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皆と別れた後住宅街を歩きながら、俺は今日一日の出来事を思い返していた。
無我さん。
神白さんの婚約相手候補。
そして――神白さんが背負っていた、本当の事情。
「……。」
正直、まだ頭の中は整理しきれていなかった。
だけど一つだけ言えることがある。
神白さんの表情は、どこか晴れやかだった。
それだけで、少し安心している自分がいた。
そんなことを考えているうちに、自宅へ到着する。
「ただいま。」
玄関を開けると、ふわりといい香りが鼻をくすぐった。
「おかえり、朝陽。」
台所から母さんが顔を覗かせる。
エプロン姿で鍋をかき混ぜながら、いつもの優しい笑顔を向けてきた。
「今日も遅かったわね。」
「ちょっと色々あって。」
「そう。」
「青春してきた?」
「何だよ、その聞き方。」
思わず苦笑すると、母さんは楽しそうに笑う。
「顔を見れば分かるもの。」
「最近の朝陽、前よりよく笑うようになったもの。」
「……そうかな。」
「そうよ。」
「お母さんは毎日見てるんだから。」
そう言われると、少し照れくさい。
「手洗ってきなさい。」
「今日はハンバーグよ。」
「おっ。」
「やった。」
「現金ねぇ。」
母さんは呆れたように笑いながら皿を並べていく。
夕食を食べ終え、食器を片付けていると、母さんがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば。」
「もうすぐ期末テストじゃない?」
「うん。」
「来週からだね。」
「だったら。」
母さんは俺の方を向いて、にっこり笑った。
「お友達を呼んで勉強会でもしたら?」
「勉強会?」
「文化祭も終わったし、みんなで集まる理由にもなるでしょ?」
「それに。」
「お母さん、また手料理頑張るわよ!」
「前みたいにいっぱい作って食べてもらうの。」
「……それが本音だろ。」
「うふふ。」
「半分はね。」
悪びれもなく笑う母さんに、思わず笑ってしまう。
「でも。」
「朝陽が連れて来てくれるお友達、みんないい子だったもの。」
「また会いたいなって。」
その言葉を聞いて、自然とスマホへ手が伸びた。
「聞くだけ聞いてみるよ。」
「うん!」
「みんな来てくれるといいわね。」
俺はクラスのグループチャットを開いた。
『期末テストに向けて、うちで勉強会しないかな?』
『母さんが飯作るって言ってる。』
送信ボタンを押した瞬間だった。
『行く!!!!』
一番に返ってきたのは黄瀬だった。
『飯あるなら絶対行く!!』
『勉強はついでだ!』
「早っ。」
思わず吹き出す。
続いて青嶌さん。
『私も参加したい!』
『この前凄く楽しかったし!』
今度は小紫さんから返信が届く。
『私もご一緒してもよろしいでしょうか。』
『それと……。』
『もしご迷惑でなければ、黒鉄君のお母様のお料理のお手伝いをさせていただいてもよろしいですか?』
『皆さんとご一緒に準備ができたら、とても楽しそうですので。』
そのメッセージが送られてきた直後。
グループチャットに、
『神白伊吹さんが入力中…』
と表示される。
だが、その表示は一度消えた。
数秒後。
再び表示される。
『ありがとうございます。』
『ぜひ参加させてください。』
『そ、それと……。』
『もしよろしければ、私もお料理のお手伝いをさせていただきたいです。』
『あまり得意ではありませんが、黒鉄君のお母様に教えていただけましたら嬉しいです。』
その少し慌てたような文章に、思わず俺は笑ってしまった。
「なんで二人とも勉強より料理なんだよ……。」
すると横から母さんがスマホを覗き込み、目を輝かせた。
「まあ!」
「小紫さんも神白さんもお手伝いしてくれるの!?」
「これは張り切らないと!」
「朝陽!」
「ちゃんとお部屋、綺麗に片付けておきなさいよ!」
「まだ日にちも決まってないだろ……。」
「準備は早い方がいいの!」
母さんはすっかりやる気満々だった。
グループチャットには、
『楽しみです!』
『よろしくお願いします!』
『お腹空かせて行くね!』
と、それぞれのメッセージが流れていく。
そのやり取りを眺めながら、自然と笑みが浮かんだ。
――時は少し戻る。
神白家。
広い屋敷のリビングには、静かなクラシックが流れていた。
仕事を終えた宗一郎はネクタイを少し緩め、ソファへ腰を下ろす。
そこへ、制服姿の伊吹がお茶を運んできた。
「お帰りなさいませ、お父様。」
「ああ。」
「ありがとう、伊吹。」
