26
一方その頃。
廃工場では何台ものパトカーと救急車が慌ただしく出入りしていた。
規制線が張られ、制服警察官たちが現場保存に追われている。
俺は救急車の後部で治療を受けていた。
「少し染みますよ。」
救急隊員が消毒液を傷へ流し込む。
「……っ。」
思わず顔をしかめる。
「これだけの怪我で済んだのは奇跡です。」
「今日は安静にしてください。」
包帯が巻かれた腕を見つめながら、小さく息を吐く。
「朝陽!」
聞き慣れた声に顔を上げる。
そこには神白さん、青嶌さん、小紫さん、黄瀬、そして緋乃が立っていた。
治療を受けた3人は、包帯や湿布が貼られてはいるが、誰も大きな怪我はしていない。
それだけで十分だった。
「黒鉄くん……。」
神白さんがゆっくりと俺の前まで歩いてくる。
その瞳は潤み、唇は小さく震えていた。
「本当に……。」
「本当に無事でよかった……。」
その言葉を最後まで言い切る前に――。
ぎゅっ。
神白さんは勢いよく俺へ抱きついた。
「……え。」
突然のことに、俺の身体は固まる。
神白さんは俺の胸へ顔を埋めたまま、小さく肩を震わせていた。
「怖かったんです……。」
「黒鉄くんが……。」
「黒鉄くんが死んでしまうんじゃないかって……。」
震える声が胸元から聞こえる。
俺は戸惑いながらも、そっと神白さんの背中へ手を添えた。
「……もう大丈夫。」
その一言に、神白さんは服を握る手へさらに力を込める。
少し離れた場所では、
「あれで付き合ってないのはおかしい……。」
黄瀬が目を丸くしていた。
緋乃は苦笑しながら肩をすくめる。
「ずっと責任を感じてたんだろう。」
そんな光景を小紫さんは静かに二人を見つめ、青嶌さんは安心したように胸をなで下ろしていた。
その時だった。
「……神白さん。」
穏やかな声が響く。
緑山将司だった。
「朝陽君も怪我人です。」
「そろそろ離してあげてもらえますか。」
「あ……。」
神白さんはハッと我に返る。
自分が抱きついていることに気付き、顔がみるみる赤く染まっていく。
「も、申し訳ありません!」
慌てて朝陽から離れると、何度も頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……!」
俺は照れくさそうに頭をかいた。
「いや……別に。」
そのやり取りを見ていた黄瀬が、ニヤリと笑う。
「青春っスねぇ。」
「うるさい。」
俺が即座に返すと、その場に小さな笑いが広がった。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
緑山さんは咳払いを一つすると、表情を引き締めた。
「さて。」
「朝陽君。」
「少し、話を聞かせてもらってもいいかな。」
「はい。」
静かに頷く。
「事件の経緯については、おおよそ把握している。」
「だが、一つだけ確認したい。」
「君たちは、自らここへ来たんだね?」
「……はい。」
「警察を待っていたら、間に合わないと思いました。」
緑山さんは目を閉じ、小さく息を吐く。
「結果だけ見れば、その判断は間違っていなかった。」
「だが。」
「二度と同じ真似はしないでほしい。」
「命は一つしかない。」
俺は黙って頭を下げた。
「……申し訳ありません。」
その様子を見ていた源吾さんが口を開く。
「緑山署長。」
「説教はそのくらいで。」
「彼らも十分反省しているでしょう。」
緑山さんは苦笑する。
「そうだな。」
「今日はよくやってくれた。」
「君たちのおかげで、攫われた二人も無事保護された。」
黄瀬たちも、ほっと息をついた。
その時。
源吾さんの携帯電話が鳴る。
画面を確認した源吾さんの表情が僅かに変わった。
「……宗一郎様からです。」
電話へ出る。
