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休日の朝。
まだ時計の針は午前九時を少し回ったばかりだった。
「朝陽ー!」
「まだ寝てるんじゃないでしょうねー!」
一階から母さんの元気な声が響いてくる。
「起きてるよ……。」
欠伸を噛み殺しながら部屋を出ると、母さんがすでに部屋の片付けを終え、エプロン姿で鼻歌を歌っていた。
「今日は忙しいんだからね!」
「分かってる。」
「そんなに張り切らなくても。」
「何言ってるの!」
「朝陽のお友達が来るんだから!」
「お母さん、昨日から楽しみで仕方なかったのよ。」
苦笑しながら冷蔵庫を開ける。
その時だった。
――ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
「朝陽、出てくれる?」
「はいはい。」
玄関を開けると、そこには二人の少女が並んで立っていた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
「約束通り来ました。」
小紫さんが優しく微笑む。
「黒鉄君のお母様のお手伝いをさせていただきたくて。」
「私もです。」
神白さんも少し照れながら続ける。
「よろしくお願いいたします。」
「どうぞ。」
二人を家へ案内すると、台所から母が笑顔で出てきた。
「あら!」
「二人とも、本当に朝早くから来てくれたのね。」
「約束守ってくれてありがとう。」
「こちらこそ。」
小紫さんが頭を下げる。
「本日はよろしくお願いいたします。」
神白さんも続いて頭を下げた。
「少しでもお力になれれば嬉しいです。」
母は嬉しそうに笑う。
「ありがとう。」
「それじゃあ早速だけど、お手伝いしてもらおうかしら。」
「まずはお買い物!」
「今日は人数が多いから、材料もいっぱい必要なの。」
「はい!」
「喜んで。」
神白さんと小紫さんの声が重なる。
母は二人を見比べながら、ふっと目を細めた。
「ふふ。」
「なんだか今日は。」
「娘が二人増えたみたい。」
夜宵は財布とエコバッグを手に取ると、玄関へ向かう。
「それじゃあ行きましょうか。」
「朝陽。」
「お留守番お願いね。」
「はいはい。」
「帰ってくるまでに部屋くらい片付けときなさいよ?」
「……善処します。」
「善処じゃなくて片付けるの!」
夜宵が呆れたように笑う。
そのやり取りを見て、神白さんと小紫さんも思わず口元を緩めた。
「それでは行ってきます。」
「行ってきます。」
玄関の扉が閉まる。
……
近所のスーパーへ向かう道。
夜宵は二人の歩幅に合わせながら、楽しそうに話しかけた。
「二人とも、お料理は普段からするの?」
小紫は穏やかに頷く。
「簡単なものですが。」
「へぇ。」
「偉いわねぇ。」
「神白さんは?」
急に話を振られた神白は、少し考えてから答えた。
「多少でしたら、お料理はいたします。」
「父へ作ることもありますし、料理長の方にも教えていただいております。」
「ただ……。」
少しだけ照れたように笑う。
「今回のように、誰かと一緒にお料理を作るのは初めてなんです。」
「皆さんで食べるご飯を作るというのも、初めてで……。」
「ですので、とても楽しみにしておりました。」
夜宵は嬉しそうに微笑んだ。
「そうだったの。」
「じゃあ今日は腕前を見るのが楽しみね。」
「いえいえ。」
神白は慌てて首を振る。
「まだまだ勉強中ですので。」
そのやり取りを見ていた小紫が、優しく口を開く。
「神白さんのお料理、とても楽しみです。」
「わ、私も小紫さんのお料理を見て勉強させていただきたいです。」
「それでは今日は、お互いに教え合いながら頑張りましょう。」
「はい。」
二人は顔を見合わせ、柔らかく微笑み合った。
スーパーへ到着すると、夜宵は買い物かごを一つ手に取った。
「さぁ、それじゃあ今日はみんなが喜ぶ料理を作るわよ!」
「まずは、お肉売り場!」
そう言って歩き出そうとした瞬間。
「お持ちします。」
「私がお持ちします。」
