25
天宮は目を見開き、ゆっくりと背中へ手を回した。
手のひらに触れたのは、生温かい液体。
ゆっくりと手を前へ持ってくる。
赤い。
自分の血だった。
「てめぇ……なにしやがる。」
天宮が振り返る。
そこには、血の付いたナイフを無造作に握る百鬼が立っていた。
刃先から、一滴。
また一滴と、赤い雫が地面へ落ちる。
「……っ。」
天宮の膝から力が抜ける。
ガクッ。
片膝をつき、そのまま地面へ手をついた。
「天宮さん!」
鷹取が血相を変えて駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
隼人と鷲尾も慌てて天宮の両脇へ回り、その身体を支えた。
「くそっ……。」
鷹取は天宮を二人に任せると、ゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、先ほどまでの冷静さはない。
百鬼を真っ直ぐ睨みつけ、一歩踏み出そうとした――。
「百鬼!!」
鋭い声がスクラップ工場に響き渡る。
ロゼだった。
先ほどまでの穏やかな表情は消え失せ、百鬼を強く睨みつけていた。
「痛めつけるだけでいいはずよ。」
百鬼は首を傾げ、口元に笑みを浮かべる。
「あらぁ?」
「そうだったかしら?」
血の付いたナイフをくるりと指先で回す。
「でもぉ……。」
「私の中では、まだ序の口よ。」
ロゼの眉間に皺が寄る。
「……お前は、いつもやり過ぎる。」
「いやだぁ。」
百鬼は肩を震わせながら笑った。
「そんな怖い顔しちゃって。」
「こんな半端者、殺しちゃえばいいのよ。」
そう言って天宮たちへ視線を向ける。
そして、ゆっくりとロゼへ向き直った。
「でもねぇ……。」
「半端者っていうのは――」
百鬼の笑みが深くなる。
「ロゼ、あんたも同じよ。」
一瞬、空気が凍りつく。
ロゼの瞳が鋭く細められた。
その時だった。
「百鬼さん。」
二人の間へ、一人の部下が静かに割って入る。
「組織内での私闘は、規律違反です。」
「統括からも、組織内抗争は固く禁じられています。」
「どうか、お控えください。」
百鬼は舌打ち混じりに肩をすくめる。
「……ちぇっ。」
「相変わらず堅いわねぇ。」
百鬼は小さく肩をすくめると、鷹取と目線を合わせた。
「ねぇ、あなた。」
「助けてほしかったら、最後に一つだけ答えなさい。」
「今回、あなたたちへ依頼を出したのは誰かしら?」
鷹取は唇を固く結ぶ。
答えれば依頼人を裏切ることになる。
しかし、答えなければ天宮の命が危ない。
長い沈黙の末、鷹取は静かに口を開いた。
「……神白グループと敵対する企業…。」
「御影グループの役員、香取です。」
百鬼は表情一つ変えず続きを促した。
「理由は?」
鷹取は観念したように息を吐く。
「香取は数年前から、大型都市再開発プロジェクトを進めていました。」
「ですが、その計画は神白グループに先を越されました。」
「神白グループがより優れた事業計画を打ち出し、行政との契約もすべて獲得したんです。」
「その結果、御影グループは莫大な損失を出し……。」
「香取自身も役員としての立場を失いかけています。」
百鬼は静かに耳を傾ける。
「だから香取は考えた。」
「神白グループそのものを揺るがせばいい、と。」
「神白家の令嬢を誘拐し、大事件へ発展させる。」
「企業イメージを失墜させ、世間の信用と株価を暴落させ、契約を打ち切らせることが目的でした。」
「そして、その混乱に乗じて神白グループを追い詰める……。」
鷹取は拳を握り締めた。
「それが、今回の依頼の全てです。」
百鬼は静かに目を閉じ、小さく笑った。
「そう。」
「ありがとう。」
その笑顔には、どこか不穏な色が滲んでいた。
「いいわぁ。」
「今日は、このくらいにしておいてあげる。」
そして口元を吊り上げ、意味ありげに笑う。
「ロゼちゃん。」
「あ・ん・た・も・よ。」
その言葉だけを残すと、百鬼は一人の部下を連れ、ゆっくりと車に乗り込みその場を後にした。
スクラップ工場には、重苦しい静寂だけが残る。
「お、俺たち……。」
鷲尾が呆然と呟く。
「助かった……のか?」
鷹取は首を横に振った。
「……まだ分かりません。」
その時だった。
ロゼが冷たく言い放つ。
「あんたたち。」
「早くしないと、そいつ死ぬわよ。」
視線の先には、血を流したまま膝をつく天宮。
だが誰も動けない。
突然の出来事に、足がすくんでいた。
ロゼは深くため息をつく。
「はぁ……。」
「だから、早く病院へ連れて行きなさいって言ってるのよ。」
「それと。」
「あんたたちの仲間は、全員警察に捕まったみたいよ。」
「もう逃げ場なんてないわ。」
ロゼは四人を真っ直ぐ見つめた。
「……あんたたちも、自首しなさい。」
誰も口を開かない。
ただ風だけが、静かに吹き抜ける。
しばらくの沈黙の後、ロゼは静かに目を伏せた。
「まだ……。」
「引き返せるところにいるんだから。」
その言葉には、先ほどまでの冷たさとは違う、どこか寂しさが滲んでいた。




