5
しばらくの沈黙の後、青嶌さんが小さく微笑んだ。
「……とりあえず、この話は一度ここで終わりにしましょう。」
「現時点では何一つ確証はありません。」
「私たちが勝手に疑っているだけかもしれませんし。」
俺は静かに頷いた。
「うん。」
「そうだね。」
「ありがとう、青嶌さん。」
「どういたしまして。」
「……じゃ、戻ろっか。」
さっきまでの真剣な表情とは打って変わり、いつもの明るい笑顔を見せる青嶌さん。
その笑顔を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
俺たちは屋上を後にし、教室へ向かって歩き出す。
(……まだ決まったわけじゃない。)
(電話をしていたことも、神白さんの名前が出てきたことも事実だ。)
(だけど、それだけで小紫さんを疑うなんて、俺にはできない。)
(きっと何か理由がある。)
(そうであってほしい。)
自分にそう言い聞かせるように、俺は小さく息を吐いた。
教室へ戻ると、いつもと変わらない朝の光景が広がっていた。
黄瀬は机に突っ伏して欠伸をしてる。
神白さんと小紫さんは、文化祭の衣装について楽しそうに話していた。
「この袴、可愛いですね。」
「はい。神白さんなら、きっとお似合いになります。」
その穏やかな笑顔を見ていると、さっきまで抱いていた疑念が嘘のように思えてくる。
――そして、その日の授業は何事もなく終わった。
放課後になると、教室は再び文化祭一色へと染まる。
「よーし!」
「今日も準備始めるぞー!」
黄瀬の元気な声を合図に、クラス全員がそれぞれの持ち場へ散っていく。
接客担当は接客練習。
厨房担当はメニューの確認。
装飾担当は教室の飾り付け。
少しずつではあるが、文化祭当日に向けて教室は確実に"大正喫茶"へと姿を変え始めていた。
それから数日――。
ロングホームルームや放課後の時間を使い、文化祭の準備は順調に進んでいった。
接客担当はお辞儀や配膳の練習。
厨房担当はメニューの試作や動きの確認。
装飾担当は教室を大正時代らしい雰囲気へと作り上げていく。
気が付けば、文化祭前日。
教室はすっかり"大正喫茶"へと姿を変えていた。
木目調の看板。
レトロな装飾。
そして、小紫さんが描き直したウェルカムボードも入口に飾られ、教室の雰囲気を一層引き立てている。
「よーし!」
黄瀬が教室を見渡しながら両手を広げた。
「完成だー!」
「いやぁ、俺たち頑張ったな!」
「まだ明日が本番ですよ。」
小紫さんが苦笑する。
「まぁまぁ。」
青嶌さんが笑いながら手を叩いた。
「せっかくだし、一回衣装合わせもしちゃおうよ!」
「確かに。」
「サイズ確認もしないとですし。」
小紫さんも頷く。
女子三人は衣装を持って更衣室へ向かっていった。
数分後――。
ガラッ。
最初に姿を現したのは神白さんだった。
白の矢絣の着物にあえて白の袴を合わせた上品で儚げなコーデに仕上がっていた。
栗色の髪はハーフアップにまとめられ、大きなリボンの髪飾りが揺れている。
教室が静まり返った。
「……。」
「……。」
「え、えっと。」
神白さんは少し恥ずかしそうに裾をつまむ。
「どう……でしょうか?」
俺は思わず言葉を失っていた。
(……綺麗だ。)
そんな言葉しか浮かばない。
「黒鉄君?」
神白さんが首を傾げる。
「あ……。」
「すごく可愛い…。」
「本当に。」
その一言で神白さんの頬がみるみる赤く染まる。
「ほ、本当ですか?」
「うん。」
「すごく似合ってる…。」
神白さんは嬉しそうに微笑み、小さく「ありがとうございます」と呟いた
その瞬間だった。
教室のあちこちから、
「きゃー……。」
「見た?」
「今の聞いた?」
そんな小さなざわめきが聞こえてくる。
