23
天宮の身体が、まるで時間が止まったかのように硬直した。
誰も動かない。
天宮は目を見開いたまま、その場に立ち尽くしている。
「……。」
次の瞬間。
糸が切れた操り人形のように、その巨体がゆっくりと前へ傾いた。
ドサッ――。
倒れ込んだ先は、俺の右腕だった。
「くっ……!」
鎧通しの反動で痺れきった右腕に、天宮の体重がのしかかる。
歯を食いしばりながら、俺はその巨体を受け止めた。
「……終わりだ。」
そう小さく呟き、力の抜けた天宮を静かに床へ横たえる。
店内は静まり返っていた。
「て、天宮さんが……。」
黒天狗の構成員の一人が、震える声を漏らす。
誰も動けない。
誰一人として、この現実を受け止めきれていなかった。
「朝陽!」
「おい!」
黄瀬と緋乃、それに青嶌さんが慌てて駆け寄ってくる。
力の抜けた俺の身体を三人が支えた。
「無茶しやがって……。」
黄瀬が苦笑しながら肩を貸す。
俺は小さく息を吐き、ゆっくりと鷹取へ視線を向けた。
「……俺らの勝ちだ。」
掠れた声だった。
それでも店内にははっきりと響く。
「約束は……守ってもらう。」
鷹取は倒れた天宮へ目を向け静かに、
そして小さく息を吐く。
「……ええ。」
「約束です。」
「この件からは、手を引きましょう」
――その時だった。
ウゥゥゥゥゥン……。
遠くから、パトカーのサイレンが近付いてくる。
その音は次第に大きくなり、店内にもはっきりと響いた。
「……!」
黒天狗の構成員たちが一斉にざわめく。
「警察だ!」
「くそっ……!」
落ち着きを失い始めた構成員たちを見ながら、青嶌さんが静かに口を開いた。
「皆さんが、私たち以外誰も店内にいないと確信した頃に、連絡を入れていました。」
その一言に、鷹取は肩をすくめて苦笑する。
「全く……。」
「可愛げのない子供たちですね。」
そう言うと、床に倒れている鷲尾へ視線を向けた。
「鷲尾。」
「いつまで寝ているつもりですか。」
「……起きなさい。」
鷲尾は顔をしかめながらゆっくりと身を起こす。
「いてぇなぁ……。」
「本当に容赦ない。」
鷹取はそれ以上何も言わず、倒れた天宮のもとへ歩み寄った。
「天宮さんを連れて、ここから立ち去りますよ。」
「……はいよ。」
鷲尾も立ち上がると、二人で天宮の両脇へ回る。
左右から肩を抱え、ゆっくりと身体を支え上げた。
その時だった。
「……ん。」
天宮の瞼がわずかに動く。
「ぐっ……。」
低いうめき声を漏らしながら、ゆっくりと目を開けた。
「……鷹取。」
天宮がゆっくりと目を開ける。
意識は朦朧としているはずなのに、その口元にはいつもの笑みが浮かんでいた。
「いい喧嘩だったなぁ……。」
鷹取は小さくため息をつく。
「あなたって人は……。」
「負けた直後に、それですか。」
その時だった。
「全員動くな!!」
店の入口が勢いよく開かれる。
四人の警察官が一斉に店内へ飛び込んできた。
一人は女性。
三人は男性。
全員が帽子を深く被り、素早く周囲へ視線を走らせる。
先頭に立つ女性警察官が鋭い声を響かせた。
「首謀者および幹部三名の身柄を優先的に確保する!」
「全員、抵抗するな!」
警察官たちは一斉に天宮たちへ駆け寄る。
天宮は抵抗する素振りも見せず、小さく笑った。
「今日は負けだな。」
鷹取も静かに両手を上げる。
「抵抗するつもりはありません。」
鷲尾は肩をすくめ、隼人は苦笑いを浮かべながら両手を差し出した。
ガチャリ。
冷たい手錠の音が店内に響く。
天宮、鷹取、鷲尾、隼人。
黒天狗の首謀者と幹部四人は、その場で警察官によって身柄を拘束された。
天宮は両脇を抱えられたまま、赤色灯を載せた黒いセダンの前まで連れて行かれる。
後部座席へ押し込まれる、その直前。
天宮はふと足を止め、ゆっくりと俺を振り返った。
「……黒鉄っていったか。」
獰猛な笑みを浮かべる。
「いい喧嘩だった。」
「またやろうぜ。」
そう言い残すと、天宮は後部座席へ押し込まれた。
バタンッ。
ドアが閉まる。
黒いセダンは赤色灯を点滅させながら、静かに夜の闇へ消えていった。
その姿が見えなくなった直後――。
ウゥゥゥゥゥンッ!!
