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校門を出ると、夕暮れの柔らかな風が頬を撫でた。
開路学園はすっかりいつもの日常を取り戻している。
それなのに。
さっき現れた千金楽無我の存在だけが、俺の胸の中に引っかかったままだった。
誰も口を開かないまま、しばらく歩く。
やがて俺は、小さく息を吐いた。
「神白さん。」
「はい?」
神白さんがいつもの柔らかな笑みを浮かべて振り返る。
俺は少し言葉を選んでから口を開いた。
「ごめん…。」
「聞くべきことじゃないのかもしれないけど……。」
「さっきの結婚の話。」
「正直、まだよく分かってなくてさ。」
「婚約相手候補って、どういうことなの?」
神白さんは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた。
けれど、すぐに小さく微笑む。
「……そうですよね。」
「きちんとお話ししておりませんでした。」
そう言って立ち止まると、俺たちの方へ向き直った。
「実は。」
「私が開路学園へ通う交換条件として、お父様と一つ約束をしていたんです。」
「交換条件?」
黄瀬が思わず聞き返す。
神白さんは静かに頷いた。
「神白家が選んだ結婚相手候補の中から、お一人を選び、将来結婚すること。」
その言葉に、その場の空気が静まり返る。
青嶌さんも小紫さんも、驚いたように神白さんを見つめていた。
神白さんは穏やかな表情のまま続ける。
「お父様は、私が将来神白グループを継いだ時に困らないよう、お考えくださっていたんです。」
「同じように大きな企業を経営する家の方であれば、お互いの立場や責任を理解し合い、支え合えるだろうと……。」
「だから、候補者の中から私自身に選ばせるという約束だったんです。」
「……そういうことだったのか。」
俺が呟くと、神白さんは静かに頷いた。
「ですが。」
その表情が少しだけ柔らかくなる。
「先日、黒鉄君のお母様とお父様がお食事をご一緒させていただいたことで、お父様のお考えが変わったようなんです。」
「母さんと?」
思わず聞き返す。
「はい。」
「詳しいお話は伺っておりません。」
「ですが、お父様は。」
「『親が決めた幸せではなく、自分で選んだ幸せの方が大切なのかもしれない。』」
「そう感じられたそうです。」
神白さんは嬉しそうに微笑んだ。
「ですから。」
「結婚相手は、私自身が決めるべきではないかと。」
「最近は、そのように仰るようになりました。」
「じゃあ!」
黄瀬が勢いよく身を乗り出す。
「無我さんとの話は、なくなるってことか?」
「まだ正式に決まったわけではありません。」
「ですが、お父様はその方向で考えてくださっています。」
そう答える神白さんの表情は、どこか晴れやかだった。
「良かった……。」
青嶌さんが胸を撫で下ろすように呟く。
「私も、そのお話を聞いて安心しました。」
小紫さんも優しく微笑む。
俺も自然と肩の力が抜けた。
「そっか。」
「それなら良かった。」
神白さんはそんな俺を見つめ、小さく笑う。
「ありがとうございます。」
「黒鉄君にそう言っていただけると、とても嬉しいです。」
その笑顔を見た瞬間。
俺の胸の中に残っていた、あの妙な引っ掛かりが少しだけ軽くなった。
しかしこの時は、まだ知らなかった。
その「お父様の決断」が、一人の男を激怒させることになるなんて。
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