女子たちは目を輝かせながら、俺と神白さんを交互に見つめていた。
「黒鉄君、あんなストレートに言うんだ……。」
「『すごく可愛い』だって……。」
「いいなぁ……。」
「言われてみたーい。」
そんな声が次々と漏れ聞こえてくる。
神白さんは周囲の視線に気付き、さらに頬を赤く染めた。
「み、皆さん……。」
恥ずかしそうに俯きながら、袖で口元を隠す。
教室はどこか甘い空気に包まれ、女子たちはまるで恋愛ドラマでも見ているかのような、きらきらとした目で俺たちを見守っていた。
ガラッ。
続いて更衣室の扉が開く。
「じゃーん!」
明るい声と共に姿を現したのは青嶌さんだった。
鮮やかなブルーの花柄の着物に、黒の袴。
華やかな青い花柄が黒の袴によってより一層引き立ち、可愛らしさの中にもどこか凛とした雰囲気を感じさせる。
「どうどう?」
その場でくるりと一回転する青嶌さん。
「おぉーーー!」
真っ先に声を上げたのは黄瀬だった。
「めちゃくちゃいい!」
「青嶌さん、すっごく似合ってる!」
「マジでモデルみたい!」
「おぉ~!」
青嶌さんは嬉しそうに笑う。
……が、すぐに肩をすくめて苦笑した。
「嬉しいんだけどさぁ。」
「黄瀬君が言うと、なんか軽いんだよねぇ。」
「えぇっ!?」
黄瀬は大げさに胸を押さえる。
「なんで!?」
「俺、本気で褒めてるんだけど!」
「それが軽いんだって。」
青嶌さんはクスクス笑う。
「誰にでも同じこと言ってそうなんだもん。」
「言わねぇよ!」
「ちゃんと似合う人にしか言わない!」
「はいはい。」
青嶌さんは笑いながら手をひらひら振る。
「ありがとありがと。」
「褒め言葉として受け取っとく。」
「ちぇー。」
黄瀬は口を尖らせる。
「朝陽だったら信じてもらえるのになぁ。」
「俺、損な役回りじゃね?」
その一言に教室中から笑い声が上がった。
ガラッ。
最後に更衣室の扉が静かに開く。
「お待たせしました。」
ゆっくりと姿を現したのは小紫さんだった。
紫色を基調とした大正ロマンを代表する矢絣の着物に、えんじ色の袴。
まさに[はいからさん]を思わせる王道の大正スタイル。
落ち着いた雰囲気の小紫さんによく似合っていて、どこか上品で知的な印象を与えていた。
「黒鉄君。」
小紫さんは俺の前まで歩いてくると、少しだけ首を傾げる。
「どうでしょうか?」
俺は自然と頷いた。
「うん。」
「とっても素敵だよ。」
「小紫さんって、普段から落ち着いた雰囲気があるけど、その衣装を着ると大人っぽい魅力がもっと引き立つね。」
「上品だし、すごく似合ってる。」
小紫さんは一瞬目を丸くした。
そして、ふわりと優しく微笑む。
「……ありがとうございます。」
「黒鉄君にそう言っていただけて、とても嬉しいです。」
そのやり取りを横で見ていた神白さんが、そっと俺の顔を覗き込んだ。
少しだけ腰を曲げて視線を合わせると、
「ふーん。」
小さく頬を膨らませる。
「黒鉄君って、皆さんのことをちゃんと見てるんですね。」
その声は穏やかだったが、どこか拗ねたようにも聞こえた。
「え?」
「そうかな?」
「……そうです。」
神白さんはぷいっと顔を逸らす。
その様子に俺は首を傾げるしかなかった。
すると、
「おぉーーっ!」
黄瀬が目を輝かせながら小紫さんの前へ飛び出した。
「すげぇ!」
「めちゃくちゃ似合ってるよ!」
「もう小紫さん、そのまま大正浪漫じゃん!」
「ありがとうございます。」
小紫さんは嬉しそうに微笑み、小さく首を傾げる。
「……それは褒めてくださっているんですよね?」
「もちろん!」
黄瀬は親指を立てる。
「最大級の褒め言葉!」
「それなら安心しました。」
小紫さんがほっと胸を撫で下ろすと、教室にはまた笑い声が広がった。




