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その日の夜。
事情聴取を終えた俺は、重い足取りで家へ戻った。
時計を見ると、もう午後8時を回っている。
「ただいま。」
母さんが心配そうな顔でリビングから顔を出した。
「遅かったわね。」
「ちょっと色々あって。」
「ご飯温めようか?」
「ごめん、後でもらう。」
それだけ言って、自分の部屋へ向かった。
制服から部屋着に着替える。
ベッドへ腰を下ろしたが、落ち着かない。
頭の中では、栞さんの最後の声が何度も繰り返されていた。
『助けて……。』
俺はスマートフォンを手に取る。
連絡先を開き、一人の名前を押した。
緑山 夏穂
プルルル……
一回。
二回。
三回目で電話が繋がる。
『……もしもし?』
「夏穂。」
一瞬の沈黙。
次の瞬間だった。
『はぁっ!?』
『朝陽!?』
『なによ、いきなり!!』
思わず苦笑する。
「悪い。」
『悪いじゃないわよ!』
『一ヶ月連絡してこないと思ったら突然電話!?』
『普通さぁ!』
『「元気?」とかあるでしょ!?』
「元気か?」
『今さら遅い!!』
思わず笑ってしまう。
昔から全然変わらない。
すぐ怒って。
すぐ騒いで。
でも、どこか放っておけない奴だった。
『……で?』
『朝陽から電話なんて珍しすぎる。』
『何かあったんでしょ?』
さすが幼馴染だけあって、勘だけは昔から鋭い。
俺は笑うのを一旦やめる。
「相談がある。」
その一言で、夏穂も空気を察したらしい。
『……何。』
声の調子が変わる。
「今日、知り合いが誘拐された可能性がある。」
電話の向こうが静まり返った。
「警察には通報した。」
「現場にも警察は来た。」
「でも、まだ何も分かってない。」
「夏穂。」
「おじさん、署長だよな。」
「何か……情報は入ってないか聞けないか?」
夏穂は少し考えるように黙った。
『朝陽。』
『捜査情報は、お父さんでも簡単には話せない。』
「分かってる。」
『でも。』
『事件として動いてるかどうかくらいなら確認できるかもしれない。』
『ちょっと待って。』
『お父さん、まだ書斎にいると思う。』
「頼む。」
『……うん。』
『ちょっと聞いてくるから、切らないで待ってて。』
受話器の向こうから、バタバタと走っていく足音が聞こえた。
俺はスマートフォンを耳に当てたまま、静かに息を吐いた。
どうか。
まだ間に合ってくれ。
その願いだけが、頭の中を巡っていた。
数分後。
受話器の向こうから足音が聞こえ、夏穂が電話へ戻ってきた。
『朝陽。』
「どうだった?」
夏穂は少しだけ言葉を選ぶように黙る。
『詳しいことは教えられないって。』
「……だよな。」
『でも、お父さんが一つだけ伝えていいって。』
俺は自然と姿勢を正した。
『今回の件。』
『誘拐事件として正式に捜査が始まった。』
「……。」
『それと。』
『まだ断定はできないけど、捜査線上にある半グレ組織がいるらしい。』
「半グレ?」
『名前は――』
夏穂は小さく息を飲んだ。
『黒天狗。』
その名前を聞いた瞬間、部屋の空気が一気に重くなった気がした。
「黒天狗……。」
聞いたことはない。
だが、その響きだけで普通の相手ではないことが伝わってくる。
『お父さんが言ってた。』
『もし本当に黒天狗なら、絶対に関わるなって。』
『あいつらは普通の不良じゃない。』
『違法カジノや闇バイトの元締めもやってる、県内でも有名な半グレ組織。』
『警察もずっと追ってるけど、なかなか尻尾を掴めないくらい厄介な相手なんだって。』
夏穂の声に、冗談は一切なかった。
『朝陽。』
『お願いだから、警察に任せて。』
『相手が黒天狗だったら、本当に危ない。』
俺は静かに目を閉じた。
「……分かった。」
そう答えながらも、頭の中では栞さんの最後の声が離れない。
『助けて……。』
あの声を聞いてしまった以上。
何もしないままでいられるほど、俺は器用じゃないし、相手は神白さんも狙っている。
きっとこのまま終わるはずが無い。
そんな不安を残しつつ夏穂に感謝を伝えると静かに通話を切った…。




