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一瞬、言葉を失った。
「……え?」
「ちょ、ちょっと待ってください。」
俺は思わず身を乗り出した。
「俺はただの高校一年生ですよ?」
「昨日もたまたま近くにいただけで……。」
「護衛なんて、そんな大層なことできません。」
青嶌さんは表情一つ変えない。
「本当にそうでしょうか。」
「昨日、あなたは三名を相手に伊吹様を守り抜いた。」
「相手の攻撃を見切り、最小限の動きで制圧した。」
「さらに、必要以上に相手を傷付けることもなかった。」
「その冷静な判断力は、護衛として最も重要な資質です。」
「いや、それは祖父に教わって……。」
そこまで言って、俺は口をつぐんだ。
祖父のことを、あまり他人に話したことはない。
「なるほど。」
青嶌さんはそれ以上深くは聞かなかった。
「ですが、それだけではありません。」
「羽唯からも報告を受けています。」
「あなたは危険だと理解した上で、一歩も退かなかった。」
「人は技術だけでは人を守れません。」
「守るという覚悟がなければ、護衛は務まらないのです。」
その言葉は、不思議なくらい重かった。
源吾さんは静かにコーヒーカップを置く。
「もちろん、強制ではありません。」
「断っていただいても構いません。」
「ですが、あなたにしか頼めない理由があります。」
俺は思わず尋ねる。
「……俺にしか頼めない理由?」
青嶌さんは真っ直ぐ俺を見据え、ゆっくりと口を開いた。
「あなたは、伊吹様から普通の友人として見られている。」
「それが、他の護衛には決して真似のできない最大の強みなのです。」
その一言に、俺は息をのんだ。
確かに、昨日今日で神白は俺たちと笑っていた。
購買でパンを買って。
漫画の話で盛り上がって。
帰り道、商店街を歩いて。
あれは護衛相手に見せる笑顔じゃない。
友達だからこそ見せた表情だった。
「ですが……。」
俺はゆっくり口を開く。
「俺なんかで、本当に務まるんでしょうか。」
「昨日は運が良かっただけかもしれません。」
「次も同じように守れる保証なんてありません。」
青嶌さんは静かに頷いた。
「その考えができる時点で、あなたは護衛に向いています。」
「自分を過信する者ほど、命を落とす。」
「護衛とは、強い者が務める仕事ではありません。」
「守り抜こうとする者が務める仕事です。」
静かな口調だった。
だが、その言葉には不思議な説得力があった。
しばらく沈黙が流れる。
やがて青嶌さんは、一枚の封筒をテーブルの上へ置いた。
「契約内容です。」
俺は恐る恐る封筒を手に取る。
中を開き、目を通した瞬間——
「……え?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
桁を見間違えたのかと思い、もう一度見直す。
それでも数字は変わらない。
「こ、こんなにもらえるんですか……?」
思わず顔を上げる。
青嶌さんは表情一つ変えず答えた。
「危険が付き纏う仕事です。」
「決して高い金額ではありません。」
(この金額なら……。)
真っ先に浮かんだのは母さんの顔だった。
朝早くから夜遅くまで働く夜宵。
それでも弱音を吐かず、俺と夕奈を育ててくれている。
(これだけあれば……。)
夕奈の将来のためにも貯金ができる。
母さんも、少しは楽になるかもしれない。
だが——。
「もし俺が断ったら……。」
青嶌さんは少しだけ目を細めた。
「伊吹様には別の護衛を付けます。」
「しかし、学校生活は今まで通りとはいかないでしょう。」
「常に護衛が付き添い、自由な行動も制限されます。」
「場合によっては、ご実家のご判断で転校という可能性もあります。」
昨日、商店街でクレープ屋を見つめていた神白さんの姿が脳裏に浮かぶ。
『……いいんですか?』
そう言って嬉しそうに笑っていた。
あの笑顔が、もう見られなくなるのか。
俺は静かに目を閉じた。
そして、小さく息を吐く。
「……一つだけ。」
「条件があります。」
青嶌さんの眉が、わずかに動いた。
「聞きましょう。」
俺は真っ直ぐ青嶌さんを見つめ返す。
「神白さんには、この話をしないでください。」
「俺は護衛としてじゃなく、一人の友達として神白さんと接したい。」
「それが無理なら、この話は受けられません。」
俺は真っ直ぐ青嶌さんを見つめ返した。
書斎のような静けさが、喫茶店の一角を包む。
青嶌さんは俺をじっと見つめたまま、何も言わない。
その沈黙が妙に長く感じられた。
やがて、青嶌さんは小さく息を吐く。
「……その条件は受け入れます。」
「え?」
思わず聞き返した。
「あなたの言う通りです。」
「伊吹様が、あなたを護衛として意識した瞬間、その関係は友人ではなくなります。」
「学校生活を守るという目的にも反する。」
青嶌さんはブレンドコーヒーを一口飲み、静かに続けた。
「学校内では、あなたはあくまでも黒鉄朝陽という一人の高校生です。」
「伊吹様も、その事実を知る必要はありません。」
俺は少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます。」
しかし、青嶌さんの話はまだ終わっていなかった。
「ですが。」
低い声が店内に響く。
「一つだけ、覚えておいてください。」
その目が鋭くなる。
「この仕事は、正義感だけでは務まりません。」
「裏社会には、表へ出ない人間が数多く存在します。」
「その中には、昨日のような素人とは比較にならない者たちもいます。」
俺は無言で聞いていた。
「それでも。」
「あなたは、この仕事を引き受けますか。」
昨日までの俺なら、迷っていたかもしれない。
だけど、今は違う。
商店街で目を輝かせていた神白。
焼きそばパン一つで笑っていた神白。
「この学校で本当に良かった……。」
そう呟いた、あの笑顔。
あれを失わせたくない。
それが今の俺の答えだった。
俺はゆっくりと頷く。
「……引き受けます。」
「俺にできることなんて限られてると思います。」
「でも、神白さんの普通の高校生活だけは、守りたい。」
その瞬間だった。
青嶌さんは静かに立ち上がる。
そして、俺へ向かって深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「神白家護衛責任者として、心より感謝申し上げます。」
その姿に、俺は慌てて立ち上がる。
「や、やめてください!」
「頭なんて下げないでください!」
「俺はそんな大した人間じゃありませんから!」
青嶌さんは顔を上げると、ほんのわずかに口元を緩めた。
「いえ。」
「だからこそ、お願いしたのです。」
そう言って懐から一枚の名刺を取り出し、俺へ差し出した。
「本日より、あなたは神白家特別護衛。」
「正式な雇用契約の手続きは後日行います。」
「そして――。」
青嶌さんは少しだけ声を落とした。
「あなたが護衛であることを知る者は、現時点で私と羽唯、そしてあなただけです。」
俺は名刺を見つめながら、小さく頷いた。
「……分かりました。」
こうして俺は――。
普通の高校生でありながら、誰にも知られることのない護衛としての生活を送ることになった。




