第16話 近づく病
それから数日、研究室には東部からの報告が次々と届いた。
王妃が目を通し、セレナが必要なものを抜き出していく。
いつもなら薬草や硝子瓶が並ぶ大きな机も、今は地図と帳簿に占領されていた。
「月白草、残り十二束です」
「少ないわね」
「先月、医療院へまとまった数を回したそうです。次の入荷は十日後ですわ」
「十日……」
王妃が地図へ目を落とした、そのときだった。
「母上」
扉が開く。
ルシアンが紙の束を抱えて入ってきた。
「これ、見て」
机の端に、ばさりと置く。
「何ですの?」
「東部の話。医療院の先生と薬師と、商人にも聞いた」
王妃が一枚を手に取った。
「ずいぶん集めたわね」
「最初は先生に聞いただけだったんだけど」
ルシアンが椅子を引く。
「隣にいた薬師が、東部から薬草の注文が増えてるって教えてくれて。その話をしてたら、今度は商人がラーデンでも熱を出してる人がいるって」
「それで、この量に?」
「うん。みんな色々知ってた」
ルシアンは何でもないことのように言う。
紙には、町の名と日付が並んでいた。
ラーデン。
ベルカ。
ハーン。
同じ話を複数から聞いたところには、小さな丸までついている。
「こちらの丸は?」
「同じ話を二人以上から聞いたところ」
セレナは紙から顔を上げた。
「きちんと分けていらしたんですのね」
「だって、一人だけだと本当か分からないでしょう?」
「ええ。その通りですわ」
ルシアンが少し嬉しそうに笑った。
「それで、これ」
一枚の紙が抜かれる。
「昨日、東部から着いた商人に聞いた」
王妃が受け取る。
「六人で王都に向かってたんだけど、一人だけハーンに残ったって」
「なぜ?」
「熱。咳も出てたらしい」
セレナの視線が地図へ落ちた。
ハーン。
すでに報告のあった町から、街道を西へ進んだ先だ。
「その方は?」
「銀鹿亭っていう宿にいる」
王妃の目が上がった。
「名前は?」
「ここ」
ルシアンが紙の下を指す。
患者の名前。
宿。
一緒に旅をしていた五人の名前と、王都での滞在先まで書かれている。
「よくここまで聞けましたわね」
「向こうから教えてくれたよ」
「向こうから?」
「僕が東部の話を聞いてるって言ったら、俺も知ってる、私も、って」
ルシアンが笑う。
「最後、全然帰れなかった」
その様子が簡単に想像できて、セレナも笑った。
「ルシアン様らしいですわね」
そのとき。
背後から腰に腕が回る。
ぽす、と肩に顎が乗った。
「ただいま」
「お帰りなさい、アル」
長い金髪が頬に触れる。
セレナはもう振り返らなかった。
王妃もルシアンも気にしていない。
いつものことだ。
「何してるの?」
「ルシアン様が東部のお話を集めてきてくださったんです」
「へえ」
「兄上、これ」
ルシアンが紙を差し出す。
アルベルトはセレナにくっついたまま目を通した。
途中で、視線が止まる。
「ハーンで熱?」
「うん。咳も」
「いつから?」
「着く少し前」
「宿は?」
「銀鹿亭」
「一緒に来た人は?」
「五人。全員王都にいる」
「どこ?」
「下に書いた」
アルベルトは少しだけ考えてから、セレナの腰に回していた腕を離した。
「医師を向かわせる」
近くにいた侍従を呼ぶ。
「ハーンの銀鹿亭。熱と咳がある人がいる。できるだけ他の客と離して診てもらって」
「承知いたしました」
「同行していた五人も確認を。名前と宿はここ」
紙を渡す。
侍従が足早に出ていった。
ルシアンがその背中を見送る。
「兄上」
「なに?」
「僕、もう少し聞いてくる」
「誰に?」
「商人組合。あそこなら東部を通る人も多いでしょう?」
アルベルトが頷く。
「直接会うのはやめて」
「分かってる。組合に話を集めてもらう」
「それならいい」
ルシアンは残った紙をまとめる。
「薬師の話はそこにあるよ。解熱に使う薬草が上がってるって」
「ありがとうございます、ルシアン様」
「また何かあったら持ってくる」
「お願いしますわ」
「じゃあね、姉上」
「ええ」
ルシアンが出ていく。
扉が閉まると、研究室が少し静かになった。
王妃が残された紙を一枚持ち上げる。
「この子、いつの間にこんなに聞いてきたのかしら」
「ルシアン様ですもの」
セレナは笑って、薬師から聞いたという紙を取った。
東部からの注文量。
仕入れ値。
王都の在庫。
数字を追うにつれ、笑みが消えていく。
「……かなり上がっていますわ」
王妃も覗き込む。
「特に解熱に使うものね」
「このまま増えたら、王都の分まで足りなくなるかもしれません」
「北部から回せるかしら」
「帝国から入れた方が早いよ」
アルベルトの声がした。
二人で顔を上げる。
いつの間にか地図を覗き込んでいた。
「帝国から?」
「北部にも倉庫を持ってる商会がある。薬草も扱ってるよ」
王妃が交易路を目で追う。
「間に合う?」
「たぶん一番早い」
「すぐに取引できるかしら」
「聞いてみる」
アルベルトは紙を一枚取った。
「僕が行く」
王妃は少し考え、頷いた。
「お願い」
アルベルトがペンを取る。
さらさらと、一つの名を書いた。
セレナは何気なくその文字を目で追う。
『ヴァレン商会』