神白と小紫が同時に買い物かごへ手を伸ばす。
「あっ……。」
二人の手が、同じかごに触れる。
「……。」
「……。」
一瞬だけ目が合う。
すぐに二人は小さく笑った。
「では、一緒に持ちましょうか。」
小紫が優しく提案する。
神白も嬉しそうに頷いた。
「はい。」
「その方が楽しいですね。」
二人で一つの買い物かごを持つ姿を見て、夜宵は思わず頬を緩める。
「ふふ。」
「本当に仲が良いのね。」
神白は少し照れながら答えた。
「そうですね、たくさんお話しするようになりました。」
「小紫は、とても優しい方です。」
「そんな。」
「神白さんの方こそ、いつも周りを気遣ってくださいますから。」
お互いに褒め合う二人を見て、夜宵は小さく笑った。
「朝陽には、本当にもったいないくらい素敵なお友達ね。」
「……。」
その言葉に、神白と小紫は同時に顔を赤くする。
「お、お友達……です。」
神白が照れ隠しにそう答える。
小紫も口元へ手を添えながら微笑んだ。
「そうですね。」
「大切なお友達です。」
「?」
夜宵は首を傾げる。
「どうしたの?」
「二人とも急に顔が赤くなっちゃって。」
「い、いえ!」
神白は慌てて首を振る。
「何でもありません!」
「ふふ。」
夜宵は意味ありげに笑う。
(若いっていいわねぇ。)
そんなことを思いながら、三人は笑い合って店内を歩いていく。
三人はゆっくりと店内を歩いていく。
「今日は何を作るんですか?」
神白さんが興味津々といった様子で尋ねた。
「そうねぇ。」
夜宵は顎に手を添えながら考える。
「みんな育ち盛りだし、勉強も頑張るんだから、お腹いっぱい食べてもらいたいのよね。」
「だから今日は唐揚げをメインにして……。」
「ハンバーグも作ろうかしら。」
「えっ。」
神白さんが目を丸くする。
「両方ですか?」
「もちろん!」
「男の子なんて、お肉があれば何でも喜ぶんだから。」
「朝陽なんて特にね。」
「それに黄瀬君。」
「あの子、絶対いっぱい食べるでしょ?」
その言葉に三人とも思わず笑ってしまう。
「確かに……。」
神白さんがくすりと笑う。
「黄瀬君でしたら、何杯でもおかわりしそうです。」
「間違いありませんね。」
小紫さんも優しく頷いた。
夜宵は嬉しそうに笑いながら、次々とかごへ材料を入れていく。
「玉ねぎよし。」
「じゃがいもよし。」
「人参も必要ね。」
「神白さん。」
「はい。」
「ハンバーグって、何が一番大事だと思う?」
突然の質問に、神白さんは少し考える。
「……お肉でしょうか?」
夜宵はにっこり笑った。
「もちろんそれも大事。」
「でもね。」
「一番大事なのは、誰に食べてもらうか。」
「え……?」
「食べてもらう人を思い浮かべながら作ると、不思議と美味しくなるのよ。」
神白さんは少し驚いた表情を浮かべる。
「そんなものなんですか?」
「ええ。」
「だから今日は。」
「みんなが『美味しい!』って笑ってくれる顔を想像しながら作りましょう。」
神白さんは自然と朝陽の笑顔を思い浮かべてしまう。
文化祭で笑っていた顔。
少し照れくさそうに笑う顔。
誰かを守ろうと真っ直ぐ前へ出る顔。
「……。」
「神白さん?」
「あっ!」
「す、すみません。」
「少し考え事をしてしまいました。」
その様子を見ていた小紫さんは、どこか意味深に微笑む。
「ふふ。」
「神白さん。」
「もしかして、誰のお顔を思い浮かべていらしたのですか?」
「えっ!?」
神白さんの肩がぴくりと震える。
「そ、そんなこと……!」
「何でもありません!」
必死に否定する神白さん。
その反応を見た小紫さんは、少しだけ楽しそうに笑った。
「そうですか。」
「でしたら安心しました。」
「私にも、まだ頑張る理由がありますので。」
「……え?」
神白さんが首を傾げる。
小紫さんはくすりと笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。
夜宵はそんな二人を見て、小さく笑う。
(あらあら。)
(これは思っていたより賑やかになりそうね。)
