表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
護衛対象は、お嬢様でした。  作者: 愚兎
結婚相手候補に、会ってみました。
PR
120/126

1

文化祭から、数日が経った。

開路学園には、いつもの日常が戻り始めていた。

あれほど賑やかだった校内も

今ではすっかり普段通りの空気になっている。

「なんか寂しいよなぁ。」

黄瀬が窓の外を眺めながら呟く。

「何が?」

俺が聞き返すと、黄瀬は大げさにため息を吐いた。

「文化祭だよ。」

「準備期間から本番まで、あれだけ盛り上がったのにさ。」

「終わった瞬間、普通の日常に戻るんだぜ?」

「そういうものだろ。」

俺が答えると、黄瀬は肩をすくめる。

「朝陽は本当に現実的だよな。」

「そうか?」

「いや。」

「そういうところも含めて朝陽だけどね。」

そんなやり取りに、自然と笑みがこぼれる。

文化祭。

俺にとっては初めての経験だった。

友達と準備をして。

くだらないことで笑って。

一つのことを一緒にやり遂げる。

今まで知らなかった時間だった。

そして。

小紫さんのことも。

無事に青嶌家で生活できるようになった。

九十九会という不安は残っている。

それでも。

少しずつ、いつもの日常を取り戻していた。


放課後。

俺たちが校門へ向かって歩いていた時だった。

一台の黒い高級車が、静かに校門前へ停まる。

周囲の生徒たちが、何事かと視線を向ける。

「なんだろ…。」

黄瀬が呟く。

それでも。

ただの車ではないことは何となく分かった。

運転席から黒いスーツ姿の男性が降りる。

そして後部座席の扉を開いた。

そこから、一人の男性が姿を現す。

整えられた黒髪。

仕立ての良いスーツ。

落ち着いた立ち振る舞い。

まだ若いはずなのに。

その姿には、俺たちとは明らかに違う大人の余裕があった。

周囲の視線を集めているにも関わらず、本人はまったく気にした様子がない。

男性は俺たちを見ると。

特に迷うことなく、神白さんへ歩み寄る。

「伊吹。」

「久しぶりだね。」

その瞬間。

神白さんの表情が、ほんの僅かに変わった。

「……無我さん。」

男性は優しく微笑む。

「元気そうで良かった。」

「突然来てしまってごめんね。」

「少しだけ、君に挨拶をしたくて。」

「それに伊吹のお友達かい?」

そう言って。

男性は俺たちへ向き直った。

「初めまして。」

千金楽無我ちぎらむがと申します。」

丁寧に頭を下げる。

その姿には嫌味が一切ない。

むしろ。

誰が見ても、礼儀正しく誠実な人物に見えた。

「そして。」

「私は……。」

一瞬だけ間を置く。

「伊吹の婚約相手候補……そう言ったところかな。」

その言葉で。

空気が止まった。

「……婚約相手?」

黄瀬が思わず聞き返す。

「そうです。」

無我さんは、変わらず穏やかな笑顔を浮かべていた。

「もちろん。」

「今すぐどうこうという話ではありません。」

「両家の間で、そういった話が以前からあったというだけです。」

「ちょっと待ってください。」

青嶌さんが一歩前へ出る。

「神白さん。」

「その話……本当なの?」

神白さんは少し困ったように目を伏せた。

「……はい。」

「以前から、千金楽家と神白家の間で、そのような話があったのは事実です。」

「ですが。」

「現在は……。」

そこまで言うと、神白さんは言葉を止める。

無我さんは、その続きを遮るように優しく口を開いた。

「伊吹。」

「無理に説明しなくてもいいよ。」

「僕も今日は、君を困らせに来たわけではないから。」

その言葉に。

神白さんは少し驚いたように無我さんを見る。

「無我さん……。」

「昔からそうだっただろう?」

「君はいつも、自分より周りのことを気にする。」

「だから。」

「少しでも気を遣わせないようにしたかったんだ。」

その声音には嫌味がない。

本当に伊吹さんを気遣っているように聞こえた。

俺は少し意外に感じた。

勝手な想像だけど。

こういう家同士の話に出てくる相手は、もっと高圧的な人間だと思っていた。

でも。

目の前の千金楽無我という人物は違った。

「初めまして、黒鉄君。」

無我さんが俺を見る。

「君のことは聞いているよ。」

「伊吹がお世話になっているそうだね。」

「……いや。」

「俺は別に。」

そう答えると、無我さんは小さく笑った。

「謙虚なんだね。」

「伊吹が君の話をする時。」

「とても楽しそうに話すから。」

「どんな人物なのか、一度会ってみたかったんだ。」

「……。」

神白さんが少し頬を赤くする。

「無我さん。」

「余計なことを言わないでください。」

