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帰り道。
青嶌さんと黄瀬と別れ、一人になった。
(青嶌さん……)
今日一日を思い返す。
襲撃を予測したような動き。 周囲を確認する癖。 冷静な判断。
(普通じゃない)
特にあの構え。
あれは護身術なんてレベルじゃない。 何か実戦を想定して、無駄を削ぎ落とした動き。
そんな気がした。
考えながら、足は自然と家へ向かう。
「ただいま」
玄関を開けると、勢いよく飛び込んでくる小さな影があった。
「お兄ちゃん!」
お気に入りのハーフアップサイドテールの髪を揺らしながら抱きついてくる少女。 今年で9歳になる、少し歳の離れた妹――夕奈だ。
「夕奈、ただいま」
そう言って受け止めると、そのまま抱き上げる形になる。
そのままリビングへと歩き出す。
「夕奈ぁ〜、お兄ちゃん重いから降りなさい」
キッチンから母の声が飛んだ。
夕飯の準備をしているのは母・夜宵だ。
黒髪のくびれ外ハネボブが肩のあたりで揺れている。 数日前、美容室で整えたばかりらしい。
本当は俺の入学式に合わせて出席する予定だったらしいが、仕事の都合で来られなかったらしい。
それでも、いつも通りキッチンに立つ姿は変わらない。
「おかえり」
夜宵は振り返りもせず、優しい声だけを投げてきた。
「高校初日はどうだった?」
夜宵が穏やかな声で問いかける。
「友達ができたよ」
その一言に、母の表情がぱっと明るくなる。
「本当?」
「あぁ」
事件のことは言わない。 心配をかけたくなかった。
三人で夕飯を囲む。 いつも通りの会話と、いつも通りの笑い声。
夜宵の穏やかな声と、夕奈の無邪気な笑いが混ざる空間は、さっきまでの非日常を遠ざけてくれるようだった。
それだけで、今日の緊張が少しだけほどけていく。
夕飯を食べ終える頃には、張り詰めていた緊張もほぐれていた。
食器を片付ける母と、それを手伝おうとして結局邪魔ばかりしている夕奈を横目に見ながら、小さく笑う。
こんな何気ない時間が、妙に心地よかった。
「俺、お風呂入ってくる。」
そう声をかけると、着替えを持って浴室へ向かう。
熱めのシャワーを浴びると、一日の疲れがゆっくりと流れていくようだった。
今日だけで、いろいろなことがありすぎた。
入学式。
青嶌羽唯。
黄瀬王輝。
神白伊吹。
そして、あの襲撃事件。
湯船に浸かりながら思い返しても、どれも現実味が薄い。
まるで漫画の主人公にでもなった気分だった。
風呂から上がり、自室へ戻る。
ベッドへ腰を下ろすと、自然と天井を見上げていた。
(……結局、何だったんだろう。)
神白さんが狙われた理由。
青嶌さんの妙に慣れた動き。
黄瀬の、人間離れした運動神経。
考えれば考えるほど疑問ばかりが増えていく。
「……あ。」
ふと、一つのことに気付いた。
「連絡先、交換してないじゃん。」
思わず声が漏れる。
今日一日、一緒に過ごして、襲撃から助け合ったというのに、誰とも連絡先を交換していなかった。
「いや……。」
スマホを手に取りかけて止まる。
(明日聞けばいいか。)
でも、いきなり「連絡先教えて」って言うのは、どうなんだろう。
特に神白さんは、あんな出来事の直後だ。
迷惑に思われたりしないだろうか。
青嶌さんは気さくそうだから大丈夫かもしれない。
黄瀬なら「いいよー!」って笑って教えてくれそうだ。
「……いや、考えすぎか。」
苦笑しながらスマホを机へ置く。
明日、タイミングがあれば聞いてみよう。
そう決めると、不思議と肩の力が抜けた。
今日はいろいろありすぎた。
まぶたが重くなる。
時計を見ると、いつの間にかいい時間になっていた。
「……おやすみ。」
小さく呟き、布団へ潜り込む。
静かな夜の中、朝陽の意識はゆっくりと眠りへと沈んでいった。
――同時刻。
青嶌家。
「ただいま。」