部屋の片付けをしていると、玄関の扉が開く音と同時に母の明るい声が家中へ響いた。
「ただいまー!」
「朝陽ー!」
「材料買ってきたわよー!」
俺はリビングから顔を出した。
「おかえり。」
「結構買ったな。」
「今日は人数が多いもの。」
母は笑いながら両手いっぱいの買い物袋を持ち上げる。
「これでも足りるか心配なくらいよ。」
神白さんはすぐに母の手から袋を受け取った。
「こちら、お持ちします。」
「ありがとう。」
小紫さんも自然にもう一つの袋へ手を伸ばす。
「私はこちらを。」
「重たいですから、お気を付けください。」
「ふふ。」
「二人とも本当に気が利くわねぇ。」
母は嬉しそうに微笑んだ。
俺も袋を受け取りながら苦笑する。
「母さん。」
「全部持たせる気だったろ。」
「だって優しいんだもの。」
「朝陽とは大違い。」
「……ひどい言われようだな。」
そのやり取りに、神白さんがくすりと笑う。
「黒鉄君も十分お優しいと思いますよ。」
「そうですよ。」
小紫さんも優しく続ける。
「先ほども、一番重たい袋を持ってくださいましたし。」
「普通だよ。」
朝陽は照れくさそうに頭を掻く。
「はいはい。」
母は意味ありげな笑みを浮かべながらキッチンへ向かった。
「さぁ。」
「時間も限られてるし、始めましょうか。」
「はい!」
神白さんと小紫さんの返事がぴたりと重なる。
二人は顔を見合わせ、思わず笑みを浮かべた。
◇
エプロン姿へ着替えた三人がキッチンへ並ぶ。
普段は夜宵一人で立つ場所だったが、今日は三人並んでも少し狭く感じるほど賑やかだった。
夜宵は買ってきた食材を一つずつ並べていく。
玉ねぎ。
じゃがいも。
人参。
合いびき肉。
鶏もも肉。
牛乳。
パン粉。
「今日はね。」
「ハンバーグと唐揚げがメイン。」
「あとサラダにお味噌汁。」
「時間があればプリンも作っちゃおうかな。」
「プリンまでですか?」
神白さんが目を丸くする。
「もちろん!」
「勉強した後は甘いものが一番なんだから。」
夜宵は胸を張る。
「じゃあ役割を決めましょう。」
「神白さん。」
「はい。」
「ハンバーグ担当お願いできる?」
「はい!」
「精一杯頑張ります。」
少し緊張した様子ながらも、神白は真っ直ぐ頷いた。
「小紫さん。」
「はい。」
「唐揚げお願いしてもいい?」
「承知しました。」
小紫は柔らかく微笑む。
「下味から丁寧に仕上げます。」
「頼もしい!」
夜宵は満足そうに頷いた。
「私は全体を見ながらサポートするわね。」
「分からないことがあったら、何でも聞いて。」
「はい!」
二人の返事が再び重なる。
神白は玉ねぎを手に取り、慎重に包丁を握った。
「……。」
トントン。
最初の一刀は少しぎこちない。
それでも真剣な眼差しで、教わった通り一定の幅を意識しながら切り進めていく。
「その調子。」
「包丁は力を入れ過ぎなくて大丈夫。」
「はい。」
神白は小さく返事をすると、再び玉ねぎへ向き合った。
一方、小紫は慣れた手付きで鶏肉を一口大へ切り分けていた。
大きさはほとんど均一。
迷いのない包丁さばきに、夜宵は思わず感心する。
「小紫さん。」
「手際いいわねぇ。」
「ありがとうございます。」
「家でもよく作りますので。」
「黒鉄君のお母様ほどではありませんが。」
「いやいや。」
「十分すごいわ。」
「朝陽なんて包丁持たせたら指まで切るわよ。」
リビングにいた朝陽の声が飛んできた。
「聞こえてるからな!」
「事実でしょー?」
キッチンに笑い声が広がる。
その笑顔を見ながら夜宵は、ふと二人へ視線を向けた。
神白は真剣な表情でハンバーグの種を捏ねている。
小紫は鶏肉へ丁寧に下味を揉み込んでいる。
どちらも一生懸命だった。
誰よりも真剣に。
誰かへ美味しいと言ってもらいたくて。
そんな二人の姿を見ていると、夜宵の口元は自然と緩んでいく。
(可愛いわねぇ。)
(二人とも。)
(朝陽のために、こんなに一生懸命になっちゃって。)
母親だからだろうか。
二人が朝陽へ向ける視線。
