しだけ拍子抜けした。

そして王妃のところへ向かおうとして――


「セレナ」


もう一度呼ばれた。

振り返る。

アルベルトは、空になったセレナの皿を見ていた。


「次は、もう少しお菓子を用意してもらうね」

「……結構ですわ!」


思わず声を上げる。

王妃が吹き出した。

母まで笑っている。

セレナは頬を膨らませながら、今度こそ扉へ向かった。

嫌われるはずだった。

こんな令嬢は王太子妃にできないと、思わせるはずだった。

それなのに。

どうやら最初のお茶会は、思っていたのとはずいぶん違う結果に終わってしまった。


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