玄関の扉が静かに閉まる。
学校で見せていた明るい笑顔はもうない。
羽唯は靴を脱ぐと、そのまま二階へ向かった。
制服のまま自室へ入り、今日一日の出来事を簡潔に書き記す。
『神白伊吹様、本日無事登校。』
『下校中、三名による襲撃。』
『全員制圧。』
そこまで書くと、ペンを止めた。
(予定より早かった。)
羽唯は手帳を閉じると、部屋を出る。
廊下の突き当たり。
一番奥にある書斎の扉を三回ノックした。
「入りなさい。」
低く落ち着いた声。
羽唯は静かに扉を開ける。
部屋の中央では、一人の男性が机に向かっていた。
青嶌源吾。
神白家に長年仕え、現在は神白家護衛部隊を統括する責任者。
そして羽唯の父でもある。
「失礼します。」
源吾は手元の書類から目を離さず口を開く。
「報告を。」
羽唯は姿勢を正した。
「本日、神白伊吹様は下校中に三名から襲撃を受けました。」
その一言で、源吾の手が止まる。
「続けろ。」
「相手は身代金目的と思われます。」
「武器の所持なし。」
「組織だった動きではありませんでした。」
源吾は静かに頷く。
「伊吹様は。」
「ご無事です。」
その返答を聞き、源吾は小さく息を吐いた。
「……どう対処した。」
「私含め三名での制圧。」
「…三名だと?」
「はい、同じクラスメイトの黒鉄朝陽、黄瀬王輝のお二人です。」
初めて源吾が顔を上げた。
「一般人か。」
「はい。」
「ですが、黒鉄さんは武術経験があります。」
「相手の力を利用した投げ技を使用していました。」
「そして黄瀬さんは……。」
羽唯は少しだけ言葉を選ぶ。
「その……昨日動画で見たというテコンドーの技を、一度で成功させました。」
源吾の眉がわずかに動く。
「才能か。」
「私もそう思います。」
書斎に静寂が流れる。
やがて源吾は静かに立ち上がった。
「本件は神白会長へ報告する。」
源吾は迷いなく言い切った。
「その後、伊吹様には開路学園を退学していただく。」
羽唯は思わず一歩前へ出る。
「お待ちください!」
「今回の件は偶発的な――」
「違う。」
源吾は娘の言葉を遮った。
「偶発ではない。」
「伊吹様の下校時間、通学路まで把握されていた。」
「内部から情報が漏れている可能性が高い。」
「その状況で同じ学校へ通わせ続けるわけにはいかない。」
淡々とした口調だった。
だが、その一言一言には護衛責任者としての重みがあった。
「しかし……!」
「羽唯。」
源吾の低い声が響く。
「私は父親として話しているのではない。」
「神白家護衛責任者として判断している。」
「神白会長へは私から報告する。」
それで話は終わりだった。
羽唯もそれは理解している。
だからこそ反論できない。
(このままじゃ……。)
伊吹はまた籠の中へ戻ってしまう。
ようやく手に入れた普通の高校生活が、一日で終わる。
羽唯は拳を握り締めた。
そして数秒考え込んだあと、ゆっくり顔を上げる。
「……考えがあります。」
源吾が娘を見る。
「何だ。」
「護衛を増やします。」
源吾の眉が僅かに動いた。
「黒鉄朝陽さんを雇用してください。」
書斎の空気が止まる。
「一般人を護衛に?」
「はい。」
羽唯は迷わず続ける。
「今日、黒鉄さんは伊吹様を守るため、自分の危険を顧みず戦いました。」
「判断力、武術、精神力。」
「どれを取っても申し分ありません。」
「学校内では学生として生活しながら、伊吹様の護衛を担っていただきます。」
「そうすれば、伊吹様を転校させる必要はありません。」
源吾は黙ったまま羽唯を見つめていた。
やがて静かに口を開く。
「……面白い案ではある。」
「ですが?」
「一つだけ問題がある。」
源吾は椅子から立ち上がる。
「黒鉄朝陽が、その依頼を受ける理由がない。」
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