「はい、青嶌です。」
「ええ。」
「伊吹様と人質二人無事に保護しました。」
……
……
「分かりました。」
電話を切ると、源吾は神白さんへ向き直った。
「伊吹様。」
「宗一郎様がこちらへ向かわれています。」
「間もなく到着される予定です。」
そう告げると、今度は俺たちへ視線を移した。
「それから、皆さんの保護者にも連絡は済んでいます。」
「現在こちらへ向かわれていますので、それまでは現場で待機してください。」
「げっ……。」
黄瀬が頭を抱える。
「姉ちゃんだったら最悪だぁ……。」
緋乃も苦笑いを浮かべた。
「俺も親父にどやされるな。」
その会話を聞いた神白さんは申し訳なさそうに俯く。
「皆さん……。」
「本当に申し訳ありません。」
「今回のことは、私のせいで――。」
「ち、違う違う!」
黄瀬は慌てて両手を振った。
「そういうつもりで言ったんじゃないって!」
「それにさ。」
「俺、後悔なんて全然してないから!」
緋乃も静かに頷く。
「俺も同じだ。」
「もう一度やり直せって言われても、同じことをする。」
神白さんは目を潤ませながら、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。」
それからしばらくして――。
一人の女性がこちらへ歩いてくるのが見えた。
黒いスーツに身を包み、薄桃色の髪が風に揺れている。
どこか落ち着いた雰囲気を纏ったその女性は、俺たちの前まで来ると深々と頭を下げた。
「失礼します。」
「小紫楓の姉です。」
「ロッ……お姉ちゃん。」
一瞬、名前を呼びかけたように聞こえたが、小紫さんは慌てて言い直した。
女性は何も言わず、小紫の前まで歩み寄る。
そして、そっと抱き寄せた。
まるで、本当に無事を確かめるように。
俺はその様子を黙って見つめていた。
妹を心配して駆け付けた姉。
その光景に違和感なんてあるはずがない。
……なのに。
なぜだろう。
胸の奥が妙にざわつく。
どこかで、この人を見たような気がする。
そんな考えが頭をよぎった、その時だった。
女性は小紫さんの耳元へ顔を寄せ、小さく何かを囁いた。
「楓……。」
「私に合わせなさい。」
俺のいる位置からでは、その声は聞き取れない。
ただ、小紫の表情がほんの一瞬だけ強張った気がした。
お姉さんは小紫さんの肩へそっと手を添え、頭の先から足元まで怪我の有無を確認する。
「……怪我は?」
「うん。」
「大丈夫。」
その一言を聞くと、小さく息を吐いた。
「そう。」
「なら、よかった。」
お姉さんは小紫の頭へそっと手を置き、優しく撫でる。
「心配したわ。」
「ごめんなさい……。」
小紫さんが俯くと、お姉さんは首を横に振った。
「謝らなくていい。」
「無事だった。」
「それだけで十分よ。」
そう言うと、緑山さんと源吾さんへ向き直り、深く一礼した。
「妹を保護していただき、ありがとうございます。」
続いて俺たちへ視線を移す。
「それと。」
「楓を守ってくれて、本当にありがとう。」
その言葉に、黄瀬は照れくさそうに頭をかき、緋乃は静かに頷いた。
俺はお姉さんの姿を見つめながら、小さく息を吐く。
(この人が……小紫さんのお姉さんか。)
お姉さんはもう一度小さく頭を下げると、小紫さんへ優しく微笑みかけた。
「楓。」
「帰りましょう。」
「うん。」
小紫さんは俺たちの方を振り返る。
「みんな。」
「さようなら。」
小さく手を振る小紫さんに、俺たちも手を振り返した。
お姉さんは小紫さんの肩へそっと手を添えると、そのままゆっくり歩いて現場を後にした。
後ろ姿を見送りながら、俺は胸の奥に残る違和感を拭えずにいた。
(……気のせい、だよな。)
そう自分に言い聞かせながら、遠ざかる背中を見つめていた。