朝陽の名前が出た時だけ少し変わる表情。
その全部が、何となく分かってしまう。
(ふふ。)
(これは少しだけ、からかってみたくなるわね。)
夜宵は包丁を置くと、小さく微笑んだ。
夜宵は二人の様子を横目で見ながら、ふと悪戯っぽく微笑んだ。
「ねぇ。」
「二人とも。」
「え?」
「はい?」
「朝陽ってね。」
「昔から。」
「『美味しいご飯を作ってくれる人と結婚する。』って、よく言ってたのよ。」
「えっ……?」
神白の手がぴたりと止まる。
今まさに丸めようとしていたハンバーグの種が、指の間から少しだけはみ出した。
「そ、そうなんですか……?」
「ふふ。」
夜宵は懐かしそうに笑う。
「小さい頃の話よ。」
「ご飯を食べながらね。」
「『お母さんみたいに料理が上手な人と結婚する!』って、何度も言ってたの。」
「…………。」
神白の頬がみるみる赤く染まっていく。
「け、結婚……。」
思わず俯いてしまい、慌ててハンバーグの種をこね直す。
しかし、照れすぎたのか力が入り過ぎてしまい、少し形が崩れてしまった。
「あっ……。」
その隣では、小紫が思わず口元へ手を添え、小さく笑っていた。
「ふふ。」
「神白さん。」
「落ち着いてください。」
「きっと黒鉄君は、そこまで考えていませんよ。」
「も、もう……。」
神白は恥ずかしそうに小紫を見る。
その様子があまりにも可愛らしく、小紫の表情も自然と柔らかくなった。
「それでしたら。」
小紫は唐揚げへ下味を揉み込みながら、優しく微笑む。
「今日のお料理も、頑張らないといけませんね。」
その笑顔は穏やかだった。
けれど。
夜宵は見逃さなかった。
唐揚げを揉み込む小紫の手にも、ほんの少しだけ力が入ったことを。
(ふふ。)
(この子も負ける気はないのね。)
すると。
神白が小さく咳払いをした。
「……私も。」
「黒鉄君に。」
「美味しいと言っていただけるよう、頑張ります。」
その声は照れているのに、どこか負けん気が滲んでいた。
小紫はその表情を見て、くすっと笑う。
「では。」
「勝負ですね。」
「え?」
「どちらのお料理を、黒鉄君が一番美味しいと言ってくださるか。」
神白は一瞬だけ驚いた。
けれど次の瞬間には、小さく微笑み返す。
「……望むところです。」
「今日は負けません。」
「ふふ。」
「私も負けるつもりはありません。」
二人は笑っている。
だけど、その瞳だけは少しだけ真剣だった。
そんな二人を見ていた夜宵は、とうとう吹き出してしまう。
「あははっ!」
「もう!」
「二人とも、料理勝負になっちゃってるじゃない!」
キッチンは、笑い声に包まれた。
夜宵は、そんな二人を見つめながら自然と頬を緩めた。
神白は照れて真っ赤になりながらも、負けじとハンバーグをこねている。
小紫は余裕そうに笑っているものの、その手だけは誰よりも真剣だった。
二人とも、好きな人のために一生懸命になっている。
その姿が、あまりにも愛おしい。
(もう……。)
(なんて可愛い子たちなのかしら。)
夜宵は思わず口元を押さえた。
どちらも朝陽にはもったいないくらい素敵な女の子だ。
料理をしながら照れたり。
負けたくないと意地を張ったり。
その全部が、まるで昔読んだ少女漫画から飛び出してきたようだった。
(朝陽。)
(あなた、本当に幸せ者よ。)
(こんなに素敵な子たちに想われてるなんて。)
夜宵は心の中だけで息子へ語りかける。
もちろん、そのことを朝陽本人は一つも気付いていないだろう。
それを思うと少し呆れる。
けれど、それもまた朝陽らしかった。
「ふふ。」
思わず笑みが零れる。
「本当に……。」
「二人とも可愛いわ。」
その一言に。
神白と小紫は同時に顔を上げた。
「えっ?」
「私たちですか?」
「ええ。」
夜宵は優しく微笑む。
「一生懸命な子ってね。」
「見てるだけで応援したくなるの。」
「だから今日は。」
「二人とも、思いっきり腕を振るってちょうだい。」
「黒鉄家のお客様全員を、びっくりさせちゃいましょう。」
「はい!」
二人の返事が、ぴったり重なった。




