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護衛対象は、お嬢様でした。  作者: 愚兎
初めての休日、遊んでみました。
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7


男の姿が、一歩で間合いを詰めてきた。

「――っ!」

速い。

俺は反射的に両腕を高く上げ、顔面とこめかみを守る防御態勢をとる。

喧嘩では何度も俺を救ってきた構えだ。

間に合った。

そう確信した、その瞬間だった。

「ぐっ……!」

鈍い衝撃が鼻先をかすめる。

視界が揺れ、思わず一歩後ろへよろめいた。

(今の……。)

確かに防いだはずだ。

それなのに、相手の拳は防御の間をすり抜け、俺の顔へ届いていた。

(抜かれた……?)

俺は男から目を離さない。

男は何事もなかったかのように距離を取り、静かに構え直していた。

右足をわずかに引き、体を半身にする。

両手は自然と顔の前へ。

拳を強く握るわけでもなく、肩にも余計な力は入っていない。

それなのに、どこにも隙が見当たらなかった。

(……なんだ、この構え。)

喧嘩で身につく構えじゃない。

その姿を見た瞬間、幼い頃の記憶が脳裏によみがえった。

『朝陽。』

祖父・黒鉄天元の声だった。

『世の中には、喧嘩とは別に、人を制圧するための技術が存在する。』

『警察、自衛隊、特殊部隊……。』

『ああいう連中は、相手を倒すことだけを考えて訓練されている。』

『喧嘩とは根本的に違う。』

さらに祖父は

『自衛隊格闘術の縦拳は、拳を横に寝かせず、親指を上に向けたまま真っ直ぐ打ち込む。』

『拳の幅が細くなる分、横拳では通らない防御の隙間を真っ直ぐ抜いてくる。』

『見えた時には、もう届いている。』

(まさか……。)

俺は男を見つめる。

無駄のない半身。

低い重心。

力みのない両腕。

どこからでも攻撃にも防御にも移れる自然な構え。

(じいちゃんが言ってた……。)

「自衛隊格闘術……。」

思わず声が漏れた。

男は口元だけを歪める。

「ほぉ。」

「見ただけで分かるか。」

「爺さんにでも習ったか?」

図星だった。

「……少しね。」

男は肩を鳴らす。

「なら話は早い。」

「俺も、そういう世界にいた。」

一歩前へ出る。

「安心しろ。」

「殺す気はない。」

ほんのわずかに笑みを浮かべ、淡々と言った。

「今日は、お前の実力を見るだけだ。」

俺はゆっくり拳を握る。

嫌な汗が背中を流れた。

(普通の不良じゃない。)

(本物だ。)

黒鉄流古武術。

それを受け継ぐ俺。

そして、自衛隊格闘術を身につけた男。

二つの"実戦"が、夕暮れの路地で静かに向かい合った。

「来ないなら――」

男が小さく息を吐く。

「行くぞ。」

その瞬間だった。

男が地面を蹴る。

一歩。

いや、一瞬。

気付けば懐へ入り込まれていた。

「しまっ――!」

拳を振るう暇もない。

男の腕が素早く首元へ回り、体勢を引き寄せられる。

強引に前へ引き込まれた俺の視界が揺れる。

次の瞬間。

鋭く突き上げられた膝が、みぞおちへ深々とめり込んだ。

「がっ……!」

肺の中の空気が一瞬で押し出される。

息ができない。

視界が白く弾け、全身から力が抜けていく。

胃がひっくり返るような激痛が腹の奥を突き抜けた。

「ぐっ……!」

足が踏ん張りを失い、俺はその場に片膝をつく。

荒い息を吐こうとしても、喉がひゅっと鳴るだけだった。

呼吸が入らない。

腹を押さえたまま、必死に酸素を求める。

額からは冷や汗が滴り落ち、視界の端がわずかに霞む。

(なんだ、この一撃……。)

ただ痛いだけじゃない。

体の芯を撃ち抜かれたような衝撃だった。

男は追い打ちをかけようとはしない。

静かに俺を見下ろしている。

「立て。」

その声には焦りも怒りもない。

ただ、俺の力を測るような冷たさだけがあった。

「黒鉄朝陽。」

「まだ終わりじゃないだろ。」

その一言が、俺の闘志に火をつけた。

「……っ。」

歯を食いしばる。

震える足に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。

腹の奥は焼けるように痛む。

呼吸をするたび激痛が走る。

それでも――。

「まだ……だ。」

拳を握り直した。

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