「ああ、ごめんよ。」

無我さんは素直に謝る。

その姿を見ていると。

どうしても悪い人間には見えなかった。

「今日は挨拶だけのつもりだったんだけどね。」

無我さんは時計を見る。

「少しだけ時間をもらえるかな。」

「黒鉄君と、少し話がしたい。」

その瞬間。

俺の隣にいた神白さんの表情が、わずかに曇った。

「無我さん。」

「黒鉄君に……ですか?」

「ああ。」

無我さんは頷く。

「少しだけでいい。」

「彼と話をしてみたいんだ。」

「伊吹が大切にしている友人だからね。」

その言葉に。

神白さんは何か言おうとして、口を閉じた。

「……分かりました。」

「ですが。」

「あのことは言わないでくださいね。」

「自分からお伝えしますので…。」

「分かっているよ。」

無我さんは優しく笑う。

そのやり取りだけを見ると。

二人は昔から知っている間柄なのだと分かった。

俺は黄瀬たちを見る。

黄瀬は小声で呟いた。

「……なんかさ。」

「もっと嫌な感じの奴を想像してた。」

「俺も。」

青嶌さんも腕を組みながら、無我さんを見る。

「でも。」

「普通に感じのいい人ね。」

「そうですね。」

小紫さんも静かに頷いた。

「少なくとも、今のところは……。」

最後の言葉だけが少し引っかかった。

「黒鉄君。」

無我さんが俺を呼ぶ。

「少し歩こうか。」

「はい。」

俺は頷く。

そして。

神白さんたちから少し離れた場所へ移動した。

校門から少し離れた、中庭。

夕方の風が静かに吹いている。

「改めて。」

「初めまして。」

無我さんはそう言って、俺へ向き直る。

「千金楽無我です。」

「黒鉄朝陽です。」

「知っているよ。」

「君のことは少し調べさせてもらった。」

その言葉に、俺は少し警戒する。

「……調べた?」

「ああ。」

だが、無我さんは慌てる様子もない。

「悪い意味ではないよ。」

「伊吹の近くにいる人物だからね。」

「どんな人間なのか知っておきたかっただけだ。」

「……。」

「君は。」

「随分とお人好しみたいだね。」

その言葉に。

俺は少し目を細める。

「普通ですよ。」

「そうかな。」

無我さんは微笑む。

「普通の高校生なら。」

「自分より先に他人の心配をしたり。」

「危険な場所へ迷わず飛び込んだりはしないと思うけどね。」

「……。」

「半グレの時のことも聞いているよ。」

「伊吹を守ってくれたこと。」

無我さんは一度、神白さんのいる方を見る。

「ありがとう。」

「本当に感謝している。」

その言葉には嘘があるようには見えなかった。

「でも。」

無我さんは少しだけ間を置く。

「一つだけ。」

「君に伝えておきたいことがある。」

夕暮れの中。

無我さんの表情は変わらない。

「伊吹は。」

「優しい子だ。」

「だからこそ。」

「周囲の人間を傷付けないために、自分を犠牲にすることがある。」

「……。」

「君は。」

「そんな彼女を守れる人間なのかい?」

静かな問いだった。

試されている。

そう感じた。

だけど。

俺は少し考えてから、口を開いた。

「……俺には。」

「神白さんの人生を決めることはできません。」

無我さんは少し意外そうに目を細める。

「ほう。」

「守るっていうのは。」

「危ない時に手を伸ばすこと。」

「困っている時に側にいること。」

「それくらいしか、俺にはできません。」

「でも。」

「それを必要としてくれるなら。」

「俺は助けます。」

風が吹く。

無我さんは黙ったまま俺を見ていた。

「……なるほど。」

「素敵な答えだね。」

「?」

「いや。」

無我さんは小さく笑う。

「伊吹が君を信頼する理由が、少し分かった気がする。」

その言葉に、俺は少し戸惑う。

「別に大したことじゃないです。」

「そういうところだよ。」

「君のその、自分を特別だと思っていないところ。」

無我さんは穏やかな表情のままだった。

「でも。」

「一つだけ覚えておいてほしい。」

「伊吹は神白家の人間だ。」

「彼女の周りには。」

「君が想像している以上に、多くのものが絡んでいる。」

「……。」

無我さんは、少しだけ視線を落とす。

「君と伊吹が過ごしている時間を否定するつもりはない。」

「むしろ。」

「君が彼女にとって大切な存在になっていることは分かる。」

「でも。」

「現実の話をすると。」

「神白グループの令嬢と。」

「普通の高校生が同じ未来を歩むというのは。」

「決して簡単なことではない。」

「立場も。」

「背負っているものも。」

「何もかも違うからね。」

その言葉は。

責めているわけではなかった。

ただ。