湯気の立つ紅茶を一口飲むと、宗一郎は娘へ穏やかな笑みを向けた。
「文化祭には行けなくて、すまなかった。」
「最後くらいは顔を出したかったんだが、どうしても外せない仕事が入ってしまってな。」
伊吹は首を横に振る。
「お気になさらないでください。」
「お父様がお忙しいことは分かっておりますから。」
「そうか。」
宗一郎は少し安心したように微笑んだ。
「それで、どうだった?」
「初めての文化祭は。」
その一言で、伊吹の表情がぱっと明るくなる。
「とても楽しかったです。」
「皆さんと一緒に準備をして、お店を運営して……。」
「今まで経験したことのないことばかりでした。」
「前の学校でも文化祭はありました。」
「ですが、屋台や催し物は全て学校側が依頼した業者の方々が運営しておりましたので、自分たちで一から準備をして、皆さんと協力して作り上げる文化祭は初めてだったんです。」
「最初は不安もありましたが……。」
「終わってみると、本当にあっという間で。」
「皆さんと笑い合いながら過ごした時間は、とても大切な思い出になりました。」
宗一郎は静かに娘の話へ耳を傾ける。
その嬉しそうな笑顔を見ているだけで、自分の選択は間違っていなかったのだと感じていた。
「そうか。」
「それほど楽しめたのなら、開路学園へ通わせて本当に良かった。」
「はい。」
「私も、そう思います。」
少しの沈黙が流れる。
伊吹は思い出したように口を開いた。
「あ、そういえば。」
「今日、学校へ無我さんがいらっしゃいました。」
宗一郎の手が止まる。
「……無我君が?」
「はい。」
「放課後、皆さんへご挨拶に来てくださいました。」
宗一郎はゆっくりと紅茶を置き、小さく息を吐く。
「そうか。」
「あの子は昔から、お前のことを本当によく可愛がっていたからな。」
「心配になって顔を見に来たのだろう。」
その言葉の後、宗一郎はどこか申し訳なさそうに目を伏せた。
「……あの子には、申し訳ないことをしてしまった。」
伊吹は父の表情を見つめ、静かに尋ねる。
「……婚約のお話、ですか?」
宗一郎はゆっくりと頷いた。
「ああ。」
「私なりに、この数日いろいろと考えてみた。」
「そして、一つの結論に辿り着いた。」
宗一郎はまっすぐ娘を見る。
「やはり、伊吹には。」
「自分自身で人生を共に歩む相手を選んでもらいたい。」
「それが、一番だ。」
伊吹は驚いたように目を見開く。
「お父様……。」
「私は今まで、お前を守ることばかり考えていた。」
「神白家の未来。」
「会社の将来。」
「お前が苦労しない環境。」
「そのことばかりを優先し、お前自身の気持ちを後回しにしてしまっていた。」
宗一郎は自嘲気味に笑う。
「少し……。」
「いや、かなり干渉し過ぎていたようだ。」
「本当に悪かったな、伊吹。」
その言葉を聞いた伊吹は、そっと首を横に振った。
「いいえ。」
「お父様は、いつも私のことを一番に考えてくださいました。」
「そのことは、誰よりも分かっています。」
「だからこそ……。」
「今のお言葉が、とても嬉しいです。」
宗一郎は、娘の穏やかな笑顔を見つめ、小さく頷いた。
「ありがとう。」
「そう言ってもらえると救われる。」
「だが、それとこれとは別だ。」
「無我君には、本当に申し訳ないことをした。」
「彼は何も悪くない。」
「むしろ、幼い頃からお前を大切に想い、支えてくれていた。」
「そんな彼へ、期待を持たせるようなことをしてしまったのは、私の責任だ。」
伊吹は静かに耳を傾ける。
「だから私は。」
「近いうちに、この件は私自身の口で無我君へ話そうと思っている。」
「全て、私の責任としてな。」
「お父様……。」
「もちろん。」
「簡単に納得してもらえるとは思っていない。」
「千金楽家との関係が悪くなる可能性もある。」
「会社として見れば、決して賢い判断ではないだろう。」
宗一郎は一度窓の外へ視線を向けた。
夕焼けに染まる空を見つめながら、静かに続ける。
「だが。」
「会社のために、お前の人生を犠牲にするような父親にはなりたくない。」
「神白グループの社長である前に。」
「私は、お前の父親だからな。」
その言葉に、伊吹の瞳が少し潤む。
「……ありがとうございます。」
「お父様。」
「私は、本当に幸せ者です。」
宗一郎は優しく微笑み、娘の頭へそっと手を置いた。
「幸せになるんだ。」
「誰かに決められた人生ではなく。」
「お前自身が選んだ道でな。」
「はい。」
伊吹は力強く頷いた。
その笑顔を見た宗一郎は、静かに胸を撫で下ろすのだった。




