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視線の先のセダンから、一人の大柄な男が運転席を降りてきた。
男はドアを静かに閉めると、ゆっくりとこちらへ歩き始める。
その歩き方に、思わず目を奪われた。
人が歩けば、肩や頭はわずかに上下する。
だが、その男にはそれが一切ない。
まるで地面を滑るような、無駄のない摺り足。
一歩、また一歩。
近付いてくるだけなのに、不思議な威圧感があった。
(……この人か。)
青嶌が言っていた。
『本日中に、父があなたへ接触します。』
おそらく、この人物が青嶌さんの父なのだろう。
男は俺の数歩手前で静かに立ち止まった。
近くで見ると、その体格は想像以上だった。
百八十センチ以上の長身に、鍛え上げられた無駄のない体。
黒いスーツの上からでも分かるほど肩幅は広く、胸板も厚い。
短く整えられた黒髪に、鋭く細められた双眸。
何より印象的だったのは、その瞳だった。
威圧しているわけでも、睨みつけているわけでもない。
ただ真っ直ぐ見られているだけなのに、全身を見透かされているような錯覚を覚える。
男は俺の前で足を止めると、深く一礼した。
「初めまして。」
低く落ち着いた声が響く。
「私は青嶌源吾と申します。」
「突然のお声掛け、失礼いたします。」
「黒鉄朝陽様で、お間違いないでしょうか。」
俺は「はい」と短く答えた。
すると、青嶌源吾と名乗った男は静かな口調で続ける。
「神白伊吹様の件で、お話があります。」
一拍置いて、俺の目を真っ直ぐ見つめた。
「少々、お時間を頂戴できますでしょうか。」
「……分かりました。」
「ここでは人目がありますので。」
そう言うと、青嶌さんは踵を返し、駅前の一角にある昔ながらの喫茶店へと歩き出した。
年季の入った木製の看板。 ガラス越しに見える落ち着いた店内。
長年この場所で営業を続けてきたのだろう。
俺は何も言わず、その背中についていく。
店の扉を開けると、
カラン、カラン。
喫茶店らしい澄んだベルの音が俺達二人を迎え入れた。
香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
俺たちは窓際の一番奥にある四人掛けの席へ腰を下ろした。
青嶌さんは静かにメニューへ目を通し、顔を上げる。
「私はブレンドにしますが、黒鉄君はいかがされますか?」
突然尋ねられ、少しだけ戸惑う。
「あ……じゃあ、同じのでお願いします。」
本当はコーヒーはあまり得意じゃない。
それでも、目の前にいる大人の落ち着いた空気に飲まれ、つい同じものを頼んでしまった。
注文を取り終えたマスターが静かにその場を離れていく。
店内には、控えめなジャズだけが流れていた。
その姿が見えなくなったのを確認すると、青嶌さんは両手を組み、ゆっくりと口を開いた。
「まず初めに。」
「昨日、そして本日。」
「伊吹様を守ってくださったこと、神白家、青嶌家を代表して感謝申し上げます。」
そう言って、深々と頭を下げる。
俺は慌てて手を振った。
「頭を上げてください。」
「俺はその場に居合わせただけです。」
「見過ごせなかった、それだけですよ。」
青嶌さんは静かに顔を上げる。
「その"それだけ"が、誰にでもできることではありません。」
短い言葉だった。
だが、その一言には重みがあった。
ほどなくして、湯気の立つコーヒーが二人の前へ運ばれてくる。
青嶌さんは砂糖もミルクも入れず、一口だけ口にした。
「さて、本題に入らせていただきます。」
店内の空気が少しだけ張り詰める。
「昨日の襲撃。」
「あれは偶然ではありません。」
俺は黙って耳を傾ける。
「伊吹様の通学先。」
「下校時間。」
「通学路。」
「その全てが相手に知られていました。」
「つまり、神白家、あるいは学校周辺から情報が漏れている可能性が極めて高いと判断しております。」
俺の脳裏に、昨日青嶌が言っていた言葉が蘇る。
『誰かが情報を流した可能性があります。』
あれは推測ではなかった。
護衛側も同じ結論に至っていたということか。
青嶌さんはカップを静かにソーサーへ戻した。
「この件を神白会長へ報告すれば、伊吹様は開路学園を退学されるでしょう。」
「それが最も安全だからです。」
神白さんの笑顔が頭に浮かぶ。
焼きそばパンを見て目を輝かせていた姿。
「この学校で本当に良かった……。」
そう呟いた、あの笑顔。
あれが、もう見られなくなる。
青嶌さんは俺の表情を見て、小さく頷いた。
「あなたなら、その意味が分かると思い、お呼びしました。」
そして数秒の沈黙の後、真っ直ぐ俺を見据える。
「黒鉄朝陽君。」
「あなたに、一つお願いがあります。」
俺は黙って続きを待つ。
「その前に、一つだけ確認させてください。」
「昨日、あなたはなぜ伊吹様を助けたのですか。」
突然の質問だった。
「……なぜって。」
そんなこと、考えたこともなかった。
「目の前で困っている人がいたからです。」
「それだけです。」
青嶌さんは静かに頷く。
「見返りを求めていたわけではない、と。」
「はい。」
「当然です。」
そう答えると、青嶌さんはふっと目を細めた。
「羽唯から報告は受けています。」
「あなたは、自分の身の危険を顧みることなく伊吹様を守った。」
「相手の力量も分からない状況で、一歩も退かなかった。」
「普通の高校生には到底できることではありません。」
俺は少し照れくさくなり、視線を逸らした。
「……たまたまです。」
「いいえ。」
青嶌さんは即座に否定した。
「たまたまで命は懸けられません。」
静かな店内に、その言葉だけが重く響く。
青嶌さんは一度コーヒーを口に運び、カップをソーサーへ戻す。
そして改めて俺を見た。
「黒鉄朝陽君。」
「神白伊吹様の護衛を、お願いしたいのです。」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「……護衛?」
思わず聞き返す。
「はい。」
「正式な雇用です。」
「あなたには、神白家の護衛として働いていただきたい。」
「もちろん、報酬もお支払いします。」
「学校では今まで通り一人の生徒として生活していただき、必要な時だけ伊吹様をお守りいただく。」
「それが、私からのお願いです。」