長い間、神白家と同じ世界を見てきた人間だからこそ出る言葉だった。

「簡単な気持ちだけでは。」

「彼女の隣に立つことすらできない。」

その言葉は優しい。

だけど。

どこか重かった。

「それでも。」

俺は答える。

「決めるのは神白さんですよ。」

「俺じゃない。」

「無我さんでもない。」

「神白さん自身です。」

一瞬。

無我さんの笑顔が止まった。

ほんの僅かな変化。

普通なら気付かない程度のものだった。

「……そうか。」

「君は。」

「そういう考え方なんだね。」

無我さんはそれ以上何も言わなかった。

「今日はありがとう。」

「話せて良かったよ。」

そして。

いつもの優しい笑顔に戻る。

「また会おう。」

「はい…。」

俺が戻ると。

神白さんが心配そうな顔でこちらを見ていた。

「黒鉄君。」

「何か……言われましたか?」

「いや。」

「普通に話しただけだよ。」

そう答えると。

神白さんは少し安心したように微笑む。

だが。

少し離れた場所で。

無我さんは静かに俺を見ていた。

その瞳には。

先ほどまでの優しい笑顔とは違う何かが、ほんの少しだけ浮かんでいた。

皆の元へ戻ると。

黄瀬がすぐに近付いてきた。

「おい朝陽。」

「何だったんだ?」

「いや、特には…。」

「いやいや。」

黄瀬は呆れたように手を広げる。

「千金楽家の人間と二人きりで話してたんだぞ?」

「特に無いはおかしいだろ。」

「本当に普通に話しただけだよ。」

俺がそう答えると。

黄瀬はじっと俺の顔を見る。

「……本当に?」

「本当に。」

「朝陽、お前そういうところあるからな。」

「どういうところだよ。」

「自分が変なことに巻き込まれてる自覚がないところ。」

「……。」

否定できなかった。

すると。

「ふふ。」

神白さんが小さく笑う。

「黄瀬君の言う通りかもしれませんね。」

「神白さんまで……。」

「ですが。」

神白さんは少し真剣な表情になる。

「無我さんは、悪い方ではありません。」

その言葉に。

俺たちは神白さんを見る。

「昔から。」

「とても優しい方でした。」

「私が家のことで悩んでいた時も。」

「何度も相談に乗ってくださいました。」

「だからこそ。」

「今回のことも……私。」

神白さんは少し言葉を濁す。

その表情を見て。

俺は思った。

神白さんにとって。

千金楽無我という人物は。

ただの婚約相手ではない。

昔から知っている人なのだ。

それも信頼できる人物。

「まあ。」

黄瀬が空気を変えるように口を開く。

「でもさ、朝陽。」

「お前、目を付けられたんじゃね?」

「……。」

「否定しろよ。」

「それはできないっぽい。」

その答えに。

全員が笑った。


◇ ◇ ◇

その頃。

黒い高級車の中。

千金楽無我は、窓の外を眺めていた。

「……黒鉄朝陽。」

小さく名前を呟く。

先ほどまで浮かべていた柔らかな笑顔は、もう消えている。

「身の程を知らない男だ。」

隣に座る秘書が尋ねる。

「何か問題でも?」

「いや。」

無我は首を横に振る。

「問題というほどではない。」

「ただ。」

「少し予想と違っただけだ。」

本来なら。

もっと単純な話だった。

神白家の令嬢である伊吹。

千金楽家の自分。

二つの家を繋ぐ。

それだけの話だった。

その未来に。

余計な存在など必要なかった。

「……。」

無我は目を閉じると頭に浮かぶのは

先ほどの朝陽の言葉。

――決めるのは神白さん自身です。

「……。」

無我は静かに目を開く。

「随分と。」

「分かったようなことを言う男だよ。」

秘書が尋ねる。

「黒鉄朝陽のことですか?」

「ああ。」

「では、黒鉄朝陽は我々にとって障害になりうる存在ですか?」

無我は少し考える。

そして。

「障害?」

「まさか。」

「そんな大げさなものじゃないよ。」

穏やかな声。

だが、その目には温度がなかった。

「ただ。」

「少し目障りな場所にいるだけだ。」

秘書は黙り、無我は続ける。

「彼は自分が何者なのか分かっていない。」

「神白家というものも。」

「伊吹が背負っているものも。」

「何も知らずに、ただ隣に立っているだけだ。」

「……。」

「それが許される世界なら。」

「誰も苦労はしないんだけどね。」

無我は窓の外へ視線を戻す。

「まあいい。」

「今すぐどうこうする必要はない。」

「彼がどこまで耐えられる人間なのか。」

「少し見てみよう。」

その口元には。

先ほどまでの優しい笑顔とは違う。

冷たい微笑みが浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