何台ものパトカーが一斉に店の前へ到着する。
赤色灯が周囲を照らし、現場は一気に騒然となった。
さらに一台の覆面パトカーがゆっくりと横付けされる。
後部座席のドアが開いた。
先に降りてきたのは、鋭い眼差しを持つ男。
緑山将司。
夏穂の父であり、この事件の指揮を執る人物。
続いて反対側の後部座席から、一人の男が静かに姿を現す。
青嶌源吾。
神白家護衛部隊を統括する責任者で羽唯の父。
落ち着いた表情のまま周囲を一瞥すると、娘の姿を確認して小さく息を吐いた。
緑山将司は、支えられている俺の前までゆっくりと歩み寄った。
その鋭い眼差しが、俺の全身を一通り見渡す。
傷の具合を確かめるように。
そして、小さく口を開いた。
「……朝陽君、だね。」
「大きくなったな。」
その言葉に、俺は小さく頭を下げる。
「それと――」
将司さんの表情が少しだけ厳しくなる。
「夏穂には、黒天狗とは関わるなと伝言を頼んだはずだが?」
静かな口調。
だが、その一言には重みがあった。
「……すみません。」
俺は素直に頭を下げる。
「急を要する事態でしたので……。」
数秒の沈黙。
将司さんは小さく息を吐くと、表情を和らげた。
「……まあ。」
「全員が奇跡的に無事だった。」
「それだけで十分だ。」
そう言って周囲を見回す。
「ところで。」
「神白伊吹さんと、人質になっていた少女はどこだ?」
俺は店の奥へ視線を向けた。
「きっと……。」
「僕の友達と一緒に、被害者のお二人のところにいると思います。」
緑山将司と青嶌源吾が店内へ足を踏み入れようとした、その時だった。
「署長!」
一人の警察官が血相を変えて駆け寄ってくる。
「大変です!」
「首謀者の天宮、および幹部三人の姿が見当たりません!」
緑山の表情が険しくなる。
「どういうことだ。」
「確保したのではないのか。」
「それが……現場へ突入した時には、すでに姿がありませんでした!」
その報告に、俺は思わず口を開いた。
「え……。」
「さっき、四人の警察官が来て……。」
「天宮さんたちを連れて行きました。」
緑山と源吾が同時にこちらを見る。
「四人の警察官だと?」
俺は頷く。
「女性警察官が一人と、男性警察官が三人です。」
「全員、帽子を深く被っていました。」
源吾はゆっくりと首を横へ振る。
「……そんなはずはない。」
「我々が現場へ到着する以前に、警察官が突入することはあり得ない。」
その言葉に、その場の空気が凍り付く。
「まさか……。」
黄瀬が小さく呟いた。
緑山はすぐさま無線機を手に取る。
「こちら緑山。」
「警察を装った四名が、天宮らを連れ逃走した可能性が高い。」
「周辺の検問を直ちに実施しろ。」
「赤色灯を装着した黒のセダンだ。」
「急げ!」
店内に緊張が走る。
俺は黒いセダンが走り去った方向を見つめながら、小さく拳を握り締めた。




